優しさが交差して>『スカーレット』第85話 - 2020.01.13 Mon
おーい、百合子!
嬉しいのは分かるよ
可愛いとも思うよ
八郎&三津を2人きりにするというドラマ的算段も分かるよ
でも、割れ物を扱っている工房に乱入するんじゃないよ~
八郎さんは、お茶や電気を気にしていたけど
気になるのは陶芸品の方だよ
お父ちゃんの皿や八郎さんの金賞受賞作が壊れちゃったらどうするんだよ~!?
はっ
過去のものは壊して前へ進む!
…という喜美子の言葉を実現するつもりだった?
交差するんじゃなくて壊すことの方が優しさと主張?
んなわけないか(笑)
…ひじゅにですが何か?
「売れる作品です」by三津
「素晴らしい作品てどういうの言う?」
と、八郎さんに聞かれて、こう↑断言する三津。
当たっている部分もあるとは思う。
プロとは、結局のところ
それで食べていける人のことだと思うから。
外れている部分もあると思う
ドラマで言うと(笑)
高視聴率の駄作
低視聴率の良作
…ってのが確実に存在する
喜美子が、コーヒーカップがお金になったと大喜びした時のことを
ちょいと思い出す。
価値を“お金”という形で測るのはナンダカナ…という気がするので
あのエピの時もナンダカナ…だった。
でも、陶芸展で新人賞という形で評価された八郎さんとの対比であり
お父ちゃんに納得させるために八郎さんが用いた手段であり
もしかしたら、後に喜美子の作品の方が世間一般に評価される様になる
前振りの様なものかもしれない…と、無理くり解釈した。
そしてその後、お父ちゃん自身が
「これ、なんぼや…値段はつけられへんわのう
こういうの作るいうんは、心を…心を伝えるいうことやな
よう伝わった」
と言い残したことで、答を出したのだと受け取っていた。
以前、同じ質問@「素晴らしい作品」を八郎さんが喜美子にした時
喜美子は
「飽きひんもんがそうなんちゃう?」
と答えていた。
だから、あの時以降、喜美子は一段上の境地に到達したってことかな?
と思っていた。
ここでこう三津に言わせるというのは、何を意味するんだろう?
1:単に喜美子との対比>2人の個性の違い
2:喜美子が傍にいると「しんどい」今の八郎さんには
(ある意味)俗っぽい考え方の方がホッとする
3:段階っちゅーより価値観の相違で
八郎さんには、こうした考えの方がしっくりくる
4:ちょうど注文が来たところだし
喜美子の作品が売れることで、八郎さんが益々コンプレックスを抱く前触れ
5:八郎さんが売れる路線に転向し、作風がガラッと変わるという伏線
もっとも、三津が話した佐賀の陶芸家は
「名もなき」ってくらいだから
売れるからって「素晴らしい」と評価されているとは言い難い様な…
別に金儲け主義でやっているという風でもない。
「ニコニコしながら」=陶芸が大好きで続けているのだろう。
フカ先生を思い出す。
「家族を養うために」=素晴らしいことじゃん。
寧ろ、喜美子に当てはまる感じ。
今週のタイトルは『優しさが交差して』―
今日のところでは
上記の話に加え、元カレとの関係を例に出し
八郎さんの心に寄り添おうとする三津も―
自分のことで浮かれ酔っ払いながらも
八郎さんに個展を頑張れと励ます百合子も―
これまでのことを感謝し、自分がまた働くので
八郎さんは休んで良い、個展もやらなくて良い…と進める喜美子も―
枕の下に置いた父親への手紙に
「ぎんざのこてんがんばりー」と書く武志も―
皆が皆、優しい。
まさに交差している。
八郎さんは、どこに答を見出すのだろう?
あるいは逃げ道にするのだろう?
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

交差ラケット>アクリルケーキトッパー

優しさ溢れるパン>卵・乳製品不使用

ぐい呑み>有田焼陶芸作家 藤井錦彩作

嬉しいのは分かるよ
可愛いとも思うよ
八郎&三津を2人きりにするというドラマ的算段も分かるよ
でも、割れ物を扱っている工房に乱入するんじゃないよ~
八郎さんは、お茶や電気を気にしていたけど
気になるのは陶芸品の方だよ
お父ちゃんの皿や八郎さんの金賞受賞作が壊れちゃったらどうするんだよ~!?
はっ
過去のものは壊して前へ進む!
…という喜美子の言葉を実現するつもりだった?
交差するんじゃなくて壊すことの方が優しさと主張?
んなわけないか(笑)
…ひじゅにですが何か?
「売れる作品です」by三津
「素晴らしい作品てどういうの言う?」
と、八郎さんに聞かれて、こう↑断言する三津。
当たっている部分もあるとは思う。
プロとは、結局のところ
それで食べていける人のことだと思うから。
外れている部分もあると思う
ドラマで言うと(笑)
高視聴率の駄作
低視聴率の良作
…ってのが確実に存在する
喜美子が、コーヒーカップがお金になったと大喜びした時のことを
ちょいと思い出す。
価値を“お金”という形で測るのはナンダカナ…という気がするので
あのエピの時もナンダカナ…だった。
でも、陶芸展で新人賞という形で評価された八郎さんとの対比であり
お父ちゃんに納得させるために八郎さんが用いた手段であり
もしかしたら、後に喜美子の作品の方が世間一般に評価される様になる
前振りの様なものかもしれない…と、無理くり解釈した。
そしてその後、お父ちゃん自身が
「これ、なんぼや…値段はつけられへんわのう
こういうの作るいうんは、心を…心を伝えるいうことやな
よう伝わった」
と言い残したことで、答を出したのだと受け取っていた。
以前、同じ質問@「素晴らしい作品」を八郎さんが喜美子にした時
喜美子は
「飽きひんもんがそうなんちゃう?」
と答えていた。
だから、あの時以降、喜美子は一段上の境地に到達したってことかな?
と思っていた。
ここでこう三津に言わせるというのは、何を意味するんだろう?
1:単に喜美子との対比>2人の個性の違い
2:喜美子が傍にいると「しんどい」今の八郎さんには
(ある意味)俗っぽい考え方の方がホッとする
3:段階っちゅーより価値観の相違で
八郎さんには、こうした考えの方がしっくりくる
4:ちょうど注文が来たところだし
喜美子の作品が売れることで、八郎さんが益々コンプレックスを抱く前触れ
5:八郎さんが売れる路線に転向し、作風がガラッと変わるという伏線
もっとも、三津が話した佐賀の陶芸家は
「名もなき」ってくらいだから
売れるからって「素晴らしい」と評価されているとは言い難い様な…
別に金儲け主義でやっているという風でもない。
「ニコニコしながら」=陶芸が大好きで続けているのだろう。
フカ先生を思い出す。
「家族を養うために」=素晴らしいことじゃん。
寧ろ、喜美子に当てはまる感じ。
今週のタイトルは『優しさが交差して』―
今日のところでは
上記の話に加え、元カレとの関係を例に出し
八郎さんの心に寄り添おうとする三津も―
自分のことで浮かれ酔っ払いながらも
八郎さんに個展を頑張れと励ます百合子も―
これまでのことを感謝し、自分がまた働くので
八郎さんは休んで良い、個展もやらなくて良い…と進める喜美子も―
枕の下に置いた父親への手紙に
「ぎんざのこてんがんばりー」と書く武志も―
皆が皆、優しい。
まさに交差している。
八郎さんは、どこに答を見出すのだろう?
あるいは逃げ道にするのだろう?
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

交差ラケット>アクリルケーキトッパー

優しさ溢れるパン>卵・乳製品不使用

ぐい呑み>有田焼陶芸作家 藤井錦彩作

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