慰問>『エール』第85話 - 2020.10.09 Fri
昨日、裕一のスタンスが明らかになったから
今日は、それが試される回?
我が身可愛さで慰問を断ったりしたら
それこそ、今迄の行為は、音楽は、何のため…?
ってことになっちゃうもんな。
…ひじゅにですが何か?
「ギリシャ神話では神々まで戦ってるんだから」by保
ギリシャ神話って、めちゃくちゃ人間臭い物語だよね。
「神々まで」じゃなくて
人間ならでは…ってのを凝縮しているんじゃないかと思う。
結論
無駄に戦い合う=人間だもの
慰問の依頼を引き受けた裕一の図ぅ―
裕一にどれだけ肩入れできているか…
共感とかまで行かなくとも、それなりに納得でき
どんな描き方であれ、取り合えずは裕一の視点に立つことができているか…
その度合いによって、今日の話の受け取り方は違ってくると思う。
申し訳ないが
とってもとっても申し訳ないが
毎日観ているから、それなりの愛着は持てているとは思うものの
ツッコミどころの方い目が行ってしまう方なもので
今日は何だか、必要以上に被害者意識というか
悲劇的に描き過ぎなんじゃ…と感じてしまった>スマソ
勿論、自分の身内が戦地へ行くなんてことになったら
心配に決まっているし、できれば阻止したい。
でもさ…
危険は危険だけど
兵隊としてではない=実際に武器を持って戦うわけではない
わけだから
少なくとも、勘助@『カーネーション』の様にはならないだろう。
あれは絶対に、被害者ではなく加害者になってしまった故の
PTSDだと思うから。
それに
兵隊として送り出す音楽を作って来た立場である以上
あまりドラマチックに盛り上げた演出にするのは却って気の毒というか…
「僕の曲作りは人との触れ合いの中で生まれてきました」
そういうことにしたいのは分かるけど
そういうことだと素直に納得できるほど十分に描かれてきたとは言えない(酷)
特にその肝心な音楽に関して…ね。
確かに、消極的だった裕一は、常に周囲に動かされてきた。
例えば“川俣銀行”時代。
養子なるために音楽を自ら封印していた裕一を
周囲が励まし、心を開かせた
…という風なら、それなりに感動したかもしれないけど
実際兄は、かなり無理くり、かなり一方的(笑)
まあ、「お節介」も朝ドラ“お約束”ではあるけどね。
土台となるべきものがイマイチなので、この言葉も上滑り(酷)
ただ、そんな風に
周囲によって前進させられてきた(かの様になってしまった)のに
周囲に反対される中、本人が進んで行く―
という真逆の状況になっているのは、ちょっと興味深い。
出征できない後ろめたさが尚更、裕一を戦意高揚へと駆り立てている
…という様なことを音が言っていたけど
だったら、ここで慰問を断ることなどできるはずがない。
「前線での貴殿の活躍に期待する」by小山田
裕一を西洋音楽ではなく流行歌の部門に推薦した小山田先生だから
ちょっと、ここに黒いものを感じてしまう…のは過敏ですねそうですね(笑)
ただ、ここでちょびっと
プロの道に入った初期の頃のことを思い出す。
裕一は、どこまでもヘタレで(笑)
音は、そんな夫を引っ張っていた。
小山田先生の所へも談判に行ったことがあったよね。
それと重ねての今回のこのエピかな?
あの時とは正反対に
裕一は自ら前進し
音は反対はするものの誰かに抗議に行くことはできない。
ちゅーても
成長ではなく、時代を描いているのだと思う。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

かぼちゃのケーキ
マリリン・モンロー 韓国慰問ツアー 1954

大豆コーヒー
今日は、それが試される回?
我が身可愛さで慰問を断ったりしたら
それこそ、今迄の行為は、音楽は、何のため…?
ってことになっちゃうもんな。
…ひじゅにですが何か?
「ギリシャ神話では神々まで戦ってるんだから」by保
ギリシャ神話って、めちゃくちゃ人間臭い物語だよね。
「神々まで」じゃなくて
人間ならでは…ってのを凝縮しているんじゃないかと思う。
結論
無駄に戦い合う=人間だもの
慰問の依頼を引き受けた裕一の図ぅ―
裕一にどれだけ肩入れできているか…
共感とかまで行かなくとも、それなりに納得でき
どんな描き方であれ、取り合えずは裕一の視点に立つことができているか…
その度合いによって、今日の話の受け取り方は違ってくると思う。
申し訳ないが
とってもとっても申し訳ないが
毎日観ているから、それなりの愛着は持てているとは思うものの
ツッコミどころの方い目が行ってしまう方なもので
今日は何だか、必要以上に被害者意識というか
悲劇的に描き過ぎなんじゃ…と感じてしまった>スマソ
勿論、自分の身内が戦地へ行くなんてことになったら
心配に決まっているし、できれば阻止したい。
でもさ…
危険は危険だけど
兵隊としてではない=実際に武器を持って戦うわけではない
わけだから
少なくとも、勘助@『カーネーション』の様にはならないだろう。
あれは絶対に、被害者ではなく加害者になってしまった故の
PTSDだと思うから。
それに
兵隊として送り出す音楽を作って来た立場である以上
あまりドラマチックに盛り上げた演出にするのは却って気の毒というか…
「僕の曲作りは人との触れ合いの中で生まれてきました」
そういうことにしたいのは分かるけど
そういうことだと素直に納得できるほど十分に描かれてきたとは言えない(酷)
特にその肝心な音楽に関して…ね。
確かに、消極的だった裕一は、常に周囲に動かされてきた。
例えば“川俣銀行”時代。
養子なるために音楽を自ら封印していた裕一を
周囲が励まし、心を開かせた
…という風なら、それなりに感動したかもしれないけど
実際兄は、かなり無理くり、かなり一方的(笑)
まあ、「お節介」も朝ドラ“お約束”ではあるけどね。
土台となるべきものがイマイチなので、この言葉も上滑り(酷)
ただ、そんな風に
周囲によって前進させられてきた(かの様になってしまった)のに
周囲に反対される中、本人が進んで行く―
という真逆の状況になっているのは、ちょっと興味深い。
出征できない後ろめたさが尚更、裕一を戦意高揚へと駆り立てている
…という様なことを音が言っていたけど
だったら、ここで慰問を断ることなどできるはずがない。
「前線での貴殿の活躍に期待する」by小山田
裕一を西洋音楽ではなく流行歌の部門に推薦した小山田先生だから
ちょっと、ここに黒いものを感じてしまう…のは過敏ですねそうですね(笑)
ただ、ここでちょびっと
プロの道に入った初期の頃のことを思い出す。
裕一は、どこまでもヘタレで(笑)
音は、そんな夫を引っ張っていた。
小山田先生の所へも談判に行ったことがあったよね。
それと重ねての今回のこのエピかな?
あの時とは正反対に
裕一は自ら前進し
音は反対はするものの誰かに抗議に行くことはできない。
ちゅーても
成長ではなく、時代を描いているのだと思う。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

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