幸せ>『スカーレット』最終話 - 2020.03.28 Sat
朝ドラって、大抵
“夢”を追うヒロインの物語であるはずなのに
ホームドラマ・パートに重きを置くので
物足りないなあ…と感じることが多い
でも、この『スカーレット』は
そうした“お約束”とは別に
敢えて“日常”を描いたのかな…という気がする
女性陶芸家の物語を期待していた人は勿論
ホームドラマ派の人にとっても
少しばかり違う描き方だったかもしれない
…ひじゅにですが何か?
「幸せやなあ」by喜美子
武志の臨終は描かず2年後にワープ
大きな意味では予想通り。
でも、琵琶湖行きと2年後の間に挟まれたもの
喜美子の「ギュー」はちょっと予想外。
武志が子供の時にもあった風景ではあるし
あの様な状況でも「幸せ」と言える喜美子であることは
分かっていたはずだけれど。
陶芸家の母と子。
並んで、それぞれの作品に取り掛かっている。
違う形、多分違う手法。
別々の世界い没頭している。
でも、ふと目を上げれば、そこには息子の姿。
2人にとっては“日常”の風景。
いつも同じ様だけど、本当は毎回違う。
いつまでも続くはずだったけど、やがて失われてしまう。
でも、今はこうして存在している貴重なひととき。
「幸せ」とはこういうことなのだと思う。
その前に、桜&桃のピアノ発表会に行けたのは
本当に良かった。
そして2年後―
武志の姿は見えないけど、武志の作品はそこにある。
大崎先生が訪ねて来る。
「亡くなる3日前に握手をしたんです、集中治療室で…」
武志の最後の日々が目に浮かぶ。
それが直接描かれなくて良かったと思う。
直接描かれないおかげで静かで清らかとも言える悲しみを感じる。
2年も経ってからかい!?という気もするけど
2年なんてあっという間だし、その間はまだまだ色々と生々しい。
先生も忙しいし…武志の様な、また智也君の様な患者と接しているのだろう。
先生に約束した器にようやく取り掛かる。
先生も一緒に。
喜美子はまた一人で食事している。
でも多分、以前に抱いていた孤独感とは違う気持ち。
八郎さんがやって来る。
復縁という安易な着地ではなく
寧ろ八郎さんは卵殻手という新しい“夢”に向かおうとしている。
「言うてしもた」
「聞いてしもた」
武志との思いでを穏やかに、笑顔で話せる様になっている。
武志と真奈が歩いた道を喜美子が歩いている。
武志を偲んでのことか、単に用事があったからかは分からないけど
このドラマには珍しい外のシーンだから物凄く印象に残った。
百合子や照子もやって来る。
それはいつもの“日常”の風景。
穴窯に火を入れる喜美子。
それもまた、貴美子にとっては“日常”
“荒木荘”の頃もフカ先生に弟子入りした頃も
他ドラマなら大いに盛り上げて描いたと思われる修行時代は素っ飛ばすし
穴窯で成功し一流の陶芸家として認められるまでの
いわゆるサクセス・ストーリーをも素っ飛ばしてきた今作。
それはやはり…“日常”部分ではなかったからかな?
穴窯に取り組んだ時の狂気じみた様子や
ちょっとダラダラし過ぎちゃう?と思われた恋話はどうなのか?
いやいや、あれは喜美子にとっては“日常”(笑)
「変わらない一日は特別な一日」
当たり前の様な“日常”の大切さ
その幸福―
それと、大崎先生と武志の最後の握手に象徴される
人と人との繋がり―
それらを描いたドラマだったのだろう。
女性陶芸家の物語でも
病死する息子とその母の物語でもなく。
とはいえ、完璧な作品と思っているわけではなく
不満も結構あったんだけどね(^^;)
でも、今はそれを言う気にならないほど
美しい最終話だったと思う。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

幸せの白い花

卵殻手

赤カブ

“夢”を追うヒロインの物語であるはずなのに
ホームドラマ・パートに重きを置くので
物足りないなあ…と感じることが多い
でも、この『スカーレット』は
そうした“お約束”とは別に
敢えて“日常”を描いたのかな…という気がする
女性陶芸家の物語を期待していた人は勿論
ホームドラマ派の人にとっても
少しばかり違う描き方だったかもしれない
…ひじゅにですが何か?
「幸せやなあ」by喜美子
武志の臨終は描かず2年後にワープ
大きな意味では予想通り。
でも、琵琶湖行きと2年後の間に挟まれたもの
喜美子の「ギュー」はちょっと予想外。
武志が子供の時にもあった風景ではあるし
あの様な状況でも「幸せ」と言える喜美子であることは
分かっていたはずだけれど。
陶芸家の母と子。
並んで、それぞれの作品に取り掛かっている。
違う形、多分違う手法。
別々の世界い没頭している。
でも、ふと目を上げれば、そこには息子の姿。
2人にとっては“日常”の風景。
いつも同じ様だけど、本当は毎回違う。
いつまでも続くはずだったけど、やがて失われてしまう。
でも、今はこうして存在している貴重なひととき。
「幸せ」とはこういうことなのだと思う。
その前に、桜&桃のピアノ発表会に行けたのは
本当に良かった。
そして2年後―
武志の姿は見えないけど、武志の作品はそこにある。
大崎先生が訪ねて来る。
「亡くなる3日前に握手をしたんです、集中治療室で…」
武志の最後の日々が目に浮かぶ。
それが直接描かれなくて良かったと思う。
直接描かれないおかげで静かで清らかとも言える悲しみを感じる。
2年も経ってからかい!?という気もするけど
2年なんてあっという間だし、その間はまだまだ色々と生々しい。
先生も忙しいし…武志の様な、また智也君の様な患者と接しているのだろう。
先生に約束した器にようやく取り掛かる。
先生も一緒に。
喜美子はまた一人で食事している。
でも多分、以前に抱いていた孤独感とは違う気持ち。
八郎さんがやって来る。
復縁という安易な着地ではなく
寧ろ八郎さんは卵殻手という新しい“夢”に向かおうとしている。
「言うてしもた」
「聞いてしもた」
武志との思いでを穏やかに、笑顔で話せる様になっている。
武志と真奈が歩いた道を喜美子が歩いている。
武志を偲んでのことか、単に用事があったからかは分からないけど
このドラマには珍しい外のシーンだから物凄く印象に残った。
百合子や照子もやって来る。
それはいつもの“日常”の風景。
穴窯に火を入れる喜美子。
それもまた、貴美子にとっては“日常”
“荒木荘”の頃もフカ先生に弟子入りした頃も
他ドラマなら大いに盛り上げて描いたと思われる修行時代は素っ飛ばすし
穴窯で成功し一流の陶芸家として認められるまでの
いわゆるサクセス・ストーリーをも素っ飛ばしてきた今作。
それはやはり…“日常”部分ではなかったからかな?
穴窯に取り組んだ時の狂気じみた様子や
ちょっとダラダラし過ぎちゃう?と思われた恋話はどうなのか?
いやいや、あれは喜美子にとっては“日常”(笑)
「変わらない一日は特別な一日」
当たり前の様な“日常”の大切さ
その幸福―
それと、大崎先生と武志の最後の握手に象徴される
人と人との繋がり―
それらを描いたドラマだったのだろう。
女性陶芸家の物語でも
病死する息子とその母の物語でもなく。
とはいえ、完璧な作品と思っているわけではなく
不満も結構あったんだけどね(^^;)
でも、今はそれを言う気にならないほど
美しい最終話だったと思う。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

幸せの白い花

卵殻手

赤カブ

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