海が見たい>『エール』第119話 - 2020.11.26 Thu
小山田先生(というより志村けん)の笑顔と
部屋から海へと変わる演出が良かった。
ちょっとウルッとしてしまうほどに。
…ひじゅにですが何か
「小山田先生から続く日本の音楽の正統派後継者」by広松
昨日ラストで突然現れた広松さんの目的は、弟子入り志願ではなく
インタビューだった(笑)
まあ、こういう形で終盤に付き物の“THE回想”を行うのは
『エール』なりの工夫か?
で、この↑台詞から小山田先生の手紙に繋げたわけなのだろうけど
途中で電話が鳴って広松さんの言葉が消えたり
イキナリ13年前の回想になったり…って流れは
イマイチだった気がする>スマソ
華ちゃんの結婚式の後、時間ワープが著しく
今現在(広松さんのインタビュー中)のこともよく分かっていないのに
途中で13年前に戻ったりして
ももももしかして、今迄ずっと時間経過が分かり難かったのはワザと?
今日のはその集大成?
それとも開き直り?
小山田先生の手紙は裕一の声で再生。
ドラマでは大抵、途中から差出人本人の声に代わるもの。
最後まで裕一の声のままだったところに、志村けんさんの死を再確認(涙)
「笑顔は子供みたいにチャーミングです」by猿橋
こう付け加えたくなるくらい、猿橋さんにとって小山田先生は
本当に魅力的で愛すべき人物だったのだろう。
裕一に対しては黒い面を前面に出してしまったけれど
死を前にして、こんな手紙を書ける先生はやはり良い人だったのだろう。
ここが付け加えられたのは良かった。
昨日、このドラマにおける「才能」問題は音に帰結するのか?
…と書いたけど
小山田先生のことを忘れていたよ。
本当は、この2人の関係性がドラマの軸だったのかも?
「才能」のある人と「才能」のない人との
もしくは、「才能」の豊かな人と「才能」が乏しい人との
確執を描きたかったのかも?
勿論、小山田先生も「才能」の豊かな人だっただろうけど
裕一は真の天才だったのだろう。
「才能」の有無、もしくは「才能」の差…
音や五郎さんだけでなく
子供時代は、裕一だけでなく、鉄男に久志と「才能」ある人物が複数登場したけど
彼らを導いた藤堂先生は、自分に「才能」がないと悟り、歩みかけた道を断念した。
スピンオフの環さんと元彼の話も
結局のところは恋愛よりも「才能」の有無の物語だった。
梅ちゃんと、先に作家デビューした友達も
裕一と木枯さんも、ある意味。
脇の話でも、早稲田の応援団長も
野球そのものではなく応援団を選んだところに表れている。
「私は音楽を愛していた
君は音楽から愛されていた」by小山田
まあ、ちょっと映画『アマデウス』を彷彿とさせるけれども
ももももしかして、本当はこれがベースだったりして?
今頃気付くひじゅにがボンクラなだけかもしれないけど(笑)
もしも本当にそうした意図があったのなら
やはり、お遊び部分を前面に出さず、もっと突っ込んだ描き方をしてほしかったな。
お遊びが悪いというわけじゃないよ。
ドラマとしての根幹がしっかりとあった上でのお遊びなら凄く楽しかったと思う。
ともあれ
裕一は小山田先生に潰されたのでも、逆に駆逐したのでもなく
根底はしっかりと受け継いで「日本の音楽の正統派後継者」となった。
大団円っちゅーやつッスね。
「もう僕の中にある音楽を僕だけで楽しみたいんだ」by裕一
広松さんの望みは
裕一が音楽を続けることと>今、病人抱えているんですけど何か?
後継者を育ててほしい>あ、やっぱ弟子入り志願と言えるか?
ってことらしいけど、キッパリ断る裕一。
ある意味、小山田先生の自分への仕打ちと似ている?
でも、裕一が却ってそれで「才能を開花」したのだと思うから
広松君達も頑張れ!
そして音との海辺のシーン。
裸足の音>病人を裸足で歩かせるなよ!ってのは置いといて
その足元がフローリングから砂浜に代わり
おぼつかない足取りが駆け足になり
若い日の2人が映し出されたところは非常に良かった。
裕一の最後の笑い声が
「イヒヒ」
だったのは、ご愛敬?>ぇ
ただ、タイトルが出た後とはいえ
現実に引き戻される挨拶シーンは、ちょっとイマイチ。
もうちょい余韻が欲しかったな。
まあ、特別な事情下だから、出演者としての言葉も必要だったのかもしれず
ここは好みの問題かもね。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

ブルーレイBOX-2>2021年01月22日発売

古関裕而が愛した郷土料理>阿武隈の紅葉漬

Documentary of 窪田正孝 in エール>2020年12月04日頃発売

部屋から海へと変わる演出が良かった。
ちょっとウルッとしてしまうほどに。
…ひじゅにですが何か
「小山田先生から続く日本の音楽の正統派後継者」by広松
昨日ラストで突然現れた広松さんの目的は、弟子入り志願ではなく
インタビューだった(笑)
まあ、こういう形で終盤に付き物の“THE回想”を行うのは
『エール』なりの工夫か?
で、この↑台詞から小山田先生の手紙に繋げたわけなのだろうけど
途中で電話が鳴って広松さんの言葉が消えたり
イキナリ13年前の回想になったり…って流れは
イマイチだった気がする>スマソ
華ちゃんの結婚式の後、時間ワープが著しく
今現在(広松さんのインタビュー中)のこともよく分かっていないのに
途中で13年前に戻ったりして
ももももしかして、今迄ずっと時間経過が分かり難かったのはワザと?
今日のはその集大成?
それとも開き直り?
小山田先生の手紙は裕一の声で再生。
ドラマでは大抵、途中から差出人本人の声に代わるもの。
最後まで裕一の声のままだったところに、志村けんさんの死を再確認(涙)
「笑顔は子供みたいにチャーミングです」by猿橋
こう付け加えたくなるくらい、猿橋さんにとって小山田先生は
本当に魅力的で愛すべき人物だったのだろう。
裕一に対しては黒い面を前面に出してしまったけれど
死を前にして、こんな手紙を書ける先生はやはり良い人だったのだろう。
ここが付け加えられたのは良かった。
昨日、このドラマにおける「才能」問題は音に帰結するのか?
…と書いたけど
小山田先生のことを忘れていたよ。
本当は、この2人の関係性がドラマの軸だったのかも?
「才能」のある人と「才能」のない人との
もしくは、「才能」の豊かな人と「才能」が乏しい人との
確執を描きたかったのかも?
勿論、小山田先生も「才能」の豊かな人だっただろうけど
裕一は真の天才だったのだろう。
「才能」の有無、もしくは「才能」の差…
音や五郎さんだけでなく
子供時代は、裕一だけでなく、鉄男に久志と「才能」ある人物が複数登場したけど
彼らを導いた藤堂先生は、自分に「才能」がないと悟り、歩みかけた道を断念した。
スピンオフの環さんと元彼の話も
結局のところは恋愛よりも「才能」の有無の物語だった。
梅ちゃんと、先に作家デビューした友達も
裕一と木枯さんも、ある意味。
脇の話でも、早稲田の応援団長も
野球そのものではなく応援団を選んだところに表れている。
「私は音楽を愛していた
君は音楽から愛されていた」by小山田
まあ、ちょっと映画『アマデウス』を彷彿とさせるけれども
ももももしかして、本当はこれがベースだったりして?
今頃気付くひじゅにがボンクラなだけかもしれないけど(笑)
もしも本当にそうした意図があったのなら
やはり、お遊び部分を前面に出さず、もっと突っ込んだ描き方をしてほしかったな。
お遊びが悪いというわけじゃないよ。
ドラマとしての根幹がしっかりとあった上でのお遊びなら凄く楽しかったと思う。
ともあれ
裕一は小山田先生に潰されたのでも、逆に駆逐したのでもなく
根底はしっかりと受け継いで「日本の音楽の正統派後継者」となった。
大団円っちゅーやつッスね。
「もう僕の中にある音楽を僕だけで楽しみたいんだ」by裕一
広松さんの望みは
裕一が音楽を続けることと>今、病人抱えているんですけど何か?
後継者を育ててほしい>あ、やっぱ弟子入り志願と言えるか?
ってことらしいけど、キッパリ断る裕一。
ある意味、小山田先生の自分への仕打ちと似ている?
でも、裕一が却ってそれで「才能を開花」したのだと思うから
広松君達も頑張れ!
そして音との海辺のシーン。
裸足の音>病人を裸足で歩かせるなよ!ってのは置いといて
その足元がフローリングから砂浜に代わり
おぼつかない足取りが駆け足になり
若い日の2人が映し出されたところは非常に良かった。
裕一の最後の笑い声が
「イヒヒ」
だったのは、ご愛敬?>ぇ
ただ、タイトルが出た後とはいえ
現実に引き戻される挨拶シーンは、ちょっとイマイチ。
もうちょい余韻が欲しかったな。
まあ、特別な事情下だから、出演者としての言葉も必要だったのかもしれず
ここは好みの問題かもね。
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ブルーレイBOX-2>2021年01月22日発売

古関裕而が愛した郷土料理>阿武隈の紅葉漬

Documentary of 窪田正孝 in エール>2020年12月04日頃発売

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