リテイク>『半分、青い。』第48話 - 2018.05.26 Sat
まー君が鈴愛にパフェを出してくれた時
「泣いている女の子にはチョコレートかハグ」
…という
キモスカ@『だんだん』の台詞を思い出してしまった
あ、まー君がキモいと言っているわけではありません
寧ろ好きですわ♪
…ひじゅにですが何か?
「今のいいお話、続けてて下さい」by鈴愛
↑和子さんから始まって
所々で色んな人が、やたら「いいお話」をする。
あるいは
他人の話を「いいお話」と括ってみせる
『半分、青い』ワールド。
和子さんの時は彼女のキャラだと思っていたけど
もはや、それだけでは留まらない。
ポエティック、もしくはエラソウな演説を
ついつい、してしまいがちな
“小さな人間”を揶揄しているのか―
朝ドラには珍しくはない現象なので
そこへの皮肉なのか―
そう描いてしまう自分への
自己ツッコミなのか―
所々に出て来る「いいお話」自体は
時として痛いけれども、苦笑いでスルーできる。
痛いけれども、痛いだけに
「人間って愛しい」と取れなくもない。
…のだけど
その都度、傍にいる誰かが「いいお話」と上目線で言うのは
あまり気分の良いものじゃないなあ(^^;)
同族嫌悪かしら?>ぇ
…なんてことはどーでもいいけど>いいんかい
秋風騒動は、やっぱ蓋ショボ。
ただ、単なる思い込みだった―
という
ズッコケてみせるのも虚しい結末ではなく
癌なのは事実だけど早期発見なので治る―
という
中庸なオチ。
だから
定期的に健診した方が良いですよ!
とか
癌だからって諦めてはいけませんよ!
という教訓?
癌とハッキリ病名を出してしまった以上
これが一番マシな結論ってところだな。
たださ
ここで実在の人物の名前を出すってのもなあ…
「いつの時代の人ですか?」ったって
太宰治や芥川龍之介は天寿を全うしたわけじゃないし
(亡くなった年齢=当時の平均寿命じゃない)
死因は癌でもないじゃん>どころか、2人共自殺
「手塚治虫は60です。せめてそこまで頑張りません?」
これは物凄く頭にきたんですけど?
私だけ?
だけでも構わんわ!
それとさ
その秋風の「いいお話」にしてもさ…
「創作という魂の饗宴の中で私はしばし病を忘れる」
病気や死への恐怖を忘れるためにマンガを描く
…って?
死は誰にでも訪れるものだから
これは秋風に特化したものではなく、寧ろ普遍的なもの
…ってわけ?
そーう人もいるかもしれない
北川悦吏子はそうなのかもしれない>知らんけど
…でも
そーいうものなのか?
何かに熱中していれば、嫌なことも忘れられる。
でも、それって逃げ場にしてるってことじゃん?
「創作」って、そんなレベルのもの?
自己満じゃないの?
死を意識しているなら尚更
生を輝かしく描けるんでないの?
それこそが普遍的で
人々の心を打つもので
「魂の饗宴」と言えるものじゃないの?
↑怒ってるんじゃないよ
素朴な疑問(笑)
まあ、ドラマ的に重要なのは鈴愛。
秋風の(まだ確定ではなかった)病気を
本人抜きで周囲に触れ回ったことは
一応、律に諫められたし
それで、まー君には言わないという選択ができたし
漢方薬が届いたところで
何となく美談めいて終了。
秋風の「いいお話」の途中で席を立つという
「まだ子供だから」は理由にならない無礼さも
「まったくもう鈴愛ったらあ~」的な(?)
お笑い要素にして終了。
この一件の後
鈴愛のアシスタントとしての仕事もちょっとアップ。
人間的には全くアップしてないけど(笑)
そう見えるだけで実際には着実に成長中!
ということになってる可能性もあるのが怖いところ(^^;)
超個性的に思えた秋風も菱もっちゃんも
意外に普通の良い人で
鈴愛のヘンテコ部分がやたらと強調されている気がするけど
もしかして、もしかしたら
鈴愛のマンガ修行の日々を面白かしく描きたいだけで
そのために考え付いたエピがナンダカナ…ってだけで
脚本家としては、深読みどころか教訓どころか、ただ単純に
面白いでしょ!!!
って思っているだけ…だったりしてね(笑)
ドラマもリテイク必須?
そして、来週からいよいよ
待望のラブストーリーがスタートか?
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

リテイク

サメの軟骨

王子様

「泣いている女の子にはチョコレートかハグ」
…という
キモスカ@『だんだん』の台詞を思い出してしまった
あ、まー君がキモいと言っているわけではありません
寧ろ好きですわ♪
…ひじゅにですが何か?
「今のいいお話、続けてて下さい」by鈴愛
↑和子さんから始まって
所々で色んな人が、やたら「いいお話」をする。
あるいは
他人の話を「いいお話」と括ってみせる
『半分、青い』ワールド。
和子さんの時は彼女のキャラだと思っていたけど
もはや、それだけでは留まらない。
ポエティック、もしくはエラソウな演説を
ついつい、してしまいがちな
“小さな人間”を揶揄しているのか―
朝ドラには珍しくはない現象なので
そこへの皮肉なのか―
そう描いてしまう自分への
自己ツッコミなのか―
所々に出て来る「いいお話」自体は
時として痛いけれども、苦笑いでスルーできる。
痛いけれども、痛いだけに
「人間って愛しい」と取れなくもない。
…のだけど
その都度、傍にいる誰かが「いいお話」と上目線で言うのは
あまり気分の良いものじゃないなあ(^^;)
同族嫌悪かしら?>ぇ
…なんてことはどーでもいいけど>いいんかい
秋風騒動は、やっぱ蓋ショボ。
ただ、単なる思い込みだった―
という
ズッコケてみせるのも虚しい結末ではなく
癌なのは事実だけど早期発見なので治る―
という
中庸なオチ。
だから
定期的に健診した方が良いですよ!
とか
癌だからって諦めてはいけませんよ!
という教訓?
癌とハッキリ病名を出してしまった以上
これが一番マシな結論ってところだな。
たださ
ここで実在の人物の名前を出すってのもなあ…
「いつの時代の人ですか?」ったって
太宰治や芥川龍之介は天寿を全うしたわけじゃないし
(亡くなった年齢=当時の平均寿命じゃない)
死因は癌でもないじゃん>どころか、2人共自殺
「手塚治虫は60です。せめてそこまで頑張りません?」
これは物凄く頭にきたんですけど?
私だけ?
だけでも構わんわ!
それとさ
その秋風の「いいお話」にしてもさ…
「創作という魂の饗宴の中で私はしばし病を忘れる」
病気や死への恐怖を忘れるためにマンガを描く
…って?
死は誰にでも訪れるものだから
これは秋風に特化したものではなく、寧ろ普遍的なもの
…ってわけ?
そーう人もいるかもしれない
北川悦吏子はそうなのかもしれない>知らんけど
…でも
そーいうものなのか?
何かに熱中していれば、嫌なことも忘れられる。
でも、それって逃げ場にしてるってことじゃん?
「創作」って、そんなレベルのもの?
自己満じゃないの?
死を意識しているなら尚更
生を輝かしく描けるんでないの?
それこそが普遍的で
人々の心を打つもので
「魂の饗宴」と言えるものじゃないの?
↑怒ってるんじゃないよ
素朴な疑問(笑)
まあ、ドラマ的に重要なのは鈴愛。
秋風の(まだ確定ではなかった)病気を
本人抜きで周囲に触れ回ったことは
一応、律に諫められたし
それで、まー君には言わないという選択ができたし
漢方薬が届いたところで
何となく美談めいて終了。
秋風の「いいお話」の途中で席を立つという
「まだ子供だから」は理由にならない無礼さも
「まったくもう鈴愛ったらあ~」的な(?)
お笑い要素にして終了。
この一件の後
鈴愛のアシスタントとしての仕事もちょっとアップ。
人間的には全くアップしてないけど(笑)
そう見えるだけで実際には着実に成長中!
ということになってる可能性もあるのが怖いところ(^^;)
超個性的に思えた秋風も菱もっちゃんも
意外に普通の良い人で
鈴愛のヘンテコ部分がやたらと強調されている気がするけど
もしかして、もしかしたら
鈴愛のマンガ修行の日々を面白かしく描きたいだけで
そのために考え付いたエピがナンダカナ…ってだけで
脚本家としては、深読みどころか教訓どころか、ただ単純に
面白いでしょ!!!
って思っているだけ…だったりしてね(笑)
ドラマもリテイク必須?
そして、来週からいよいよ
待望のラブストーリーがスタートか?
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

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