ノージング>『マッサン』第127話 - 2015.03.02 Mon
ラストには、ちょい涙
ああ、『デクスター』に泣かされるなんて…>ぇ
…ひじゅにですが何か?
「私は大丈夫よ」byエマ
エリーの決まり文句を口にするエマ。
エリーは(主に)マッサンを慰めたり宥めたりするのに
この言葉を用いるけど
エマは家族に心配かけまいとの配慮もあるとはいえ
自分の気持ちを偽り強がってみせるために用いる。
この方向の微妙な違いが、まんま2人の違い。
赤紙によって
エリーの不安は現実化
エマの能天気ぶりには終止符
そのため
エリーのヒステリーは治まって
娘の心のフォローに回り
エマは一馬君に真っ直ぐ向けていた思いを
社会に戦争に自分達を取り巻く現実にぶつける。
エマの恋心を
まだ芽生えたてのところで摘み取ることができたなら
その先にある悲しみを遠ざけることもできただろう。
でも、そんなエリーの母心を知った上で
エマは“今”を精一杯生きると宣言したのだから
次にエリーができることは、支えてあげること…だよね。
だから今日
エマに声をかけたり、一緒に歌ったりしたことは
エリーの立場としては正しいことだと思う。
エマの方は
現実を前にして
浮かれていた分、果てしなく落ち込んで
自分の気持ちを制御しきれない。
無理もない…とも言えるし
相変わらずお子ちゃまね…とも言える(酷)
フレディ風口髭のせいか>ぇ
マッサンは“大人”の態度で一馬君を思いやる。
「後継者」として意識し始めたこともあり
一馬君にブレンディングを教え始めるマッサン。
出征までの3日間では到底マスターできないことを承知で。
一馬君にとって
何としても帰還しようとの強い動機付けになるし
希望になるし
マッサンにとって
一馬君のために“今”できる精一杯のことでもある。
今週のネタ振りは、まさにこの
“今”できる精一杯のことをする
ってことなんだろうな。
その面で、何とも痛々しいのは熊虎さん。
表面上は明るく
息子がお国のために働けることを喜び
やたらと宴会を企画。
それは、庭でしきりに素振りをしていることも含め
とにかく動いていないと不安や悲しみで押し潰されてしまうから
…だろうね。
本当は心から喜んで自分の子供を戦地に送りだせる親なんていない
…と思う。
いくら当時の軍国主義、愛国主義の中にあっても。
心に思うことは口に出す―
というのをずっと奨励してきたドラマだから
最後の最後、ギリギリのところで
熊虎さんは親心を告白することになるのかも。
そういう意味では
一馬君もエマへの思いを最後の最後に言葉にするのかな?
それとも、「笑顔で再会」という皆の希望が悲劇に終わり
そそれをドラマ的に盛り上げるために、言葉なしに出発?
エマはどうなのだろう?
予告では、一馬君に逃亡を促すという名逆の方向に向かう様子だけど
それを思いとどまり、今度こそ“成長”を示してくれる?
自分の気持ちよりも一馬君のことを重んじて
彼のために精一杯に何かをしようとする姿を見せてくれる?
そうなれば、今はちょっとモヤモヤしてしまうエマの描写に
カタルシスが得られるかも?
本音を言えば>思うことを口に出すぞ
エマよりも熊虎さんの演技に泣かされたいッス。
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