時代の先駆者>『わろてんか』第93話 - 2018.01.23 Tue
おお!
新八…じゃなかった
新一兄さん、まさかの再登場!
回想だけどね
昨日の京香や楓さんに続く
「忘れ去られていた人の取って付けた様な再登場」シリーズ!?
…ひじゅにですが何か?
「時代の先駆者は立ち止まったらアカン」by藤吉
おお!
あれだけダメダメぶりを晒してきて
役者にまでダメダメ・イメージを付けてしまった藤吉が
自らを「先駆者」と呼ぶまでに成長!?
ああ、勿論、これ↑は栞様に向けた言葉だけど
「ただただ未来だけを見つめてい」る自分をも含めているのは確か。
やはり、死を意識すると人は変わるのか?
新一兄さんも死を目前にしながら
自分の“夢”に向かって頑張っていた。
その夢に共感したからこそ
倒産寸前だった藤岡屋に栞様が出資してくれたのに
お金だけ貰って肝心のところはスルーか…と思ってたら
今頃になって、取って付けた様に実現。
藤吉もまた
一度は死の境を彷徨い
生還したと思ったら再び病の兆候が現れてきた今だから
一足飛びに“デキる興行師”に変貌。
ここに来て、新一兄さんと藤吉を重ねるのか―
コンセプトは悪くないかな、と思えるけど
ドラマ全体のバランスとか
ここに至る経緯の描き込み不足とか
色々と粗は見えてきてしまう>エラソウ
まあ、第1話からずっと欠かさず観てきた視聴者達には
こーいうところはバレバレでござんす>スマソ
以前は、良い方向にも悪い方向にも自分ひとり動き回り
てんを始め周囲を置いてけぼりにしていた藤吉も
ようやく周囲を育てることを考え始めた様子。
まずは、妻てんに興行の仕事について教え始める―
「隼也も手ぇかからん様になってきたし、ちょうどええ頃合いやろ」
隼也君が幼い頃から、てんは寄席の仕事をアレコレしてきたじゃん。
だからこそ、「団吾反対」ストライキのエピで
てん不在の寄席で、てんてこ舞いする藤吉の姿が描かれた。
でも、興行の深い部分は藤吉に任せ
てんはフォローする立場を貫いていたわけで
今回は、その深い部分にも携わる様になるってことだから
子育て云々をここで持ち出すのは卑怯っていうか場違いっていうか
理屈に合わない気がするんだけどなあ…>細か過ぎ?
「おなごの目ぇでも新しい興行の事を考えてほしいんや」
ここは理屈に合っていると思うけど…
たまに、てんがアイディアを出すエピがあったから
たまにでなく、もっと頻繁にして
てんこそが“デキる席主”の才能の持ち主と強くアピールしとけば
今回のこの展開に少しはワクワクできたかもしれないのになあ。
実際は、てんの存在感を限りなく薄めるばかりだった…
昨日に続き、キース&アサリにアドバイス―
「芸人の尻叩くんもな、興行師の仕事や」
それは視聴者達も分かってる…っちゅーか
それこそ、キース君達が売れないピン芸人だった頃から
「芸を見る目だけはある」藤吉に活躍してほしいと思ってたんだけどね。
といっても
実際にはキース&アサリ自身と風太による改革。
アドバイスは藤井隆。
大衆の話を面白おかしいくアレンジした「しゃべくり漫才」という方針に。
ひじゅにがチラリと聞いたところによると
「しゃべくり漫才」を始めたのはエンタツ・アチャコ。
背広姿で「君、僕」と普段の会話形式で庶民的なネタを演じたそうだ。
キース&アサリのモデルは彼らだという噂だから、この流れは正しい。
いや、だから、彼らがコンビ結成した時
「しゃべくり漫才」を始めるんだろうなあと思ってたんだけど
「どつき漫才」でスタートしたじゃん?
「どつき漫才」を確立したのは敏江・玲児(1963年結成)だそうだから
「しゃべくり漫才」を飛び越えて時代を先取りしたのかな、と
好意的解釈をしていたんだよ。
そしたら逆なのね。
…なんてことはどーでもいい?
そして、栞様を激励―
「自分のやりたい事やろ思うたら進むしかない」
時代に合わせ、トーキーの映画を作ろうとしている栞様を
自分を重ねて励ます。
嫌というほど>ぇ
「新しい」ものに取り組み始め、変わっていく人々。
忘れ去られていた人物達が取って付けた様に再登場し
中途半端なまま放置されていたネタが取って付けた様に成就し始めた。
まるで最終回が近いみたい!
…あ、もう近いっちゃ近いか(笑)
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆




新八…じゃなかった
新一兄さん、まさかの再登場!
回想だけどね
昨日の京香や楓さんに続く
「忘れ去られていた人の取って付けた様な再登場」シリーズ!?
…ひじゅにですが何か?
「時代の先駆者は立ち止まったらアカン」by藤吉
おお!
あれだけダメダメぶりを晒してきて
役者にまでダメダメ・イメージを付けてしまった藤吉が
自らを「先駆者」と呼ぶまでに成長!?
ああ、勿論、これ↑は栞様に向けた言葉だけど
「ただただ未来だけを見つめてい」る自分をも含めているのは確か。
やはり、死を意識すると人は変わるのか?
新一兄さんも死を目前にしながら
自分の“夢”に向かって頑張っていた。
その夢に共感したからこそ
倒産寸前だった藤岡屋に栞様が出資してくれたのに
お金だけ貰って肝心のところはスルーか…と思ってたら
今頃になって、取って付けた様に実現。
藤吉もまた
一度は死の境を彷徨い
生還したと思ったら再び病の兆候が現れてきた今だから
一足飛びに“デキる興行師”に変貌。
ここに来て、新一兄さんと藤吉を重ねるのか―
コンセプトは悪くないかな、と思えるけど
ドラマ全体のバランスとか
ここに至る経緯の描き込み不足とか
色々と粗は見えてきてしまう>エラソウ
まあ、第1話からずっと欠かさず観てきた視聴者達には
こーいうところはバレバレでござんす>スマソ
以前は、良い方向にも悪い方向にも自分ひとり動き回り
てんを始め周囲を置いてけぼりにしていた藤吉も
ようやく周囲を育てることを考え始めた様子。
まずは、妻てんに興行の仕事について教え始める―
「隼也も手ぇかからん様になってきたし、ちょうどええ頃合いやろ」
隼也君が幼い頃から、てんは寄席の仕事をアレコレしてきたじゃん。
だからこそ、「団吾反対」ストライキのエピで
てん不在の寄席で、てんてこ舞いする藤吉の姿が描かれた。
でも、興行の深い部分は藤吉に任せ
てんはフォローする立場を貫いていたわけで
今回は、その深い部分にも携わる様になるってことだから
子育て云々をここで持ち出すのは卑怯っていうか場違いっていうか
理屈に合わない気がするんだけどなあ…>細か過ぎ?
「おなごの目ぇでも新しい興行の事を考えてほしいんや」
ここは理屈に合っていると思うけど…
たまに、てんがアイディアを出すエピがあったから
たまにでなく、もっと頻繁にして
てんこそが“デキる席主”の才能の持ち主と強くアピールしとけば
今回のこの展開に少しはワクワクできたかもしれないのになあ。
実際は、てんの存在感を限りなく薄めるばかりだった…
昨日に続き、キース&アサリにアドバイス―
「芸人の尻叩くんもな、興行師の仕事や」
それは視聴者達も分かってる…っちゅーか
それこそ、キース君達が売れないピン芸人だった頃から
「芸を見る目だけはある」藤吉に活躍してほしいと思ってたんだけどね。
といっても
実際にはキース&アサリ自身と風太による改革。
アドバイスは藤井隆。
大衆の話を面白おかしいくアレンジした「しゃべくり漫才」という方針に。
ひじゅにがチラリと聞いたところによると
「しゃべくり漫才」を始めたのはエンタツ・アチャコ。
背広姿で「君、僕」と普段の会話形式で庶民的なネタを演じたそうだ。
キース&アサリのモデルは彼らだという噂だから、この流れは正しい。
いや、だから、彼らがコンビ結成した時
「しゃべくり漫才」を始めるんだろうなあと思ってたんだけど
「どつき漫才」でスタートしたじゃん?
「どつき漫才」を確立したのは敏江・玲児(1963年結成)だそうだから
「しゃべくり漫才」を飛び越えて時代を先取りしたのかな、と
好意的解釈をしていたんだよ。
そしたら逆なのね。
…なんてことはどーでもいい?
そして、栞様を激励―
「自分のやりたい事やろ思うたら進むしかない」
時代に合わせ、トーキーの映画を作ろうとしている栞様を
自分を重ねて励ます。
嫌というほど>ぇ
「新しい」ものに取り組み始め、変わっていく人々。
忘れ去られていた人物達が取って付けた様に再登場し
中途半端なまま放置されていたネタが取って付けた様に成就し始めた。
まるで最終回が近いみたい!
…あ、もう近いっちゃ近いか(笑)
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