生きている音>『スカーレット』第146話 - 2020.03.24 Tue
随分前に読んだので、うろ覚えだけど
『テレヴィジョンシティ』(長野まゆみ著)の主人公が味覚障害で
意地悪なクラスメートにクッションの中身か何かを食べさせられた
…というエピソードがあったっけな
彼の親友は烈火のごとく怒ったけれど
本人は味が分からないので、食感は寧ろ良かったと内心思っていたのだった
武志の周囲にはそういう嫌な人がいなくて良かった
…ひじゅにですが何か?
「生きていくために、食べて下さい」by喜美子
これまた私事なんだけれども…
祖母の介護をしていた時のこと。
飲み込む力が弱くなり、誤飲を防ぐため
食べ物は全て細かくし、かつトロミを付けなければならなかった。
美味しそうには見えなかったし、それ以上工夫し様もなかったし
本人も嫌がったけど
食べなければ死んでしまうから、毎回強く促していた。
老いは止めることはできない。
死は遠い先のことではない。
それでも、少しでも生きていてほしいから食べてくれることを願った。
武志ももう、ただ死を待つしか仕方ない状態なのだろう。
実際、どんどん弱って行く。
「変わらない一日」はほとんど崩れ去った。
我が子が
人生の良いところも悪いところもまだ碌に経験しないまま
死に向かっていくのを止める術もないまま…
喜美子の気持ちは安易に推し量れない。
武志の大皿が
完成したので、もう終わりかと思っていた大皿が
「生きている」音を立てる。
「貫入」
焼きあがった後、釉薬と素地との収縮度の違いから
ひびの様な状態になって固まることを言うのだそうだ。
皿の形状のせいか釉薬の塗り方のせいか…と問う武志に
「そやろな」とそっけない返事をする喜美子。
これが喜美子の教え方なんだろうな。
簡単に答えてしまうのではなく、本人に考えさせる。
以前にも何度か見たことがある様な気がするし
今の様な状態になっても変に甘くならないところが喜美子らしい。
貫入が落ち着いてからも
「ほんでも生きてるで、作品は生き物や」
と、肝心なところを教える喜美子。
これが陶芸の神髄であり、面白さでもあるのだろう。
象徴でもあるよね。
作者が亡くなった後も作品は生きている。
喜美子が拾った、あの欠片の様に。
「ご飯食べるんが今日の仕事や」by武志
一日を過ごすことが闘いになっている。
そんな時にもたらされたのが
「みんなの陶芸展」
陶芸家だけでなく一般人の作品も展示するということで
武志も参加を表明。
「親の力借りて出品するんか?」
「自分で頭下げなさい」
こういうところも厳しい喜美子>一貫してるな(笑)
「作品ひとつふたつは作れるな」
早速、土を捏ね始める武志。
食事さえもが「仕事」であり闘いだったのに
再び陶芸に取り掛かる。
また目標ができて良かった。
ここが凄いよね。
ところで
「みんなの陶芸展」に演歌歌手を呼ぶと言っていたけど
ももももしや信楽太郎!?
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

貫入>信楽焼

食べることは生きること

テレヴィジョン・シティ

『テレヴィジョンシティ』(長野まゆみ著)の主人公が味覚障害で
意地悪なクラスメートにクッションの中身か何かを食べさせられた
…というエピソードがあったっけな
彼の親友は烈火のごとく怒ったけれど
本人は味が分からないので、食感は寧ろ良かったと内心思っていたのだった
武志の周囲にはそういう嫌な人がいなくて良かった
…ひじゅにですが何か?
「生きていくために、食べて下さい」by喜美子
これまた私事なんだけれども…
祖母の介護をしていた時のこと。
飲み込む力が弱くなり、誤飲を防ぐため
食べ物は全て細かくし、かつトロミを付けなければならなかった。
美味しそうには見えなかったし、それ以上工夫し様もなかったし
本人も嫌がったけど
食べなければ死んでしまうから、毎回強く促していた。
老いは止めることはできない。
死は遠い先のことではない。
それでも、少しでも生きていてほしいから食べてくれることを願った。
武志ももう、ただ死を待つしか仕方ない状態なのだろう。
実際、どんどん弱って行く。
「変わらない一日」はほとんど崩れ去った。
我が子が
人生の良いところも悪いところもまだ碌に経験しないまま
死に向かっていくのを止める術もないまま…
喜美子の気持ちは安易に推し量れない。
武志の大皿が
完成したので、もう終わりかと思っていた大皿が
「生きている」音を立てる。
「貫入」
焼きあがった後、釉薬と素地との収縮度の違いから
ひびの様な状態になって固まることを言うのだそうだ。
皿の形状のせいか釉薬の塗り方のせいか…と問う武志に
「そやろな」とそっけない返事をする喜美子。
これが喜美子の教え方なんだろうな。
簡単に答えてしまうのではなく、本人に考えさせる。
以前にも何度か見たことがある様な気がするし
今の様な状態になっても変に甘くならないところが喜美子らしい。
貫入が落ち着いてからも
「ほんでも生きてるで、作品は生き物や」
と、肝心なところを教える喜美子。
これが陶芸の神髄であり、面白さでもあるのだろう。
象徴でもあるよね。
作者が亡くなった後も作品は生きている。
喜美子が拾った、あの欠片の様に。
「ご飯食べるんが今日の仕事や」by武志
一日を過ごすことが闘いになっている。
そんな時にもたらされたのが
「みんなの陶芸展」
陶芸家だけでなく一般人の作品も展示するということで
武志も参加を表明。
「親の力借りて出品するんか?」
「自分で頭下げなさい」
こういうところも厳しい喜美子>一貫してるな(笑)
「作品ひとつふたつは作れるな」
早速、土を捏ね始める武志。
食事さえもが「仕事」であり闘いだったのに
再び陶芸に取り掛かる。
また目標ができて良かった。
ここが凄いよね。
ところで
「みんなの陶芸展」に演歌歌手を呼ぶと言っていたけど
ももももしや信楽太郎!?
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

貫入>信楽焼

食べることは生きること

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