『相棒19』2021元旦SP - 2021.01.09 Sat
第11話『オマエニツミハ』
遅まきながら観た>見逃し配信
少年犯罪の増加&狂暴化と
少年法は甘過ぎるとの世間からの批判の声がある中
今回のテーマは大きく重いと思う。
そして、右京さんの正義。
「感情で善悪を判断するのは危険です」by右京
↑それはそうなんだけどね…
ドラマとしては、いわゆる復習譚で
最後の最後、一番恨みに思っていた相手には手を下せず
「復讐なんて虚しいだけだよ」という一言で終わってしまうという
よくあるパターン>ぉ
韓国映画だと、復讐を完遂し
その上で「虚しさ」を噛み締める…という物語が結構見られる。
でもまあ、今作は警察側が主役だからなあ。
とはいえ
右京さん側が絶対に正しいとも言い切れない終わり方なので
視聴者に改めてこの問題について考えさせるものになったと思う。
最初に殺されたのは、裏の顔を持つ男性。
二番目はDV男。
ザマアミロとまでは思わないけど
殺したくなる気持ちは理解できたし
実行したことによって救われた人もいた。
つまり復讐をする側に近い気持ちで観ていた。
それぞれの犯人は「虚しさ」を味わうことになったわけだけど
それってさ…
相手を殺しても失われたものは戻らない…傷は治らない…
歪んでしまった自分の人生が回復するわけではない…
つまり、復讐は何ももたらさず
復讐という目的もなくなってしまった…という虚しさだよね。
元々の事件が起きなかったら、そんなことも一切なかったわけで
元々の事件を起こした相手がノホホンと生きているままだったら
別の「虚しさ」に襲われるだけだと思う。
刑罰がどうのこうのより
自分の心がそれを許せるか
忘れられるか
…ってことなのだろう。
そうすると、結局
行き着く所は「感情」…?
そして、最後の事件―
これには右京さんも少なからず関係していた。
ここが面白いところ。
「救える命から救う判断は間違っていなかった」
ひじゅには、あの現場に入って行く勇気なんてないから
何を言う資格もないんだけれども
見た感じでは、大沼さんの息子の方を先に助けるべきだったんじゃ…
と思ってしまった。
別にどちらが良い悪いじゃなくて>実際、そんな事情は知らないし
息子の方は身動きできない状態だったから
取り合えず解放した方が…と単純に思っただけで
ああいう状況では右京さんの判断こそ正しいのかもしれないけどね。
それでも…
こう↑言ってしまう右京さんって…
まあそれだけ信念に揺らぎがないってことなんだろうけども…
難しいよね。
ここに拘ってしまう、ひじゅには感情で判断し過ぎているのかもね(^^;)
「ここが!ここが!」
大沼@岸谷五朗さんの熱演は素晴らしかった。
まさに「感情」か否かという問題を打ち出している。
それに対し
「僕を撃ちなさい!」と叫んだ右京さんは
全く逆を示しているわけで
そこに今回のテーマが打ち出されているのだとは思うけれど
ちょっとモヤモヤは残ってしまった>スマソ
もしかしたら、そうなる視聴者もいると考えて
ほんの少しだけ溜飲が下がる様に、流れ弾が復讐相手に当たるという
流れにしたのかな?
命には別条なさそうなところがミソで(笑)
ところで、こでまりさん経由で登場した魚屋の青年は
最初、彼こそがラスボス?と疑ってしまったけど
全く関係なかった(笑)
「人間形成のできていない少年に矯正教育を施し社会へ送り出す」
と、少年法を認める右京さんと
「教育ではどうにもならない奴も大勢いる」
と、主張する大沼さんの議論への一つの答をもたらしている。
あくまでも「一つ」に過ぎず
大沼さんの説だって「大勢」であって「全て」がそうだとはしていない。
希望の光は差すけれども…ハッキリとした答を出すことはできないよね。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

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気をつけよう!SNS3
ネックレス
遅まきながら観た>見逃し配信
少年犯罪の増加&狂暴化と
少年法は甘過ぎるとの世間からの批判の声がある中
今回のテーマは大きく重いと思う。
そして、右京さんの正義。
「感情で善悪を判断するのは危険です」by右京
↑それはそうなんだけどね…
ドラマとしては、いわゆる復習譚で
最後の最後、一番恨みに思っていた相手には手を下せず
「復讐なんて虚しいだけだよ」という一言で終わってしまうという
よくあるパターン>ぉ
韓国映画だと、復讐を完遂し
その上で「虚しさ」を噛み締める…という物語が結構見られる。
でもまあ、今作は警察側が主役だからなあ。
とはいえ
右京さん側が絶対に正しいとも言い切れない終わり方なので
視聴者に改めてこの問題について考えさせるものになったと思う。
最初に殺されたのは、裏の顔を持つ男性。
二番目はDV男。
ザマアミロとまでは思わないけど
殺したくなる気持ちは理解できたし
実行したことによって救われた人もいた。
つまり復讐をする側に近い気持ちで観ていた。
それぞれの犯人は「虚しさ」を味わうことになったわけだけど
それってさ…
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歪んでしまった自分の人生が回復するわけではない…
つまり、復讐は何ももたらさず
復讐という目的もなくなってしまった…という虚しさだよね。
元々の事件が起きなかったら、そんなことも一切なかったわけで
元々の事件を起こした相手がノホホンと生きているままだったら
別の「虚しさ」に襲われるだけだと思う。
刑罰がどうのこうのより
自分の心がそれを許せるか
忘れられるか
…ってことなのだろう。
そうすると、結局
行き着く所は「感情」…?
そして、最後の事件―
これには右京さんも少なからず関係していた。
ここが面白いところ。
「救える命から救う判断は間違っていなかった」
ひじゅには、あの現場に入って行く勇気なんてないから
何を言う資格もないんだけれども
見た感じでは、大沼さんの息子の方を先に助けるべきだったんじゃ…
と思ってしまった。
別にどちらが良い悪いじゃなくて>実際、そんな事情は知らないし
息子の方は身動きできない状態だったから
取り合えず解放した方が…と単純に思っただけで
ああいう状況では右京さんの判断こそ正しいのかもしれないけどね。
それでも…
こう↑言ってしまう右京さんって…
まあそれだけ信念に揺らぎがないってことなんだろうけども…
難しいよね。
ここに拘ってしまう、ひじゅには感情で判断し過ぎているのかもね(^^;)
「ここが!ここが!」
大沼@岸谷五朗さんの熱演は素晴らしかった。
まさに「感情」か否かという問題を打ち出している。
それに対し
「僕を撃ちなさい!」と叫んだ右京さんは
全く逆を示しているわけで
そこに今回のテーマが打ち出されているのだとは思うけれど
ちょっとモヤモヤは残ってしまった>スマソ
もしかしたら、そうなる視聴者もいると考えて
ほんの少しだけ溜飲が下がる様に、流れ弾が復讐相手に当たるという
流れにしたのかな?
命には別条なさそうなところがミソで(笑)
ところで、こでまりさん経由で登場した魚屋の青年は
最初、彼こそがラスボス?と疑ってしまったけど
全く関係なかった(笑)
「人間形成のできていない少年に矯正教育を施し社会へ送り出す」
と、少年法を認める右京さんと
「教育ではどうにもならない奴も大勢いる」
と、主張する大沼さんの議論への一つの答をもたらしている。
あくまでも「一つ」に過ぎず
大沼さんの説だって「大勢」であって「全て」がそうだとはしていない。
希望の光は差すけれども…ハッキリとした答を出すことはできないよね。
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第11話『オマエニツミハ』遅まきながら観た>見逃し配信少年犯罪の増加&狂暴化と少年法は甘過ぎるとの世間からの批判の声がある中今回のテーマは大きく重いと思...