特別な日>『スカーレット』第149話 - 2020.03.27 Fri
琵琶湖に辿り着いたところから始まったドラマだから
最後も琵琶湖で締めるみたいだな
まあ、後日談みたいなのも付けるのだろうと思うけど
…ひじゅにですが何か?
「いつもと変らない一日は特別な一日」by武志
↑まさに今、リアル世界の状況に響く言葉…
『みんなの陶芸展』開催―
そして、琵琶湖行き―
ドラマだけどドラマチックではない。
寧ろ淡々と描かれている。
物足りない気もするけど
そういうものなのかもしれない…という気もする。
だって、これもまた“日常”だから。
ちや子さんと草間さんが、なかなか顔を合わせないところは
ちょっとアザトイ様に見えてしまったけど
2人は喜美子経由で出逢ったことはなかったのね。
でも、別のところで面識はあった、と。
この偶然はもっと際立たせてほしかった気もするけど
まあ…あんなものなのかもしれないなあ…
↑達観?(笑)
ただ、喜美子と大袈裟に再会を喜び合うのではなく
ちや子さんが草間さんの手を握り武志への伝言を託したところは
人と人の繋がりというものを温かく感じさせてくれた。
喜美子の人生の節目節目に登場してくれた草間さんも
初期の頃はまさに「師匠」であったのが
奥さんに逢いに行くエピあたりから等身大の人間って感じになり
今は全く普通であり同等。
当たり前なんだけど、救いの手ってわけではない。
かつて、借金取りを追い返してくれたヒーローの様な存在ではなく
懐かしい旧友って感じ。
つまりさ
武志の現状を覆してくれる様な力は草間さんにだって持ち合わせがない
…ということ。
草間さんに過剰な期待を寄せていたってわけじゃないよ。
草間さんを責めているわけでもない。
何ちゅーかさ…もはや物理的な救いはないんだな…ということを
改めて認識してしまった。
重要なのは、やはり、人と人との繋がり。
ジョージ富士川でさえ、そう。
陶芸家として、また精神的な面で、彼は特別な光をもたらしてくれたけど
それが武志の状況そのものを変えてくれるわけではない。
こんなことを思ってしまうのは
どこかで奇跡を望んでいるからなのだろうね。
昨日、鮫島さんの名前が出た時も
それは直子の物語だと分かっているつもり
これが武志に有利に働く展開になったらドラマとしてあまりにも安易
バカバカしいと言っても良いくらいだと分かっているつもりだけど
それでも、心のどこかで、彼がドナーになってくれるんじゃ…
なんて望んでしまうくらいだから(^^;)
でも、今は、そんなことは重要ではない。
「今日がわたしの一日なら」
その続きを、会場にいる人達に、思い思いに書かせてくれるジョージ富士川。
色々な人の色々な思いが集う。
武志が書いたのは
「いつもと変らない一日は特別な一日」
本当は「変わらない」日なんてない。
毎日が特別な日。
変わらないハズのものが変わってしまうと
「いつも」と信じていたものが失われてしまうと
それらが実は多彩で喜びに満ちていたものだったと気付く。
どんなに貴重なものだったかが分かる。
震災直後もそうだったけど
パンデミックの中で今、強く思う
「日常」が恋しい。
武志の隣にいる真奈さんを「カノジョ」と呼び
何か月か先のピアノ発表会に誘ってくれる桜&桃。
明日が来ることを当たり前に信じている。
武志は決して悲観的になっているわけではなく
同じ様に無邪気に明日を信じようとしている。
そして、琵琶湖。
地理には超疎いひじゅになので、琵琶湖と信楽の位置関係とか知らない>スマソ
でも、今迄に一度も喜美子が琵琶湖に行くシーンがなかったから>引越の時以来
それなりの距離があるのだろうと思う。
ちや子さんが琵琶湖大橋の取材をすると言っていた時も
武志が智也君に作品を見せに行くと言っていた時も。
だから今回、琵琶湖に皆で行くというのは
もっと盛り上げて描いてもおかしくないと思うのだけれど
そうしないのが『スカーレット』(笑)
まあ、ここは、賛否両論ありそうだけれどね(^^;)
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

琵琶湖のナマズ>ゆきお

ピアノ発表会

わたしの1日

最後も琵琶湖で締めるみたいだな
まあ、後日談みたいなのも付けるのだろうと思うけど
…ひじゅにですが何か?
「いつもと変らない一日は特別な一日」by武志
↑まさに今、リアル世界の状況に響く言葉…
『みんなの陶芸展』開催―
そして、琵琶湖行き―
ドラマだけどドラマチックではない。
寧ろ淡々と描かれている。
物足りない気もするけど
そういうものなのかもしれない…という気もする。
だって、これもまた“日常”だから。
ちや子さんと草間さんが、なかなか顔を合わせないところは
ちょっとアザトイ様に見えてしまったけど
2人は喜美子経由で出逢ったことはなかったのね。
でも、別のところで面識はあった、と。
この偶然はもっと際立たせてほしかった気もするけど
まあ…あんなものなのかもしれないなあ…
↑達観?(笑)
ただ、喜美子と大袈裟に再会を喜び合うのではなく
ちや子さんが草間さんの手を握り武志への伝言を託したところは
人と人の繋がりというものを温かく感じさせてくれた。
喜美子の人生の節目節目に登場してくれた草間さんも
初期の頃はまさに「師匠」であったのが
奥さんに逢いに行くエピあたりから等身大の人間って感じになり
今は全く普通であり同等。
当たり前なんだけど、救いの手ってわけではない。
かつて、借金取りを追い返してくれたヒーローの様な存在ではなく
懐かしい旧友って感じ。
つまりさ
武志の現状を覆してくれる様な力は草間さんにだって持ち合わせがない
…ということ。
草間さんに過剰な期待を寄せていたってわけじゃないよ。
草間さんを責めているわけでもない。
何ちゅーかさ…もはや物理的な救いはないんだな…ということを
改めて認識してしまった。
重要なのは、やはり、人と人との繋がり。
ジョージ富士川でさえ、そう。
陶芸家として、また精神的な面で、彼は特別な光をもたらしてくれたけど
それが武志の状況そのものを変えてくれるわけではない。
こんなことを思ってしまうのは
どこかで奇跡を望んでいるからなのだろうね。
昨日、鮫島さんの名前が出た時も
それは直子の物語だと分かっているつもり
これが武志に有利に働く展開になったらドラマとしてあまりにも安易
バカバカしいと言っても良いくらいだと分かっているつもりだけど
それでも、心のどこかで、彼がドナーになってくれるんじゃ…
なんて望んでしまうくらいだから(^^;)
でも、今は、そんなことは重要ではない。
「今日がわたしの一日なら」
その続きを、会場にいる人達に、思い思いに書かせてくれるジョージ富士川。
色々な人の色々な思いが集う。
武志が書いたのは
「いつもと変らない一日は特別な一日」
本当は「変わらない」日なんてない。
毎日が特別な日。
変わらないハズのものが変わってしまうと
「いつも」と信じていたものが失われてしまうと
それらが実は多彩で喜びに満ちていたものだったと気付く。
どんなに貴重なものだったかが分かる。
震災直後もそうだったけど
パンデミックの中で今、強く思う
「日常」が恋しい。
武志の隣にいる真奈さんを「カノジョ」と呼び
何か月か先のピアノ発表会に誘ってくれる桜&桃。
明日が来ることを当たり前に信じている。
武志は決して悲観的になっているわけではなく
同じ様に無邪気に明日を信じようとしている。
そして、琵琶湖。
地理には超疎いひじゅになので、琵琶湖と信楽の位置関係とか知らない>スマソ
でも、今迄に一度も喜美子が琵琶湖に行くシーンがなかったから>引越の時以来
それなりの距離があるのだろうと思う。
ちや子さんが琵琶湖大橋の取材をすると言っていた時も
武志が智也君に作品を見せに行くと言っていた時も。
だから今回、琵琶湖に皆で行くというのは
もっと盛り上げて描いてもおかしくないと思うのだけれど
そうしないのが『スカーレット』(笑)
まあ、ここは、賛否両論ありそうだけれどね(^^;)
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

琵琶湖のナマズ>ゆきお

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