ルルドの泉で - 2012.10.31 Wed
何故、彼女にだけ奇跡は起きたのか?
サスペンスという紹介文に惹かれて観てみたのですが
ちょっと違う気がしました。
まあ、観る気を起こさせるという意味では正解なのかもしれないけど(笑)
ルルドの泉については昔、遠藤周作の著書で知りました。
ベルナデッタという少女の前に聖母マリアが現れ
そこに泉が湧き
泉の水には病気や怪我を癒す力があり
以来、大勢の人々が奇跡を求めて集まる様になった―
と。
現代では巡礼ツアーが組まれ、観光地みたいになっている様子ですね。
首から下が完全麻痺した状態の主人公@クリスティーヌは
そのツアーの一つに参加し、ルルドを訪れます。
主人公といっても彼女の内面に踏み込むことはなく
モノローグやナレーションもなく
ドキュメンタリータッチで淡々と映画は進んでいきます。
奇跡が起きるのは終わり近くになってからで
それまでは、ツアーの様子が内から外から描かれます。
内から…といっても上記の様に心情が直接語られることはないので
大勢が移動する様子や各スポットの様子が俯瞰的に描かれ
主人公周辺の少数の人々の言動が凝視的に描かれる
って感じ?
前者では、自分も客の一人になって巡礼している気分を味わい
癒しを求める、それぞれの事情を抱えた大勢の人々に心痛み
意外にクールに(もしくは即物的に?)彼らを扱う僧職者やスタッフに
複雑な思いが湧きます。
後者では、信仰の場であるはずなのに
迎える側も客側も実は信仰から最も遠く離れている様な印象に
息苦しい思いがします。
その中でもやはり、どうしても目に付き気になるのは
クリスティーヌを担当する介護ボランティア@マリアの存在でしょう。
今迄ずっと楽しみにしていたスキーに虚しさを感じる様になり
何か他人の役に立ちたくてボランティアに加わったというマリアは
最初の内こそ明るく頑張っている様子に見えたんですけど
同じくボランティアに来ているマルタ騎士団の男性達の気を引くことに夢中になり
だんだん仕事がおざなりになっていくんです。
クリスティーヌの具合が悪くなっても気付かなかったり
食べ物を食べさせる手つきがぞんざいになったり
時々姿をくらましたり(勿論、男性達を追いかけるために)…
若いから仕方ないのかなあ…と思ったり
実はちょっと分かる気もしたり>ぉ
でも、やはりイライラして
奇跡が起こることは宣伝文句で分かっていたから
クリスティーヌが介護を必要としなくなり
彼女もマリアも心惹かれていたクノ@マルタ騎士団の一人をゲットし
小気味良いハッピーエンドかな…とチラと期待もしちゃいましたよ。
そういう雰囲気の映画ではないのは分かるのだけれど(^^;)
そう、実際、そういう雰囲気の映画ではありませんでした。
奇跡が起きてメデタシメデタシでは全くないし。
1人にだけ奇跡が起きて「良かった良かった」で終わるわけないですよね。
だって皆が皆、自分に奇跡が起こることを望んでいるのだから。
せめて信仰心が強いとか何度もルルドに訪れているとか
何か秀でたものを持つ人に起きたのなら、まだ諦めもつくものを…
そう、そういう、文句つけようもない人に奇跡が起きたとしても
心から喜び祝福する人は皆無とは言わないけど少ないでしょう。
そういう心境も、凄く分かる気がします。
でもね、宣伝文句にある様に
ここがメインになっているというわけでもないんです。
クリスティーヌを通して
病気に苦しんではいるし、治癒を望んではいるけれど
特別に信仰心が強いわけでもなく奇跡を本気にしているわけでもない
ごく普通の人が巡礼ツアーに参加し、色々見聞きし
ツアーの究極の目的(?)である奇跡に少し触れ
それらを通し人間の嫌な部分にも触れ
また日常に帰って行く―
そうした、コースを辿っただけの話と言えるかも?
勿論、とても多くのものをもたらしてはくれますが。
まあ、ラストは観客の解釈に任せる終わり方なんですけどね。
でも、クノって…
気持ちは分からないでもないけど
人間ってそんなものだとは思うけど
嫌な奴だなあ…
と、どうしても思ってしまいました。
「すぐ戻る」
って、マリアと同じじゃん。
結局、人は皆同じってことかも。
それより注目すべきはクリスティーヌと同室になった年配女性ですよね。
彼女は何者なのか全く語られず
本人も何も喋らず>文字通り台詞無し
誰も彼女に話しかける気配もなく
聖像の傍を通る時は彼女だけが立ち止まって祈りを捧げ
でも、マリアの分もクリスティーヌの世話をし
奇跡後のクリスティーヌが彼女には目もくれずクノに接近した時も
息を切らしヨタヨタと走って追いかけて行くだけで何も言わず
そしてラストも…
もしかして神やキリストは彼女の姿を借りているのかも…
そんな気もしました。
勿体ぶった、曖昧な、物質的な、ムラのある「奇跡」などではなく
黙って寄り添い、さり気なく導いてくれる…
まあ、こんな解釈は話t氏だけかも?(^^;)
ラストで彼女がクリスティーヌの耳元に何と囁いたのかが気になります。
声は聞こえなかったけれど、彼女が何かを話すために口を開いたのは
あれが最初だった様な…
『Lourdes』 2009年/フランス、オーストリア、ドイツ
監督/脚本:ジェシカ・ハウスナー
出演:シルヴィ―・テステュー(クリスティーヌ)
レア・セドゥ(マリア)ブリュノ・トデスキーニ(クノ)エリナ・レーヴェンソン(セシル)
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆

やっくんち
サスペンスという紹介文に惹かれて観てみたのですが
ちょっと違う気がしました。
まあ、観る気を起こさせるという意味では正解なのかもしれないけど(笑)
ルルドの泉については昔、遠藤周作の著書で知りました。
ベルナデッタという少女の前に聖母マリアが現れ
そこに泉が湧き
泉の水には病気や怪我を癒す力があり
以来、大勢の人々が奇跡を求めて集まる様になった―
と。
現代では巡礼ツアーが組まれ、観光地みたいになっている様子ですね。
首から下が完全麻痺した状態の主人公@クリスティーヌは
そのツアーの一つに参加し、ルルドを訪れます。
主人公といっても彼女の内面に踏み込むことはなく
モノローグやナレーションもなく
ドキュメンタリータッチで淡々と映画は進んでいきます。
奇跡が起きるのは終わり近くになってからで
それまでは、ツアーの様子が内から外から描かれます。
内から…といっても上記の様に心情が直接語られることはないので
大勢が移動する様子や各スポットの様子が俯瞰的に描かれ
主人公周辺の少数の人々の言動が凝視的に描かれる
って感じ?
前者では、自分も客の一人になって巡礼している気分を味わい
癒しを求める、それぞれの事情を抱えた大勢の人々に心痛み
意外にクールに(もしくは即物的に?)彼らを扱う僧職者やスタッフに
複雑な思いが湧きます。
後者では、信仰の場であるはずなのに
迎える側も客側も実は信仰から最も遠く離れている様な印象に
息苦しい思いがします。
その中でもやはり、どうしても目に付き気になるのは
クリスティーヌを担当する介護ボランティア@マリアの存在でしょう。
今迄ずっと楽しみにしていたスキーに虚しさを感じる様になり
何か他人の役に立ちたくてボランティアに加わったというマリアは
最初の内こそ明るく頑張っている様子に見えたんですけど
同じくボランティアに来ているマルタ騎士団の男性達の気を引くことに夢中になり
だんだん仕事がおざなりになっていくんです。
クリスティーヌの具合が悪くなっても気付かなかったり
食べ物を食べさせる手つきがぞんざいになったり
時々姿をくらましたり(勿論、男性達を追いかけるために)…
若いから仕方ないのかなあ…と思ったり
実はちょっと分かる気もしたり>ぉ
でも、やはりイライラして
奇跡が起こることは宣伝文句で分かっていたから
クリスティーヌが介護を必要としなくなり
彼女もマリアも心惹かれていたクノ@マルタ騎士団の一人をゲットし
小気味良いハッピーエンドかな…とチラと期待もしちゃいましたよ。
そういう雰囲気の映画ではないのは分かるのだけれど(^^;)
そう、実際、そういう雰囲気の映画ではありませんでした。
奇跡が起きてメデタシメデタシでは全くないし。
1人にだけ奇跡が起きて「良かった良かった」で終わるわけないですよね。
だって皆が皆、自分に奇跡が起こることを望んでいるのだから。
せめて信仰心が強いとか何度もルルドに訪れているとか
何か秀でたものを持つ人に起きたのなら、まだ諦めもつくものを…
そう、そういう、文句つけようもない人に奇跡が起きたとしても
心から喜び祝福する人は皆無とは言わないけど少ないでしょう。
そういう心境も、凄く分かる気がします。
でもね、宣伝文句にある様に
ここがメインになっているというわけでもないんです。
クリスティーヌを通して
病気に苦しんではいるし、治癒を望んではいるけれど
特別に信仰心が強いわけでもなく奇跡を本気にしているわけでもない
ごく普通の人が巡礼ツアーに参加し、色々見聞きし
ツアーの究極の目的(?)である奇跡に少し触れ
それらを通し人間の嫌な部分にも触れ
また日常に帰って行く―
そうした、コースを辿っただけの話と言えるかも?
勿論、とても多くのものをもたらしてはくれますが。
まあ、ラストは観客の解釈に任せる終わり方なんですけどね。
でも、クノって…
気持ちは分からないでもないけど
人間ってそんなものだとは思うけど
嫌な奴だなあ…
と、どうしても思ってしまいました。
「すぐ戻る」
って、マリアと同じじゃん。
結局、人は皆同じってことかも。
それより注目すべきはクリスティーヌと同室になった年配女性ですよね。
彼女は何者なのか全く語られず
本人も何も喋らず>文字通り台詞無し
誰も彼女に話しかける気配もなく
聖像の傍を通る時は彼女だけが立ち止まって祈りを捧げ
でも、マリアの分もクリスティーヌの世話をし
奇跡後のクリスティーヌが彼女には目もくれずクノに接近した時も
息を切らしヨタヨタと走って追いかけて行くだけで何も言わず
そしてラストも…
もしかして神やキリストは彼女の姿を借りているのかも…
そんな気もしました。
勿体ぶった、曖昧な、物質的な、ムラのある「奇跡」などではなく
黙って寄り添い、さり気なく導いてくれる…
まあ、こんな解釈は話t氏だけかも?(^^;)
ラストで彼女がクリスティーヌの耳元に何と囁いたのかが気になります。
声は聞こえなかったけれど、彼女が何かを話すために口を開いたのは
あれが最初だった様な…
『Lourdes』 2009年/フランス、オーストリア、ドイツ
監督/脚本:ジェシカ・ハウスナー
出演:シルヴィ―・テステュー(クリスティーヌ)
レア・セドゥ(マリア)ブリュノ・トデスキーニ(クノ)エリナ・レーヴェンソン(セシル)
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

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やっくんち
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