『八重の桜』第49話 - 2013.12.22 Sun
第49話『再び戦いを学ばず』
「風を入れてくなんしょ」by覚馬
↑覚馬の最後
世の中に新風を…という意味と重ねているのか
と思ったけど…考え過ぎ?(笑)
え~っと、今回は
風邪の最中で観たせいか>「風」のシャレではない
いつもにも増してワカランカッタ
相変わらず、おバカでスミマセンスミマセン!
教育勅語に否定的な様子の覚馬。
教育勅語の内容そのものをよく知らないんだけどさ>ダメじゃん
色々と道徳的な薦めが並べられていて、最終的には「お国のため」に帰結
…みたいなもの?
確かに現代的な視点からは「軍国主義」に通じる感があるけど
この時代にはどうだったんだろう…いかに覚馬であっても…?
つーか
何となし、会津における「什の掟」を思い出してしまったのは私だけ?
今の覚馬はそれをも否定している?
そして
それこそ「お国」のためにと信じて行動し
結果的に汚名を被り滅びる…という運命を辿った
会津をも?
考え過ぎですねそうですね(^^;)
だって死の間際で覚馬は
やっと会津に帰れると言ってもいたし
かつて会津で過ごした日々が走馬灯の様に巡っていたわけだし。
また
会津の戦争について
薩長にも義はあった…という様なことを言っていたけど
それは、その後の薩長の人々との関わりや
新しい国を作るという共通の目的(中身は様々だけど)を持つこと等で
どちらが善でどちらがで悪ということはない―
という意味を悟ったのだろう…と解釈していた。
ここのところは卒業式の祝辞に繋がるね。
でも、そうしたことと
会津で受けた教えに否定的になったり
汚名が晴らせないままの会津をさらに貶める様な姿勢は
ちょっと通り越しちゃってるというか、ズレちゃってるというか(^^;)
後にも、容保様が
亡くなった会津の人々の名誉を回復してほしいと
御宸翰を山川兄弟に渡すシーンで
自分の行動を「過ち」と発言していたよね。
まあ確かに、観ていた時は色々と歯がゆい思いはしたんだけども
あの時はあの時で正しいと信じていたわけだし
戦の結果に懺悔の気持ちを持つのは良いけれども
悪かった、間違っていたと、自ら否定してしまうのはどうなの?
って思ってしまった。
つまりさー
ここに来て無理クリ白黒つけさせなくったって良いじゃん。
つーか
会津の視点で始まったドラマなのに会津を悪としてオシマイ?
実際
そんな単純なもんじゃないんだし。
…って、甘い?
まあ、ドラマが戦争の前編・教育&信仰の後編みたいな分け方なので
その変化をハッキリをここで台詞によって示しているのかもしれない。
八重が戦う人から看護する人に変わった様に。
それで彼らはその剣をすきの刃に、その槍を刈り込みばさみに
打ち変えなければならなくなる。
国民は国民に向かって剣を上げず
彼らはもはや戦いを学ばない。 <イザ2章4節>
この祝辞は感動どころなんだろうけど
聖書の言葉をそのまま言っただけじゃん!
と思ってしまった>スミマセンスミマセン
八重も佐久さんも他の皆も
クリスチャンなはずなのに初めて聞く言葉の様な反応だったし(笑)
でも、まあ、だからこそ
これは真理なんだけどね。
だから善悪とか何とかじゃなくて
もっと大きく広く
この聖書の教えを純粋に受け入れるに至った様子が
素直に描かれていたら良かったと思うよ。
…とりとめない文章で
自分でも何が言いたいのかよく分かってなくて
スミマセンスミマセン!
もう逢えないと思っていた襄がまた登場してくれたのは嬉しかった。
八重が振り向かなかったのも。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆

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リカちゃん

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↑覚馬の最後
世の中に新風を…という意味と重ねているのか
と思ったけど…考え過ぎ?(笑)
え~っと、今回は
風邪の最中で観たせいか>「風」のシャレではない
いつもにも増してワカランカッタ
相変わらず、おバカでスミマセンスミマセン!
教育勅語に否定的な様子の覚馬。
教育勅語の内容そのものをよく知らないんだけどさ>ダメじゃん
色々と道徳的な薦めが並べられていて、最終的には「お国のため」に帰結
…みたいなもの?
確かに現代的な視点からは「軍国主義」に通じる感があるけど
この時代にはどうだったんだろう…いかに覚馬であっても…?
つーか
何となし、会津における「什の掟」を思い出してしまったのは私だけ?
今の覚馬はそれをも否定している?
そして
それこそ「お国」のためにと信じて行動し
結果的に汚名を被り滅びる…という運命を辿った
会津をも?
考え過ぎですねそうですね(^^;)
だって死の間際で覚馬は
やっと会津に帰れると言ってもいたし
かつて会津で過ごした日々が走馬灯の様に巡っていたわけだし。
また
会津の戦争について
薩長にも義はあった…という様なことを言っていたけど
それは、その後の薩長の人々との関わりや
新しい国を作るという共通の目的(中身は様々だけど)を持つこと等で
どちらが善でどちらがで悪ということはない―
という意味を悟ったのだろう…と解釈していた。
ここのところは卒業式の祝辞に繋がるね。
でも、そうしたことと
会津で受けた教えに否定的になったり
汚名が晴らせないままの会津をさらに貶める様な姿勢は
ちょっと通り越しちゃってるというか、ズレちゃってるというか(^^;)
後にも、容保様が
亡くなった会津の人々の名誉を回復してほしいと
御宸翰を山川兄弟に渡すシーンで
自分の行動を「過ち」と発言していたよね。
まあ確かに、観ていた時は色々と歯がゆい思いはしたんだけども
あの時はあの時で正しいと信じていたわけだし
戦の結果に懺悔の気持ちを持つのは良いけれども
悪かった、間違っていたと、自ら否定してしまうのはどうなの?
って思ってしまった。
つまりさー
ここに来て無理クリ白黒つけさせなくったって良いじゃん。
つーか
会津の視点で始まったドラマなのに会津を悪としてオシマイ?
実際
そんな単純なもんじゃないんだし。
…って、甘い?
まあ、ドラマが戦争の前編・教育&信仰の後編みたいな分け方なので
その変化をハッキリをここで台詞によって示しているのかもしれない。
八重が戦う人から看護する人に変わった様に。
それで彼らはその剣をすきの刃に、その槍を刈り込みばさみに
打ち変えなければならなくなる。
国民は国民に向かって剣を上げず
彼らはもはや戦いを学ばない。 <イザ2章4節>
この祝辞は感動どころなんだろうけど
聖書の言葉をそのまま言っただけじゃん!
と思ってしまった>スミマセンスミマセン
八重も佐久さんも他の皆も
クリスチャンなはずなのに初めて聞く言葉の様な反応だったし(笑)
でも、まあ、だからこそ
これは真理なんだけどね。
だから善悪とか何とかじゃなくて
もっと大きく広く
この聖書の教えを純粋に受け入れるに至った様子が
素直に描かれていたら良かったと思うよ。
…とりとめない文章で
自分でも何が言いたいのかよく分かってなくて
スミマセンスミマセン!
もう逢えないと思っていた襄がまた登場してくれたのは嬉しかった。
八重が振り向かなかったのも。
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