さいなら>『スカーレット』第101話 - 2020.01.31 Fri
雄太郎さん再登場
信楽太郎という芸名を喜美子が考えたことから
いつか、その名前が聞かれる日が来ると期待はしていたのだが
何と歌手になっていたとは―
ちや子さんがラジオをつける様にといった時
てっきり、ラジオのパーソナリティでもしているのかと(笑)
でも、“喫茶さえずり”で歌ってたことがあったから
意外ってわけじゃないよね
…つーか、あれも伏線?
…ひじゅにですが何か?
「うん、色々あるな」byちや子
喜美子の様子を気遣いつつも
事情を知ろうと心に踏み込んで行ったりせず
喜美子が自分から話すことに優しく耳を傾け
その“気持ち”にだけ寄り添ってくれる。
やっぱ、良い人だなあ…ちや子さん。
仕事とはいえ、喜美子が一人になる時間を設けて
絵を描く様にも促してくれる。
そう、答を出すのは喜美子自身だから。
動物園で母子の時間を過ごした後
ちや子さんの家(事務所兼自宅?)を訪ねた喜美子。
「ちょっと一足遅れのクリスマス会や」
ちゅーことで、武志にはちょうど良い機会だったな。
つーか、武志のためにワザワザ企画してくれたのかもしれない。
「うち、仏教ちゃうん?」
武志の反応からすると
宗教がどーのこーのというより、そうした口実で
貧乏な川原家ではクリスマス会なんてしなかった…ってことかも?
集まっていた人々は「働く母の会」なる活動をしているらしい。
これって、喜美子への皮肉?
喜美子も「働く母」なのは間違いないけど
皆は共働きだそうだし…それって夫婦ありきなわけだし。
「あの川原八郎!?」
美術館職員という人は陶芸家としての八郎さんを知っていた。
金賞受賞と台詞で言うだけで、陶芸家としてどんな程度なのか不明だったけど
まあ、そこそこ有名…ってところなのかな?
「ほんで、彼女も陶芸やってんねん、夫婦でな」
こうした紹介の言葉に顔を曇らせる喜美子。
「夫婦で」とは今は言えない状況だから…ってのもあるけど
夫=活躍する陶芸家
妻=陶芸もやってはいるけど無名で、夫を支えるのがメイン
…という図式を感じるからかも>穿ち過ぎ?
間に入る八郎さんの言動―
「何や、おらん時見計らって荷物取りに来たみたいで」
川原家にやって来るなり、こう言う八郎さん。
ちゅーことは、喜美子が留守だと予め知っていたってことだから
「みたい」は余計じゃん!?
「お茶わん、持ってく?」
お母ちゃんったら、態度は優しいけど
八郎さんはもう戻って来ないもの…とみなしているってこと?
そして再び、喜美子の様子に―
皆と行った中華料理店で中国酒を3杯飲んだという喜美子。
「日本酒」と言っていたくらいだから
喜美子は普段は飲酒などほとんどしていないのだろう。
「ほんでも、何となく分かりました
父がお酒を飲みたくなる気持ち…
ほんの少~しですけど」
お父ちゃんは好きで飲んでいた部分も大きかったと思うけど>ぉ
お父ちゃんなりに、やるせない思いを沢山抱えていたのだろうなあ。
ほんでも、お父ちゃんはああいう生き方しかできなかった。
「百合子、うちが泣いたん覚えてたんです」
学校も諦めた喜美子。
でも、絵付けはどうしても諦められなかった。
余談だけど―
あの時の喜美子の泣き方は、ちょっとワザトラシイ印象を受ける。
喜美子が泣きまねしたというのではなくて
多分、感情をハッキリ表に出すことができなかった喜美子が
やっと見つけた“やりたいこと”を「やりたい」と口にしたわけだから
ギコチナイ泣き方で当然だったのだと思う。
そういうのも踏まえてのあの泣き演技なら、アッパレ戸田!と思う。
この間、信作の前で喜美子が泣き出した時
この↑エピを思い出したのだけど
まさに、あの時と対になっていたのだな。
あの時は
フカ先生に付いて行きたい!と思っていたし
今回は
八郎さんと別れてでも…と思っているわけで
そこは正反対だけども。
「ちや子さんは、お姉ちゃんにとってのお姉ちゃんやろ?
逢うてきたら?」
昨日に引き続き、大人になったなあ…百合子。
そして、信楽太郎こと雄太郎さん。
「挫折に次ぐ挫折…
俳優から歌手に転身後もさっぱり売れず
最後のヤケッパチで出した歌が、この歌『さいなら』」
喜美子の前途を示唆?
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

中国酒

働く母たちの50年

昭和の思い出ラジカセ

信楽太郎という芸名を喜美子が考えたことから
いつか、その名前が聞かれる日が来ると期待はしていたのだが
何と歌手になっていたとは―
ちや子さんがラジオをつける様にといった時
てっきり、ラジオのパーソナリティでもしているのかと(笑)
でも、“喫茶さえずり”で歌ってたことがあったから
意外ってわけじゃないよね
…つーか、あれも伏線?
…ひじゅにですが何か?
「うん、色々あるな」byちや子
喜美子の様子を気遣いつつも
事情を知ろうと心に踏み込んで行ったりせず
喜美子が自分から話すことに優しく耳を傾け
その“気持ち”にだけ寄り添ってくれる。
やっぱ、良い人だなあ…ちや子さん。
仕事とはいえ、喜美子が一人になる時間を設けて
絵を描く様にも促してくれる。
そう、答を出すのは喜美子自身だから。
動物園で母子の時間を過ごした後
ちや子さんの家(事務所兼自宅?)を訪ねた喜美子。
「ちょっと一足遅れのクリスマス会や」
ちゅーことで、武志にはちょうど良い機会だったな。
つーか、武志のためにワザワザ企画してくれたのかもしれない。
「うち、仏教ちゃうん?」
武志の反応からすると
宗教がどーのこーのというより、そうした口実で
貧乏な川原家ではクリスマス会なんてしなかった…ってことかも?
集まっていた人々は「働く母の会」なる活動をしているらしい。
これって、喜美子への皮肉?
喜美子も「働く母」なのは間違いないけど
皆は共働きだそうだし…それって夫婦ありきなわけだし。
「あの川原八郎!?」
美術館職員という人は陶芸家としての八郎さんを知っていた。
金賞受賞と台詞で言うだけで、陶芸家としてどんな程度なのか不明だったけど
まあ、そこそこ有名…ってところなのかな?
「ほんで、彼女も陶芸やってんねん、夫婦でな」
こうした紹介の言葉に顔を曇らせる喜美子。
「夫婦で」とは今は言えない状況だから…ってのもあるけど
夫=活躍する陶芸家
妻=陶芸もやってはいるけど無名で、夫を支えるのがメイン
…という図式を感じるからかも>穿ち過ぎ?
間に入る八郎さんの言動―
「何や、おらん時見計らって荷物取りに来たみたいで」
川原家にやって来るなり、こう言う八郎さん。
ちゅーことは、喜美子が留守だと予め知っていたってことだから
「みたい」は余計じゃん!?
「お茶わん、持ってく?」
お母ちゃんったら、態度は優しいけど
八郎さんはもう戻って来ないもの…とみなしているってこと?
そして再び、喜美子の様子に―
皆と行った中華料理店で中国酒を3杯飲んだという喜美子。
「日本酒」と言っていたくらいだから
喜美子は普段は飲酒などほとんどしていないのだろう。
「ほんでも、何となく分かりました
父がお酒を飲みたくなる気持ち…
ほんの少~しですけど」
お父ちゃんは好きで飲んでいた部分も大きかったと思うけど>ぉ
お父ちゃんなりに、やるせない思いを沢山抱えていたのだろうなあ。
ほんでも、お父ちゃんはああいう生き方しかできなかった。
「百合子、うちが泣いたん覚えてたんです」
学校も諦めた喜美子。
でも、絵付けはどうしても諦められなかった。
余談だけど―
あの時の喜美子の泣き方は、ちょっとワザトラシイ印象を受ける。
喜美子が泣きまねしたというのではなくて
多分、感情をハッキリ表に出すことができなかった喜美子が
やっと見つけた“やりたいこと”を「やりたい」と口にしたわけだから
ギコチナイ泣き方で当然だったのだと思う。
そういうのも踏まえてのあの泣き演技なら、アッパレ戸田!と思う。
この間、信作の前で喜美子が泣き出した時
この↑エピを思い出したのだけど
まさに、あの時と対になっていたのだな。
あの時は
フカ先生に付いて行きたい!と思っていたし
今回は
八郎さんと別れてでも…と思っているわけで
そこは正反対だけども。
「ちや子さんは、お姉ちゃんにとってのお姉ちゃんやろ?
逢うてきたら?」
昨日に引き続き、大人になったなあ…百合子。
そして、信楽太郎こと雄太郎さん。
「挫折に次ぐ挫折…
俳優から歌手に転身後もさっぱり売れず
最後のヤケッパチで出した歌が、この歌『さいなら』」
喜美子の前途を示唆?
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