猫とかぼちゃと西陣の帯>『おちょやん』第88話 - 2021.04.07 Wed
長年続けて来たブログだけれど
もうそろそろ潮時かな…
と思う今日この頃。
…ひじゅにですが何か?
「うちがやりたかっただけなんや」by千代
↑もっと芝居に対する思い入れを描いてほしいと願ってきたけど
今日になって唐突に入れて来たな(笑)
役者って、ただ演技が好きとかだけでなく
舞台の味を知ってしまうと辞められなくなると聞く。
魅せられる…ちゅーヤツでせうか。
千代がずっと言って来た様に
誰かを喜ばせたい!
というのも立派な動機であり目標だけど
今の様な緊急事態では、それは叶わない夢。
ならば諦めてしまうのか?>少なくとも今は
いや、魅せられてしまった後では、それは無理。
「ず~っと大好きな芝居してたい」
その思いだけは捨てられない。
エゴかもしれないけど…ならば、エゴ上等!ってとこだよね。
「そしたらきっと辛いことも乗り越えられる」
心の支えであり救いの手段だから。
毎夜こっそり家を抜け出し、昼間は居眠りしている千代。
いつの間にやら、そういう状況になっている(笑)
「あれは密会やな」
このご時世に真っ先に男女のことが頭に浮かぶ、みつえ。
ちょっとお花畑過ぎない?という気もするけど
これって、後のシーン(福助戦死)への前振り?
一平が様子を探りに行くと、千代は猫を相手に小声で芝居の稽古。
稽古っちゅーか、台詞を呟いているだけ。
仲間も客もいなくなってしまったし、大声を出せば警官が来るし…
今、芝居といったら、できるのはこれだけ。
それでも、そうし続ける千代の姿は美しいし悲壮でもある。
なのに、家に戻れば…現実が待っている。
最初から手に入らず、ひたすら理想を求めていた千代に対し
みつえは一度は手にしていたものが次々と零れ落ちていく。
喪失感が半端ないだろうな。
千代が何も持たないから、代わりに、みつえで描いているのだろうけど
多くのことが一度に降りかかって気の毒過ぎるなあ。
おまけに脇役だから、脇に全て担わせて…って印象を受ける人達も出て来るし。
ちょっと引っかかったのは―
*「みつえ、落ち着き落ち着き」
みつえを宥める千代。
何も持たないちゅーても、今は一平と寛治君がいて
その寛治君が旅立って行って
…千代は初めて失う苦しみいを知ったところ。
みつえの気持ちが分かると言ったばかり。
おまけに、ついさっきまで、自分の気持ちを抑えきれず
こっそり猫相手に芝居をしていたところ。
だったら、宥めるのではなく
思いっきり泣かせてあげてほしかった気がする。
*「ええかげんにしなはれ!」
寝込む娘に発破をかけるシズさん。
極めてシズさんらしい。
らしいけど…今のみつえは、それに応えられる状態じゃない。
シズさんもそれを承知で、叱りつけた後で抱き合って泣く…
とかなら良かったんだけどなあ。
一方、一福君は少年兵になることを決意。
父親に諭されて一旦は諦めた様だったのに
父親の仇を討つという動機ができてしまった。
子供の目から見た戦争…とか
洗脳された当時の子供の心境…とかを
一福君を通して描くのかな?
案外、千代達が芝居をすることが出来て
それを観て考えを変える…という展開だったりして?
それにしても、竹槍が出て来ると
ひじゅに的に思い出すのは『おひさま』
教師であるヒロインの教え子の女の子が両親を空襲で亡くし
幼い妹にそれを伝えるという気丈な態度を見せた直後
竹槍訓練の授業で
「お父さんを返せ、お母さんを返せ」
と、藁人形に向かって行ったシーンは今思い出しても泣けるよ。
一平の方は、百久利さんが戦死したとの知らせが入り
(彼も福助もまさにフラグ通りだったな^^;)
愛国物の芝居をしていた自分を責め、酒浸りに。
ここは予想通りというか、この時代に欠かせない要素ではあるけど
前作『エール』でも描いたネタだから、あまり深くは掘り下げないだろうな。
それから、農家に食糧調達に行く千代。
「お金やったら払いますさかい」
は、ちょっと違和感あったけど>そんなにお金持ってるのか?
「ちょっとは世の中の役に立つことしてみいな」
役者であることでボロクソに貶されたところは心に来た。
しかも、これは「皆を喜ばせたい」という千代の信念を
真っ向から否定するもの。
帰り道は、かつて故郷を離れ奉公に出て行く時に通った道に似ている。
テルヲが追いかけて来て、一瞬希望を持ったのに、あっという間に砕かれた
あの道を思い出させる。
ここでまた重い現実が押し寄せてきて
支えであり救いである芝居の台詞が消えてしまう。
芝居がかった作りのこのドラマなだけに
芝居と現実という対比が辛い。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

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かぼちゃ

西陣の帯

もうそろそろ潮時かな…
と思う今日この頃。
…ひじゅにですが何か?
「うちがやりたかっただけなんや」by千代
↑もっと芝居に対する思い入れを描いてほしいと願ってきたけど
今日になって唐突に入れて来たな(笑)
役者って、ただ演技が好きとかだけでなく
舞台の味を知ってしまうと辞められなくなると聞く。
魅せられる…ちゅーヤツでせうか。
千代がずっと言って来た様に
誰かを喜ばせたい!
というのも立派な動機であり目標だけど
今の様な緊急事態では、それは叶わない夢。
ならば諦めてしまうのか?>少なくとも今は
いや、魅せられてしまった後では、それは無理。
「ず~っと大好きな芝居してたい」
その思いだけは捨てられない。
エゴかもしれないけど…ならば、エゴ上等!ってとこだよね。
「そしたらきっと辛いことも乗り越えられる」
心の支えであり救いの手段だから。
毎夜こっそり家を抜け出し、昼間は居眠りしている千代。
いつの間にやら、そういう状況になっている(笑)
「あれは密会やな」
このご時世に真っ先に男女のことが頭に浮かぶ、みつえ。
ちょっとお花畑過ぎない?という気もするけど
これって、後のシーン(福助戦死)への前振り?
一平が様子を探りに行くと、千代は猫を相手に小声で芝居の稽古。
稽古っちゅーか、台詞を呟いているだけ。
仲間も客もいなくなってしまったし、大声を出せば警官が来るし…
今、芝居といったら、できるのはこれだけ。
それでも、そうし続ける千代の姿は美しいし悲壮でもある。
なのに、家に戻れば…現実が待っている。
最初から手に入らず、ひたすら理想を求めていた千代に対し
みつえは一度は手にしていたものが次々と零れ落ちていく。
喪失感が半端ないだろうな。
千代が何も持たないから、代わりに、みつえで描いているのだろうけど
多くのことが一度に降りかかって気の毒過ぎるなあ。
おまけに脇役だから、脇に全て担わせて…って印象を受ける人達も出て来るし。
ちょっと引っかかったのは―
*「みつえ、落ち着き落ち着き」
みつえを宥める千代。
何も持たないちゅーても、今は一平と寛治君がいて
その寛治君が旅立って行って
…千代は初めて失う苦しみいを知ったところ。
みつえの気持ちが分かると言ったばかり。
おまけに、ついさっきまで、自分の気持ちを抑えきれず
こっそり猫相手に芝居をしていたところ。
だったら、宥めるのではなく
思いっきり泣かせてあげてほしかった気がする。
*「ええかげんにしなはれ!」
寝込む娘に発破をかけるシズさん。
極めてシズさんらしい。
らしいけど…今のみつえは、それに応えられる状態じゃない。
シズさんもそれを承知で、叱りつけた後で抱き合って泣く…
とかなら良かったんだけどなあ。
一方、一福君は少年兵になることを決意。
父親に諭されて一旦は諦めた様だったのに
父親の仇を討つという動機ができてしまった。
子供の目から見た戦争…とか
洗脳された当時の子供の心境…とかを
一福君を通して描くのかな?
案外、千代達が芝居をすることが出来て
それを観て考えを変える…という展開だったりして?
それにしても、竹槍が出て来ると
ひじゅに的に思い出すのは『おひさま』
教師であるヒロインの教え子の女の子が両親を空襲で亡くし
幼い妹にそれを伝えるという気丈な態度を見せた直後
竹槍訓練の授業で
「お父さんを返せ、お母さんを返せ」
と、藁人形に向かって行ったシーンは今思い出しても泣けるよ。
一平の方は、百久利さんが戦死したとの知らせが入り
(彼も福助もまさにフラグ通りだったな^^;)
愛国物の芝居をしていた自分を責め、酒浸りに。
ここは予想通りというか、この時代に欠かせない要素ではあるけど
前作『エール』でも描いたネタだから、あまり深くは掘り下げないだろうな。
それから、農家に食糧調達に行く千代。
「お金やったら払いますさかい」
は、ちょっと違和感あったけど>そんなにお金持ってるのか?
「ちょっとは世の中の役に立つことしてみいな」
役者であることでボロクソに貶されたところは心に来た。
しかも、これは「皆を喜ばせたい」という千代の信念を
真っ向から否定するもの。
帰り道は、かつて故郷を離れ奉公に出て行く時に通った道に似ている。
テルヲが追いかけて来て、一瞬希望を持ったのに、あっという間に砕かれた
あの道を思い出させる。
ここでまた重い現実が押し寄せてきて
支えであり救いである芝居の台詞が消えてしまう。
芝居がかった作りのこのドラマなだけに
芝居と現実という対比が辛い。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

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