KASASAGI>『舞いあがれ!』最終週 - 2023.04.02 Sun
こんない早くコロナを描くのか…と思ったけど
あっという間に未来に跳んでしまったな。
短歌が書けない苦しみからパリへ行ったものの
肝心の八木さんはいなくなっちゃうし
パリに閉じ込められてしまう貴司の図ぅー
と
順調な滑り出しかと思われた「空飛ぶクルマ」の開発が
中断されジレンマに陥る刈谷先輩(と愉快な仲間達)の図ぅ―
と
勿論、そんな中で
苦悩しながらも明日を待つ舞の図ぅ―
を
対比させたっちゅーわけなのでせう。
『おかえりモネ』でも素っ飛ばされてたし
ドラマの味付け程度にしか使われていないコロナ。
やーいやーい、」ただの駒!
…ひじゅにですが何か?
「自分を見つけた場所です」by久留美
第25週『私たちの翼』
タイトルバックで、一枚の紙きれが
紙飛行機→ばらもん凧→人力飛行機→旅客機
と変身して行き、最終的にそのどれとも違う形になる。
それこそが空飛ぶクルマ”かささぎ”号だと
最終話にして、やっと気付いたアホひじゅに。
だって「空飛ぶクルマ」編になってからも
試作機のうちは全然違う形だったじゃん>言い訳
ま、そーいうわけで
制作側としては
ちゃあんと意図通りに作ってたんだかんね!
迷走なんてしていないんだかんね!
ってところなのでせう。
でも、もうちょい
先が見える作りにしてくれれば良かったのにぃ…
まあ、最終話は見え過ぎるくらい見えていたんだけどね。
パリに行った前後の貴司は
短歌が書けなくなってしまったのは
結婚して、子供もできて、幸せになってしまったからかも
…と思っていたらしい。
八木さんは孤独に生きている。
自ら死を選んでしまった恋人の声を追い求めながら。
貴司とは正反対。
だから、貴司が考えていた”原因”は正しいのだと思わせる。
もしもコロナでロックダウンなんて事態にならなかったら
貴司も放浪の旅に出ていたかもしれない。
でも、思う様に動けない期間を経験して
貴司は舞を思う。舞の声を聞く。
孤独の中に閉じ込められていた貴司が家族のもとに帰還。
エッセイを書くという”今できること”を見出した上で。
この流れは面白いと思う。
ただ舞の生き方とは、あまり上手くシンクロしていなかった気がする。
ともあれ
「自分を見つけた場所です」
これが全員にとっての結末だったのだろう。
貴司は家族のもとへ。
ばんばは五島へ。
お母ちゃんは母親との暮らしへ。
お父ちゃんのネジは「空飛ぶクルマ」へ。
舞自身は、どこかへ帰ったというよりも
そうした皆の夢を繋いだり運んだりする役目だったのだろう。
「一つの目的地に到着します」
舞の最後の台詞。
「一つの」というところに象徴されている。
人力飛行機で活躍した刈谷先輩が
「空飛ぶクルマ」で夢を叶えたという結末は
帰結とも言えるし「自分を見つけた場所」とも言えるんだけど
どうせなら、もっと中心に据えても良かった気がする。
その方がドラマに一貫性ができて
視聴者も困惑しないで済んだ様に思う。
別に舞のパートナーにしなくても良いけど(笑)
彼の姿もずっと追っていれば
あちこち振り回されているかの様に見えた舞と
好対照になるし、話も分かり易かったかも?
個人的に貴司は好きだし
舞とは、ある意味、対照的な人物であり生き方というところが
面白いっちゃー面白いんだけど
両者が上手く組み合わさっていたかというと
う~ん…って気も>スミマセンスミマセン
とはいえ
色んな人がいて色んな夢がある…ということでは
これで良かったのかな。
最終話は朝ドラらしく全員集合!だったけど
ひじゅには赤津が出てくれただけで満足よ>ぉ
決して中心にはならないけれど
誰かを映すカメラの中で彼の方がどアップになっていたり
アピール動画では試作機にちゃっかり乗っているし
うん、制作陣は彼の扱い方をよく心得ておる(笑)
文句もちょっとは言っちゃったけれども>ちょっとか?
”なにわバードマン”まではかなり好きだったし
その後も嫌悪感を抱くほどのことはなかったし
全体的に悪くはなかったと思うよ。
もっとハマれれば全員集合には萌えただろうなあ
…と、ちょっと残念。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

角皿『かささぎ』
大友家持の短歌
クロード・モネ『かささぎ』
あっという間に未来に跳んでしまったな。
短歌が書けない苦しみからパリへ行ったものの
肝心の八木さんはいなくなっちゃうし
パリに閉じ込められてしまう貴司の図ぅー
と
順調な滑り出しかと思われた「空飛ぶクルマ」の開発が
中断されジレンマに陥る刈谷先輩(と愉快な仲間達)の図ぅ―
と
勿論、そんな中で
苦悩しながらも明日を待つ舞の図ぅ―
を
対比させたっちゅーわけなのでせう。
『おかえりモネ』でも素っ飛ばされてたし
ドラマの味付け程度にしか使われていないコロナ。
やーいやーい、」ただの駒!
…ひじゅにですが何か?
「自分を見つけた場所です」by久留美
第25週『私たちの翼』
タイトルバックで、一枚の紙きれが
紙飛行機→ばらもん凧→人力飛行機→旅客機
と変身して行き、最終的にそのどれとも違う形になる。
それこそが空飛ぶクルマ”かささぎ”号だと
最終話にして、やっと気付いたアホひじゅに。
だって「空飛ぶクルマ」編になってからも
試作機のうちは全然違う形だったじゃん>言い訳
ま、そーいうわけで
制作側としては
ちゃあんと意図通りに作ってたんだかんね!
迷走なんてしていないんだかんね!
ってところなのでせう。
でも、もうちょい
先が見える作りにしてくれれば良かったのにぃ…
まあ、最終話は見え過ぎるくらい見えていたんだけどね。
パリに行った前後の貴司は
短歌が書けなくなってしまったのは
結婚して、子供もできて、幸せになってしまったからかも
…と思っていたらしい。
八木さんは孤独に生きている。
自ら死を選んでしまった恋人の声を追い求めながら。
貴司とは正反対。
だから、貴司が考えていた”原因”は正しいのだと思わせる。
もしもコロナでロックダウンなんて事態にならなかったら
貴司も放浪の旅に出ていたかもしれない。
でも、思う様に動けない期間を経験して
貴司は舞を思う。舞の声を聞く。
孤独の中に閉じ込められていた貴司が家族のもとに帰還。
エッセイを書くという”今できること”を見出した上で。
この流れは面白いと思う。
ただ舞の生き方とは、あまり上手くシンクロしていなかった気がする。
ともあれ
「自分を見つけた場所です」
これが全員にとっての結末だったのだろう。
貴司は家族のもとへ。
ばんばは五島へ。
お母ちゃんは母親との暮らしへ。
お父ちゃんのネジは「空飛ぶクルマ」へ。
舞自身は、どこかへ帰ったというよりも
そうした皆の夢を繋いだり運んだりする役目だったのだろう。
「一つの目的地に到着します」
舞の最後の台詞。
「一つの」というところに象徴されている。
人力飛行機で活躍した刈谷先輩が
「空飛ぶクルマ」で夢を叶えたという結末は
帰結とも言えるし「自分を見つけた場所」とも言えるんだけど
どうせなら、もっと中心に据えても良かった気がする。
その方がドラマに一貫性ができて
視聴者も困惑しないで済んだ様に思う。
別に舞のパートナーにしなくても良いけど(笑)
彼の姿もずっと追っていれば
あちこち振り回されているかの様に見えた舞と
好対照になるし、話も分かり易かったかも?
個人的に貴司は好きだし
舞とは、ある意味、対照的な人物であり生き方というところが
面白いっちゃー面白いんだけど
両者が上手く組み合わさっていたかというと
う~ん…って気も>スミマセンスミマセン
とはいえ
色んな人がいて色んな夢がある…ということでは
これで良かったのかな。
最終話は朝ドラらしく全員集合!だったけど
ひじゅには赤津が出てくれただけで満足よ>ぉ
決して中心にはならないけれど
誰かを映すカメラの中で彼の方がどアップになっていたり
アピール動画では試作機にちゃっかり乗っているし
うん、制作陣は彼の扱い方をよく心得ておる(笑)
文句もちょっとは言っちゃったけれども>ちょっとか?
”なにわバードマン”まではかなり好きだったし
その後も嫌悪感を抱くほどのことはなかったし
全体的に悪くはなかったと思うよ。
もっとハマれれば全員集合には萌えただろうなあ
…と、ちょっと残念。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

角皿『かささぎ』

大友家持の短歌

クロード・モネ『かささぎ』

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連続テレビ小説『舞いあがれ!』第126回(最終回)
内容2027年。舞(福原遥)刈谷(高杉真宙)たちの“空飛ぶクルマ”が。。。敬称略作、桑原亮子さんなぜ、“わざわざ”。。。要らぬコトを描くかなぁ。それは、悠人と久留美だ。先日、“メイン”自身が、描いたことなのに。。。。。なぜ、佳晴たちの?今作は、いつも、こんな感じだから、呆れるというか、諦めているけど。“大人の事情”もあっただろうが。なんだかなぁ。。。。そもそもを言うと。“もしも”があったら、...