笑いがお供え>『わろてんか』第147話 - 2018.03.27 Tue
あらら
きよしがもうデレちゃいましたぜ
…ひじゅにですが何か?
「辛い時こそ笑うんや」by新一
う~ん…
新一兄さんの言う「笑い」と
福笑いでバカ笑いするのは
別物だと思うんだけど…
大阪空襲から一週間は経ったらしい―
心配でイッパイ(シャレではない)トキに
「わろて暮らせばまた逢える」
と、根拠のない慰め方をする、てん。
自分だって笑えない時は他無産あったのに。
笑っている時だって物凄く曖昧で嘘くさい笑顔だったのに。
…なんて言ったら酷ですねそうですね(^^;)
そんな、てんの意向を汲み取ったかの様に
福笑いに興じる飛鳥&藤一郎。
まあ、2人はまだ子供だから
単純に笑える遊びに逃げ込むのは分かる。
そこに切なさも漂う。
それを踏まえた上で、てん達が2人に加わるのなら
そういう心情が伺える演出&演技なら
もしかしたら良いシーンになったかも?
でも、もっと単純に楽しんでいるだけ…に見えてしまって
ナンダカナ…
勿論、苦境にあってもポジティブな考えを持つことは大切。
ムン・ヒジュンの曲にもある通り>久しぶりに名前を出したよ
幸せだから笑うんじゃなく
笑うから幸せになるんだよ
…
なのは大いに賛同する。
でも、やっぱ、てん達の言葉と行動は微妙にズレてるというか
「笑い」の種類が違う気がするんだけど…
新一兄さんの名前が出てきたので改めて思ったけれども
兄さんがナレ死した直後
仏壇の前で笑う、てん&りんのシーンに覚えた違和感が
ここにも生きてるってことだな。
ましてや
「私も隼也さんのご無事祈って笑います」
という、つばきの台詞となると
宗教か!?
と思えてしまうわ(^^;)
「笑いの神様」って
芸人が神がかり的に凄い芸を披露した時とかに
「降りて来た」とか言うものじゃないの?
100歩譲って
そうした芸人が何か苦境に陥りながらも助かった時
「笑いの神様のおかげ」と解釈するのは分かる。
日本人って、無宗教だと言いながら
実はメチャクチャ仏教だの神道だのが浸透(シャレではない)
してるものね(笑)
それでも
この状況と福笑いに大騒ぎするのとは
ちょっと違う気がするんだけどなあ…
信仰ではなく狂信、もしくは盲信って感じ?
そんな、てん達をずっと見張っていたのか
グッドタイミング(?)で登場する、きよし。
「孫の洋平さんを兵隊さんに取られてしもてから、
全く笑わはらへんようになって…」
またもや苦しい時のりん頼みで
きよしの背景が、てん達に知らされる。
「うちの息子も戦争に行ってるんです」
共通の土台を築いて、きよし説得に取り掛かる、てん。
まあ、ここは極めて朝ドラらしい展開だね(笑)
だから、きよしの方も“お約束”に則って
アッサリと改心。
見方や考え方の角度を変えることができただけで
本来なら“改心”とは違うとは思うけど
朝ドラにおいてはヒロインの見方・考え方こそが絶対なので
違う人は“悪”で、そこから立ち返った人は“改心”と言えるのさ
そういう意味では朝ドラこそが宗教だね。
『わろてんか』はそこのところを「笑いの神様」を用いて
皮肉を込めて描いてる?>絶対違う
それでも、これは朝ドラなのでヒロインの願いが叶って
風太生還。
昨日引っ掛かった「山越えなあきませんから」が
今日もまだ尾を引いていて(?)
風太ったら
あの燃え盛り崩れ行く“風潮亭”の中に倒れていたのが
どうやって力を振り絞り立ち上がったのか―
あの状態の中で、どうやって看板を持ち出せたのか―
芸人達を「あちこち捜し回った」みたいだし
「大阪も東京も空襲で北村の寄席は全滅や」
と言えるくらい、あちこち様子を見に回ったみたいだし
その上で山を越えてやって来たのか―
物凄くエネルギッシュだな、風太。
普段から、それこそ「笑い」よりも怒鳴り声が圧倒的に多かったのは
それを表現していたのか?>多分違う
ちゅーことで、最終週の第二日は終了。
恐れていた“きよしの改心”をクライマックスにしなかった分
少しは最終回に希望が持てるかな?
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

福笑い

ふく笑い

福笑いねこ

きよしがもうデレちゃいましたぜ
…ひじゅにですが何か?
「辛い時こそ笑うんや」by新一
う~ん…
新一兄さんの言う「笑い」と
福笑いでバカ笑いするのは
別物だと思うんだけど…
大阪空襲から一週間は経ったらしい―
心配でイッパイ(シャレではない)トキに
「わろて暮らせばまた逢える」
と、根拠のない慰め方をする、てん。
自分だって笑えない時は他無産あったのに。
笑っている時だって物凄く曖昧で嘘くさい笑顔だったのに。
…なんて言ったら酷ですねそうですね(^^;)
そんな、てんの意向を汲み取ったかの様に
福笑いに興じる飛鳥&藤一郎。
まあ、2人はまだ子供だから
単純に笑える遊びに逃げ込むのは分かる。
そこに切なさも漂う。
それを踏まえた上で、てん達が2人に加わるのなら
そういう心情が伺える演出&演技なら
もしかしたら良いシーンになったかも?
でも、もっと単純に楽しんでいるだけ…に見えてしまって
ナンダカナ…
勿論、苦境にあってもポジティブな考えを持つことは大切。
ムン・ヒジュンの曲にもある通り>久しぶりに名前を出したよ
幸せだから笑うんじゃなく
笑うから幸せになるんだよ
…
なのは大いに賛同する。
でも、やっぱ、てん達の言葉と行動は微妙にズレてるというか
「笑い」の種類が違う気がするんだけど…
新一兄さんの名前が出てきたので改めて思ったけれども
兄さんがナレ死した直後
仏壇の前で笑う、てん&りんのシーンに覚えた違和感が
ここにも生きてるってことだな。
ましてや
「私も隼也さんのご無事祈って笑います」
という、つばきの台詞となると
宗教か!?
と思えてしまうわ(^^;)
「笑いの神様」って
芸人が神がかり的に凄い芸を披露した時とかに
「降りて来た」とか言うものじゃないの?
100歩譲って
そうした芸人が何か苦境に陥りながらも助かった時
「笑いの神様のおかげ」と解釈するのは分かる。
日本人って、無宗教だと言いながら
実はメチャクチャ仏教だの神道だのが浸透(シャレではない)
してるものね(笑)
それでも
この状況と福笑いに大騒ぎするのとは
ちょっと違う気がするんだけどなあ…
信仰ではなく狂信、もしくは盲信って感じ?
そんな、てん達をずっと見張っていたのか
グッドタイミング(?)で登場する、きよし。
「孫の洋平さんを兵隊さんに取られてしもてから、
全く笑わはらへんようになって…」
またもや苦しい時のりん頼みで
きよしの背景が、てん達に知らされる。
「うちの息子も戦争に行ってるんです」
共通の土台を築いて、きよし説得に取り掛かる、てん。
まあ、ここは極めて朝ドラらしい展開だね(笑)
だから、きよしの方も“お約束”に則って
アッサリと改心。
見方や考え方の角度を変えることができただけで
本来なら“改心”とは違うとは思うけど
朝ドラにおいてはヒロインの見方・考え方こそが絶対なので
違う人は“悪”で、そこから立ち返った人は“改心”と言えるのさ
そういう意味では朝ドラこそが宗教だね。
『わろてんか』はそこのところを「笑いの神様」を用いて
皮肉を込めて描いてる?>絶対違う
それでも、これは朝ドラなのでヒロインの願いが叶って
風太生還。
昨日引っ掛かった「山越えなあきませんから」が
今日もまだ尾を引いていて(?)
風太ったら
あの燃え盛り崩れ行く“風潮亭”の中に倒れていたのが
どうやって力を振り絞り立ち上がったのか―
あの状態の中で、どうやって看板を持ち出せたのか―
芸人達を「あちこち捜し回った」みたいだし
「大阪も東京も空襲で北村の寄席は全滅や」
と言えるくらい、あちこち様子を見に回ったみたいだし
その上で山を越えてやって来たのか―
物凄くエネルギッシュだな、風太。
普段から、それこそ「笑い」よりも怒鳴り声が圧倒的に多かったのは
それを表現していたのか?>多分違う
ちゅーことで、最終週の第二日は終了。
恐れていた“きよしの改心”をクライマックスにしなかった分
少しは最終回に希望が持てるかな?
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

福笑い

ふく笑い

福笑いねこ

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