夕日と人参>『スカーレット』第93話 - 2020.01.22 Wed
武志君は偉いなあ
「気のせいや」と言われたからって
「丸見え」の人参を
素直に食べてみるんだものなあ
ひじゅには、どんなに巧妙に隠されていても
嫌いな物が入っていそうな料理には手を付けない
可愛気のない子供だったからな(笑)
…ひじゅにですが何か?
「誰にでもあんねん、熱なる瞬間」byジョージ富士川
↑三度目の登場で週タイトルを叫ぶジョージ富士川>叫んでへん
先回に引き続き、八郎さん経由で登場。
八郎さんの「着替えてきたん?」は
普段の恰好より幾分、良い服を着てきたのに気付いたからで
ジョージの「着替えてきたん?」は
わざわざ着てきた余所行きがそれ?ってニュアンスで
勿論、ジョークだけど
何だか自分のことを言われている錯覚を覚える、ひじゅにであった>ぉ
「灰が釉薬の代わりに」by八郎
喜美子の「旅のお供」だった陶器の欠片が忘れられなかったらしいジョージ。
そこから話が発展して、あの色合いの秘密が明かされる。
いや、秘密ってわけじゃないけど(笑)
ジョージだけでなく
あれをず~っと持っていた喜美子も知らなかったこと。
釉薬を使わず、薪だけで出た色。
鉄分の多い信楽の土に灰が「ええ感じで」かぶさって出た色。
今頃になって知ったんかい!?
って気もするけど(笑)
喜美子は陶芸全般を正式に習ったわけじゃないからな。
自身も当時は素人の域だった&釉薬の研究をしていた八郎さんに
最初から電気窯で焼くものとして教わったわけだしな。
柴田さんに色々教えてもらっておけば良かったのに…
って気もするけど
柴田さんは喜美子を「夫を支える妻」という部分でしか見ていなかったもんな。
ともかくも、この話が喜美子に熱い瞬間をもたらした。
やっぱさ
観たいのは、こういうところですよ。
「芸術を極めるんは喜美子に任した」by八郎
今日の気になる台詞。
東京や大阪で団地を眺めてきて
そこで使われる和食器セットを作りたいと思った…と言う八郎さん。
元々、喜んでもらえるものを作る…というのが夢だったし
熱い瞬間を持てた=スランプから脱した、ってことだから
メデタシメデタシなんだけど
少し前まで
自分ならではの作品を追求していた八郎さんと
大量の注文をこなすことで夫を支える喜美子
…という図だったのを
きっちり逆にしていく決意を、八郎さんはしたのかなあ…
いつもは喜美子が作る、顔の付いたおむすびを
今日は八郎さんが作った…というのが象徴的。
ただ…
「さわやかな笑顔や」と言っていたけど
ひじゅには犬の顔かと思ってしまいました>スマソ
「芸術がここにも宿る…やな」byジョージ
室町時代は日用品だったものが、昭和には「芸術」と呼ばれている―
そんな話をした後なので、この↑八郎さんさんの言葉は
大量生産になる和食器セットを「芸術」とは切り離した捉え方に聞こえて
ちょこっと違和感というか、躊躇いを感じた。
まあ、火の加減、灰の加減で色合いが決まるものは大量生産なんて無理だろうし
理想の色を出すためには、何度も何度もやり直していく必要があるだろう。
そういう“違い”に言及しただけかもしれないけど。
つまりは、それも「芸術」で
自分の道を諦めたわけでも変えたわけでもなく
ただ「極める」ことは喜美子に託した、ってことなのかなあ…
ただ…
「金賞、目指すんやろ」と、その言葉の後に続いたので
「極める」は結局そこかい?という気もしてしまった(^^;)
「綺麗な夕日が映ってた」
「こういう色合いを出して誰かのことを励ましてあげたい」
「うちの夢や」
信楽焼ならではの色。
火の色。
夕日の色。
ももももしかして
アバンで人参の話を出したのは、この色を
視聴者も強く認識出来る様にするため?
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

夕日のかけらドロップ

ポテトサラダ

信楽焼>緋色あられ丸鉢

「気のせいや」と言われたからって
「丸見え」の人参を
素直に食べてみるんだものなあ
ひじゅには、どんなに巧妙に隠されていても
嫌いな物が入っていそうな料理には手を付けない
可愛気のない子供だったからな(笑)
…ひじゅにですが何か?
「誰にでもあんねん、熱なる瞬間」byジョージ富士川
↑三度目の登場で週タイトルを叫ぶジョージ富士川>叫んでへん
先回に引き続き、八郎さん経由で登場。
八郎さんの「着替えてきたん?」は
普段の恰好より幾分、良い服を着てきたのに気付いたからで
ジョージの「着替えてきたん?」は
わざわざ着てきた余所行きがそれ?ってニュアンスで
勿論、ジョークだけど
何だか自分のことを言われている錯覚を覚える、ひじゅにであった>ぉ
「灰が釉薬の代わりに」by八郎
喜美子の「旅のお供」だった陶器の欠片が忘れられなかったらしいジョージ。
そこから話が発展して、あの色合いの秘密が明かされる。
いや、秘密ってわけじゃないけど(笑)
ジョージだけでなく
あれをず~っと持っていた喜美子も知らなかったこと。
釉薬を使わず、薪だけで出た色。
鉄分の多い信楽の土に灰が「ええ感じで」かぶさって出た色。
今頃になって知ったんかい!?
って気もするけど(笑)
喜美子は陶芸全般を正式に習ったわけじゃないからな。
自身も当時は素人の域だった&釉薬の研究をしていた八郎さんに
最初から電気窯で焼くものとして教わったわけだしな。
柴田さんに色々教えてもらっておけば良かったのに…
って気もするけど
柴田さんは喜美子を「夫を支える妻」という部分でしか見ていなかったもんな。
ともかくも、この話が喜美子に熱い瞬間をもたらした。
やっぱさ
観たいのは、こういうところですよ。
「芸術を極めるんは喜美子に任した」by八郎
今日の気になる台詞。
東京や大阪で団地を眺めてきて
そこで使われる和食器セットを作りたいと思った…と言う八郎さん。
元々、喜んでもらえるものを作る…というのが夢だったし
熱い瞬間を持てた=スランプから脱した、ってことだから
メデタシメデタシなんだけど
少し前まで
自分ならではの作品を追求していた八郎さんと
大量の注文をこなすことで夫を支える喜美子
…という図だったのを
きっちり逆にしていく決意を、八郎さんはしたのかなあ…
いつもは喜美子が作る、顔の付いたおむすびを
今日は八郎さんが作った…というのが象徴的。
ただ…
「さわやかな笑顔や」と言っていたけど
ひじゅには犬の顔かと思ってしまいました>スマソ
「芸術がここにも宿る…やな」byジョージ
室町時代は日用品だったものが、昭和には「芸術」と呼ばれている―
そんな話をした後なので、この↑八郎さんさんの言葉は
大量生産になる和食器セットを「芸術」とは切り離した捉え方に聞こえて
ちょこっと違和感というか、躊躇いを感じた。
まあ、火の加減、灰の加減で色合いが決まるものは大量生産なんて無理だろうし
理想の色を出すためには、何度も何度もやり直していく必要があるだろう。
そういう“違い”に言及しただけかもしれないけど。
つまりは、それも「芸術」で
自分の道を諦めたわけでも変えたわけでもなく
ただ「極める」ことは喜美子に託した、ってことなのかなあ…
ただ…
「金賞、目指すんやろ」と、その言葉の後に続いたので
「極める」は結局そこかい?という気もしてしまった(^^;)
「綺麗な夕日が映ってた」
「こういう色合いを出して誰かのことを励ましてあげたい」
「うちの夢や」
信楽焼ならではの色。
火の色。
夕日の色。
ももももしかして
アバンで人参の話を出したのは、この色を
視聴者も強く認識出来る様にするため?
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

夕日のかけらドロップ

ポテトサラダ

信楽焼>緋色あられ丸鉢

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