誰かの役に>『おちょやん』第87話 - 2021.04.06 Tue
満州と聞いて
無知ひじゅにが思い浮かべるのは
『大地の子』(山崎豊子)>中国残留孤児
『ラストエンペラー』(ベルナルド・ベルトルッチ)>愛新覚羅溥儀
…くらいかなあ(^^;)
…ひじゅにですが何か?
「誰かの役に立ちたいんです」by寛治
「僕の周りにはそないな人、ひとりもいてへんかった」
父親に捨てられたと言っていたもんなあ…
フォローしてくれる人もいなかったのだろうからなあ…
「僕もずっと自分のことだけしか考えてけえへんかった」
笑顔の仮面を被って、誰をも信じず、窃盗したりしていたんだもんなあ…
そんな寛治君がこう↑言えるまでになった…ちゅーことですね。
こうして、ひとり旅立っていく寛治君であった。
ボンクラひじゅには
千代が持たせた「白いご飯は無理やった」という「おにぎり」がどんなだったのか気になる>ぇ
稗とか粟とか、トウモロコシとかサツマイモとか、大豆とか魚粉とか…?
「あの子の人生や、うちが力づくで止めることなんかでけへん」
親に売られ、その後は自力で歩んできた千代。
動機も態度もテルヲとは正反対だけど、結局のところ子は旅立っていくし
テルヲとは正反対なだけに、邪魔することなどできない。
「今になって、ようやっと、あんたの気持ちが分かった気ぃするわ」
かつては恵まれた立場にいた、みつえや一福君が
かつての千代の様に何もかも失ってしまった様に
持っていない分、失うことも知らなかった千代が
やっと手に入れたものを失う羽目になる。
半分焼け崩れた稽古場で呆然と立ち尽くす千代。
家庭劇解散と聞いて、何とか失うまいと懸命に頑張っていて
皆が戻って来てくれて京都で上演できたけれど
大空襲により一瞬の夢で終わってしまった。
ここのところ、もうちょい芝居中心に描いてほしかった気がする。
舞台の様子も見せないままだったからね。
夢中で守り抜いたものが、あっという間に崩れたわけだから。
しかも、それは、芝居そのものへの攻撃ではなく
芝居以外の大切なものが失われることによってだから。
立ち尽くしていたかと思うと、自然に芝居の台詞が口をついてきて
やがて、声を響かせて一人芝居を繰り広げる千代。
あの時、同じ『手違い話』の台詞を言っていた時
傍には寛治君がいて、それから一座の皆が次々に戻って来てくれた。
でも今は誰もいない…
あの時と対比になっているなと思っていたら、庭に入って来る人々。
一瞬、また皆が戻って来たのかと思った。
そしたら一般の人々で
だったら、この一人芝居を受け入れ楽しんでくれるんじゃ…と思った。
そしたら警官に便乗して
「ええ気なもんやな」
「お気楽でよろしいなあ」
と批判的。
この中に、あの割烹着のオバチャンがいたら
警官を待つまでもなく強い調子で文句を言ってきただろう。
でも、その代わり
時代に洗脳され自分達が正しいと信じて疑わない人々による
上目線な攻撃…という意味合いになっていただろう。
そうではなく、最初は無言で、次に経験と共に批判を浴びせてきた人々だから
当時の一般人の気持ちを表しているというわけなんだろうな。
戦争に疲弊した心…を。
今、コロナ渦にあって疲弊している人々が
違う言動を取る人に少しばかり攻撃的になるのと同じ?
だけど、ひじゅには見たぞ!
万太郎さんが拍子木を鳴らしながら登場した時
笑顔になっていたお婆さんがいたことを(笑)
ここで万太郎さんが出て来たのは、想定の範囲外だったけどね。
「世界中の人が同じ芝居観て、同じ様に笑える日がいつか来るやろ
そん時こそ、わてらの出番や」
さすが万太郎さん、ずっと先を見通している。
役者ならではの希望と決意。
正直言うとさ…
こういうシーンを持ってくるなら
つまり、こういうシーンに千代が辿り着くことになっていたのなら
やはり、千代の芝居への執着心をもっと強調した方が感動できたと思うんだよな。
戻って来てくれた「家族」である座員がまたバラバラになってしまったことに
アッサリ順応し過ぎな印象で(笑)
物理的に探しに行けないのなら、その苦渋の決断を描けば良かった。
そうであるなら、一人芝居のくだりも、万太郎さんとの会話も
もっと自然で、もっと感動的だったと思う。
…なんて言っているうちに
満州で「女とか博打」に夢中の寛治君の図ぅ―
あれは、みつえの言葉に刺激された千代の想像?
視聴者へのミスリード?
そそそそれとも、一人になり解放感のあまり本性を現した図ぅ?
ただ、チラリ思い浮かぶのは―
この“遊び”で
やはり堅気にはなりきれないヨシヲの再登場に繋がる?
もしそうなら
やはり寛治君は、千代にとって子供というより弟を重ねた存在で
子役を使わなかったのは、そのためで
でもって…
やはり死亡フラグ?
↑全然違う展開だったらスマソ
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

拍子木ストラップ

私もみんなの役に立ちたい

カイジ

無知ひじゅにが思い浮かべるのは
『大地の子』(山崎豊子)>中国残留孤児
『ラストエンペラー』(ベルナルド・ベルトルッチ)>愛新覚羅溥儀
…くらいかなあ(^^;)
…ひじゅにですが何か?
「誰かの役に立ちたいんです」by寛治
「僕の周りにはそないな人、ひとりもいてへんかった」
父親に捨てられたと言っていたもんなあ…
フォローしてくれる人もいなかったのだろうからなあ…
「僕もずっと自分のことだけしか考えてけえへんかった」
笑顔の仮面を被って、誰をも信じず、窃盗したりしていたんだもんなあ…
そんな寛治君がこう↑言えるまでになった…ちゅーことですね。
こうして、ひとり旅立っていく寛治君であった。
ボンクラひじゅには
千代が持たせた「白いご飯は無理やった」という「おにぎり」がどんなだったのか気になる>ぇ
稗とか粟とか、トウモロコシとかサツマイモとか、大豆とか魚粉とか…?
「あの子の人生や、うちが力づくで止めることなんかでけへん」
親に売られ、その後は自力で歩んできた千代。
動機も態度もテルヲとは正反対だけど、結局のところ子は旅立っていくし
テルヲとは正反対なだけに、邪魔することなどできない。
「今になって、ようやっと、あんたの気持ちが分かった気ぃするわ」
かつては恵まれた立場にいた、みつえや一福君が
かつての千代の様に何もかも失ってしまった様に
持っていない分、失うことも知らなかった千代が
やっと手に入れたものを失う羽目になる。
半分焼け崩れた稽古場で呆然と立ち尽くす千代。
家庭劇解散と聞いて、何とか失うまいと懸命に頑張っていて
皆が戻って来てくれて京都で上演できたけれど
大空襲により一瞬の夢で終わってしまった。
ここのところ、もうちょい芝居中心に描いてほしかった気がする。
舞台の様子も見せないままだったからね。
夢中で守り抜いたものが、あっという間に崩れたわけだから。
しかも、それは、芝居そのものへの攻撃ではなく
芝居以外の大切なものが失われることによってだから。
立ち尽くしていたかと思うと、自然に芝居の台詞が口をついてきて
やがて、声を響かせて一人芝居を繰り広げる千代。
あの時、同じ『手違い話』の台詞を言っていた時
傍には寛治君がいて、それから一座の皆が次々に戻って来てくれた。
でも今は誰もいない…
あの時と対比になっているなと思っていたら、庭に入って来る人々。
一瞬、また皆が戻って来たのかと思った。
そしたら一般の人々で
だったら、この一人芝居を受け入れ楽しんでくれるんじゃ…と思った。
そしたら警官に便乗して
「ええ気なもんやな」
「お気楽でよろしいなあ」
と批判的。
この中に、あの割烹着のオバチャンがいたら
警官を待つまでもなく強い調子で文句を言ってきただろう。
でも、その代わり
時代に洗脳され自分達が正しいと信じて疑わない人々による
上目線な攻撃…という意味合いになっていただろう。
そうではなく、最初は無言で、次に経験と共に批判を浴びせてきた人々だから
当時の一般人の気持ちを表しているというわけなんだろうな。
戦争に疲弊した心…を。
今、コロナ渦にあって疲弊している人々が
違う言動を取る人に少しばかり攻撃的になるのと同じ?
だけど、ひじゅには見たぞ!
万太郎さんが拍子木を鳴らしながら登場した時
笑顔になっていたお婆さんがいたことを(笑)
ここで万太郎さんが出て来たのは、想定の範囲外だったけどね。
「世界中の人が同じ芝居観て、同じ様に笑える日がいつか来るやろ
そん時こそ、わてらの出番や」
さすが万太郎さん、ずっと先を見通している。
役者ならではの希望と決意。
正直言うとさ…
こういうシーンを持ってくるなら
つまり、こういうシーンに千代が辿り着くことになっていたのなら
やはり、千代の芝居への執着心をもっと強調した方が感動できたと思うんだよな。
戻って来てくれた「家族」である座員がまたバラバラになってしまったことに
アッサリ順応し過ぎな印象で(笑)
物理的に探しに行けないのなら、その苦渋の決断を描けば良かった。
そうであるなら、一人芝居のくだりも、万太郎さんとの会話も
もっと自然で、もっと感動的だったと思う。
…なんて言っているうちに
満州で「女とか博打」に夢中の寛治君の図ぅ―
あれは、みつえの言葉に刺激された千代の想像?
視聴者へのミスリード?
そそそそれとも、一人になり解放感のあまり本性を現した図ぅ?
ただ、チラリ思い浮かぶのは―
この“遊び”で
やはり堅気にはなりきれないヨシヲの再登場に繋がる?
もしそうなら
やはり寛治君は、千代にとって子供というより弟を重ねた存在で
子役を使わなかったのは、そのためで
でもって…
やはり死亡フラグ?
↑全然違う展開だったらスマソ
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