一番大事なこと>『エール』第50話 - 2020.06.05 Fri
冒頭の、音がいない練習室で
千鶴子さんに近付いて行く後ろ姿の女生徒が
音と似た髪型なので、一瞬、音かと思ってしまった(笑)
ワザと後ろしか映さなかったってことは
ワザと見間違えさせようとしたってこと?
音がひとまず音楽を諦め
ヴィオレッタ役を千鶴子さんに託すことになるとの
前振り?
…考え過ぎ?
…ひじゅにですが何か?
「ほとんどの人が茨の道ではなく平穏な幸せを選ぶ」
by環
「平穏な幸せ」って、よく聞く言葉ではあるけど
「平穏な幸せ」なんて現実にはそうそうないと思うよ。
そりゃあ、環さんが歩んできた世界的な歌姫の道は
相当大変なものだっただろう。
でも、子供を産み育てるのだって相当大変なんじゃ…
自ら歩む道を「茨の道」と表現する環さん。
実際に苦労してきたのも勿論あるけれど
それが誇りにもなっている…と思う。
それに対し「平穏な幸せ」という表現は
少し見下す気持ちがあるのと同時に
妬みや僻みも含まれているという気がする(酷)
無いものねだりじゃないけどさ
2つの道の内、どちらかを選ばなければならないとしたら
選んだ方に誇りを持つと共に
選ばなかった方に少しばかりのコンプレックスは残ると思う。
良い悪いじゃなくてね。
人間って、そんなものじゃないかと…
でさ、肝心の音はというと
やはり「強欲」なだけあって(笑)
両方選んでしまうってのが良い。
かなり現代風ではあるけれども。
「仕事と私、どっちを選ぶの?」
朝ドラに割と多い台詞
大抵、ヒロインが相手役の男性に向かって言うんだけど
これって実はブーメランで
朝ドラ・ヒロインって、大抵
夢と家庭の両立に悩むことになっている。
ついでに言うと
一応、両立はするものの
周囲に迷惑かけ放題…というのが多い(笑)
子供は誰かに預けっ放しとかさ。
音はどうなるのだろう?
正直言って、音のキャラは今でも、あまり好きになれない>スマソ
でも、今回はちょっと良かった気がする。
何としてでも夢を叶えたいとジタバタするところは
必死さよりも身勝手さを強く感じて少しばかり不快ではあったけど
でも、アッサリ諦めるのではなく最後までジタバタ…ってところは良いんでない?
頑張ればできそう…な余地を残したままでは残念感が残るけど
音の歌は本当にダメダメな状態にまで追い込まれてしまったから。
「子供ができたのは嬉しい」
と、子供にもちゃんと情があることを示してもいたから。
「僕は作曲家として声楽家の君に伝えたいこと言う」
いつもは周囲にも音にも支えられてばかりの裕一が
今日は強く妻に向かう。
以前、豊橋での音楽会の時にも、そんな面を見せたことがあったよね。
時々こうして裕一自身の強さを見せるという逆転があった方が良い。
「美しいメロディーも表現できないし、聴く人を不安にさせる
そんな歌しか歌えないんじゃ、お客さんにも失礼だ」
聴く側の気持ちを考えさせたのも良かった。
千鶴子さんは聴衆のことを考えて歌うと言ったのに対し
音は「歌って楽しい」と自分の気持ちにばかり向いていた。
あの時の回収だね。
「その夢、僕に預けてくんないか」
少し先に延ばすだけで諦める必要はない…というのが良いよね。
「君にもいつか僕の夢を叶えてほしい」
裕一が包容力を示す…というだけではなく
お互いがお互いの夢を叶える…という考え方が良い。
「僕の作った曲で君がおっきな…おっきな舞台で歌う」
音楽の道を歩むのは同じでも、2人は別々の所に立っていた。
それがやっと、ひとつになるということで
ドラマ的にもやっと(ある意味)スタート台に立ったと言えるのかもね。
ちゅーことで、音は両方取り。
まさに「強欲」(笑)
彼女より遥か上に立っていた環さんが
初めて少し揺らぐ…
でもさ、あれだけ騒いでいた『椿姫』の舞台はまるっと省略?
幾ら音との関わりがなくなったからとはいえ少しくらいは…
これじゃ“喫茶バンブー”夫婦の寸劇しか印象に残らないじゃん>ぉ
あ、ここで、千鶴子&久志による華麗な歌声を流してしまったら
いずれ披露することになるかもしれない音の歌唱が霞んでしまうから?>こらこら
出産が半年後というのは
音が悩んでアレコレして遂に決断を下すまで
何か月もかかったってこと?
鉄男の屋台のおでんは串付き。
静岡おでんは串付きなのが有名だけど、福島もそうなの?
単に、残された串の数で客が食べた量を見て会計しやすくするため?
最後は食べ物に関する疑問になるのが、ひじゅにらしい?
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

串立て

ラフマニノフ『音の絵』他

メガ盛り野菜セット
千鶴子さんに近付いて行く後ろ姿の女生徒が
音と似た髪型なので、一瞬、音かと思ってしまった(笑)
ワザと後ろしか映さなかったってことは
ワザと見間違えさせようとしたってこと?
音がひとまず音楽を諦め
ヴィオレッタ役を千鶴子さんに託すことになるとの
前振り?
…考え過ぎ?
…ひじゅにですが何か?
「ほとんどの人が茨の道ではなく平穏な幸せを選ぶ」
by環
「平穏な幸せ」って、よく聞く言葉ではあるけど
「平穏な幸せ」なんて現実にはそうそうないと思うよ。
そりゃあ、環さんが歩んできた世界的な歌姫の道は
相当大変なものだっただろう。
でも、子供を産み育てるのだって相当大変なんじゃ…
自ら歩む道を「茨の道」と表現する環さん。
実際に苦労してきたのも勿論あるけれど
それが誇りにもなっている…と思う。
それに対し「平穏な幸せ」という表現は
少し見下す気持ちがあるのと同時に
妬みや僻みも含まれているという気がする(酷)
無いものねだりじゃないけどさ
2つの道の内、どちらかを選ばなければならないとしたら
選んだ方に誇りを持つと共に
選ばなかった方に少しばかりのコンプレックスは残ると思う。
良い悪いじゃなくてね。
人間って、そんなものじゃないかと…
でさ、肝心の音はというと
やはり「強欲」なだけあって(笑)
両方選んでしまうってのが良い。
かなり現代風ではあるけれども。
「仕事と私、どっちを選ぶの?」
朝ドラに割と多い台詞
大抵、ヒロインが相手役の男性に向かって言うんだけど
これって実はブーメランで
朝ドラ・ヒロインって、大抵
夢と家庭の両立に悩むことになっている。
ついでに言うと
一応、両立はするものの
周囲に迷惑かけ放題…というのが多い(笑)
子供は誰かに預けっ放しとかさ。
音はどうなるのだろう?
正直言って、音のキャラは今でも、あまり好きになれない>スマソ
でも、今回はちょっと良かった気がする。
何としてでも夢を叶えたいとジタバタするところは
必死さよりも身勝手さを強く感じて少しばかり不快ではあったけど
でも、アッサリ諦めるのではなく最後までジタバタ…ってところは良いんでない?
頑張ればできそう…な余地を残したままでは残念感が残るけど
音の歌は本当にダメダメな状態にまで追い込まれてしまったから。
「子供ができたのは嬉しい」
と、子供にもちゃんと情があることを示してもいたから。
「僕は作曲家として声楽家の君に伝えたいこと言う」
いつもは周囲にも音にも支えられてばかりの裕一が
今日は強く妻に向かう。
以前、豊橋での音楽会の時にも、そんな面を見せたことがあったよね。
時々こうして裕一自身の強さを見せるという逆転があった方が良い。
「美しいメロディーも表現できないし、聴く人を不安にさせる
そんな歌しか歌えないんじゃ、お客さんにも失礼だ」
聴く側の気持ちを考えさせたのも良かった。
千鶴子さんは聴衆のことを考えて歌うと言ったのに対し
音は「歌って楽しい」と自分の気持ちにばかり向いていた。
あの時の回収だね。
「その夢、僕に預けてくんないか」
少し先に延ばすだけで諦める必要はない…というのが良いよね。
「君にもいつか僕の夢を叶えてほしい」
裕一が包容力を示す…というだけではなく
お互いがお互いの夢を叶える…という考え方が良い。
「僕の作った曲で君がおっきな…おっきな舞台で歌う」
音楽の道を歩むのは同じでも、2人は別々の所に立っていた。
それがやっと、ひとつになるということで
ドラマ的にもやっと(ある意味)スタート台に立ったと言えるのかもね。
ちゅーことで、音は両方取り。
まさに「強欲」(笑)
彼女より遥か上に立っていた環さんが
初めて少し揺らぐ…
でもさ、あれだけ騒いでいた『椿姫』の舞台はまるっと省略?
幾ら音との関わりがなくなったからとはいえ少しくらいは…
これじゃ“喫茶バンブー”夫婦の寸劇しか印象に残らないじゃん>ぉ
あ、ここで、千鶴子&久志による華麗な歌声を流してしまったら
いずれ披露することになるかもしれない音の歌唱が霞んでしまうから?>こらこら
出産が半年後というのは
音が悩んでアレコレして遂に決断を下すまで
何か月もかかったってこと?
鉄男の屋台のおでんは串付き。
静岡おでんは串付きなのが有名だけど、福島もそうなの?
単に、残された串の数で客が食べた量を見て会計しやすくするため?
最後は食べ物に関する疑問になるのが、ひじゅにらしい?
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