川の流れ>『わろてんか』第63話 - 2017.12.13 Wed
昨日疑問に思っていた(ひじゅにだけ?)
ライスカレーの答が(笑)
いやいや、だからさ
一応、過去にカレーは何度か出てはきたけど
てん&藤吉の間を象徴する程のものではなかったんじゃ…?
寧ろ栞様の思い出じゃん>甘いカレー
効果を発揮したのは千鳥師匠に対してだし>カレーうどん
無理くり言っても京香の方が関係深いじゃん>外米
それに、仲直りの印として家族3人でカレーを食べてたけど
あれって朝?
朝からカレーか…
まあ良いけど>良いんかい
…ひじゅにですが何か?
「大怪我?大怪我か!?」by藤吉
↑子供に異変があったと聞いて大慌ての藤吉の図ぅ―
一言で飛び出すならまだしも
「怪我か?病気か?」
「怪我か?怪我なんやな!?」
「大怪我?大怪我か!?」
何もこんなに繰り返さなくても…
これでは、父親の気持ちを表すというよりも
イカニモ視聴者に
藤吉はこんな風に誤解してますよ!
と説明している感ありありなんですけど…
ちゅーことで
風太&キヨの計らいで仲直りする、てん&藤吉の図ぅ―
あのう…
そりゃあ2人共、意地を張ってしまっているから
自分から歩み寄る…という芸当はできない状態だったのだろうけども
ドラマ的には、同じパターンの繰り返しじゃん(^^;)
*喧嘩→亀井さんの通訳→芸人達によるサプライズ節句
*喧嘩→亀井&トキを挟んでの伝言ゲーム→省太君を使ってサプライズ
喧嘩の内容も仲直りの仕方も含め、全くと言って良いほど同じ。
物凄く好意的に解釈して
*パターン繰り返しによるリズム感
*パターンを使うことによる螺旋的構造
*似た様な過ちや摩擦を繰り返して人は成長していくもの>パターンこそが人間?
…てなことを考えてみたけど
正直なところ、その通りの出来になっている様には見えないし
やっぱ、細かいエピ作りと全体の構成がイマイチという気がしてしまう(酷
つーか、その前に
風太ったら、いつどこで電話したのよ?
「てんは芸や寄席興行の事が分からんなりに
お前の考えを理解しようと頑張ってんねん」
「藤吉さんも同じです
おてん様の言うこと、よう分かってはります
万々亭で万丈目さんらに言うてはりました
皆は家族同然やて」
上手いこと2人を説得する風太&トキ。
このコンビネーションはOKだし
2人の様子は微笑ましいと言える範疇。
でも、言ってることは嘘っぱちだな(笑)
まあ、制作側はその通りに描いているつもりなんだろうな。
でも、視聴者にはサッパリ伝わってこない。
意図としては―
それぞれ、深い考えがあっての行動だったけれど
言葉が足りなかったり歩み寄りが足りなかったので誤解が生じてしまった。
だから
キチンと顔と顔を合わせて話し合えば必ず分かり合える。
…っちゅーわけなんだろう。
実際は>視聴者が受け取ってしまうものは―
誤解というよりまんまなんだけど
周囲に押し付けられる勝手な“理想”(もしくは妄想)に
簡単に乗せられて、その気になる偽りの夫婦
…って感じ(酷
あ、もしかして分かって作ってるからこそ
根拠の薄いライスカレーを持ってきたのかな?
しかも、夜の団欒ではなく朝…ってところに?
団吾・お夕・団真は最後の方でちょこっとだけ登場。
団吾のお夕さんへの純粋な思いも伝わって来るし
だからこそ、寺ギンの「50人切っても」に嫌悪感を抱き
てんの「お金で縛りたくない」という甘い考えに逆に惹かれていく
…ってことになるんだろうなあ、と思える。
お夕さんも、台詞なしでも佇まいで
それも、料理をするという日常的な動作の中で
心情が滲み出てくる。
団真も目の動きひとつで多くを語っているし
折れた扇子という小道具も味がある。
いつも一部分だけの『崇徳院』も。
3人共ちょこっとだけなのに、雰囲気がガラリと変わる。
それも深みを持って。
これも、もしかしたらもしかして
分かって作ってたりして?
大抵のドラマは
主人公を中心に大きな流れがあって
他の人々のエピはそれを彩るもの。
大きな流れを際立たせるために
他エピには似たパターンにしたりもする。
それに対し、我らが『わろてんか』は
主人公のエピの方が軽くて、同パターンを繰り返し
芸達者な脇役やゲストのエピを盛り立てる?
だとしたら、少しばかり斬新かも?
面白いかどうかは別として>ぉ
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

川の流れ

そっくりスイーツ

おねしょ対策

ライスカレーの答が(笑)
いやいや、だからさ
一応、過去にカレーは何度か出てはきたけど
てん&藤吉の間を象徴する程のものではなかったんじゃ…?
寧ろ栞様の思い出じゃん>甘いカレー
効果を発揮したのは千鳥師匠に対してだし>カレーうどん
無理くり言っても京香の方が関係深いじゃん>外米
それに、仲直りの印として家族3人でカレーを食べてたけど
あれって朝?
朝からカレーか…
まあ良いけど>良いんかい
…ひじゅにですが何か?
「大怪我?大怪我か!?」by藤吉
↑子供に異変があったと聞いて大慌ての藤吉の図ぅ―
一言で飛び出すならまだしも
「怪我か?病気か?」
「怪我か?怪我なんやな!?」
「大怪我?大怪我か!?」
何もこんなに繰り返さなくても…
これでは、父親の気持ちを表すというよりも
イカニモ視聴者に
藤吉はこんな風に誤解してますよ!
と説明している感ありありなんですけど…
ちゅーことで
風太&キヨの計らいで仲直りする、てん&藤吉の図ぅ―
あのう…
そりゃあ2人共、意地を張ってしまっているから
自分から歩み寄る…という芸当はできない状態だったのだろうけども
ドラマ的には、同じパターンの繰り返しじゃん(^^;)
*喧嘩→亀井さんの通訳→芸人達によるサプライズ節句
*喧嘩→亀井&トキを挟んでの伝言ゲーム→省太君を使ってサプライズ
喧嘩の内容も仲直りの仕方も含め、全くと言って良いほど同じ。
物凄く好意的に解釈して
*パターン繰り返しによるリズム感
*パターンを使うことによる螺旋的構造
*似た様な過ちや摩擦を繰り返して人は成長していくもの>パターンこそが人間?
…てなことを考えてみたけど
正直なところ、その通りの出来になっている様には見えないし
やっぱ、細かいエピ作りと全体の構成がイマイチという気がしてしまう(酷
つーか、その前に
風太ったら、いつどこで電話したのよ?
「てんは芸や寄席興行の事が分からんなりに
お前の考えを理解しようと頑張ってんねん」
「藤吉さんも同じです
おてん様の言うこと、よう分かってはります
万々亭で万丈目さんらに言うてはりました
皆は家族同然やて」
上手いこと2人を説得する風太&トキ。
このコンビネーションはOKだし
2人の様子は微笑ましいと言える範疇。
でも、言ってることは嘘っぱちだな(笑)
まあ、制作側はその通りに描いているつもりなんだろうな。
でも、視聴者にはサッパリ伝わってこない。
意図としては―
それぞれ、深い考えがあっての行動だったけれど
言葉が足りなかったり歩み寄りが足りなかったので誤解が生じてしまった。
だから
キチンと顔と顔を合わせて話し合えば必ず分かり合える。
…っちゅーわけなんだろう。
実際は>視聴者が受け取ってしまうものは―
誤解というよりまんまなんだけど
周囲に押し付けられる勝手な“理想”(もしくは妄想)に
簡単に乗せられて、その気になる偽りの夫婦
…って感じ(酷
あ、もしかして分かって作ってるからこそ
根拠の薄いライスカレーを持ってきたのかな?
しかも、夜の団欒ではなく朝…ってところに?
団吾・お夕・団真は最後の方でちょこっとだけ登場。
団吾のお夕さんへの純粋な思いも伝わって来るし
だからこそ、寺ギンの「50人切っても」に嫌悪感を抱き
てんの「お金で縛りたくない」という甘い考えに逆に惹かれていく
…ってことになるんだろうなあ、と思える。
お夕さんも、台詞なしでも佇まいで
それも、料理をするという日常的な動作の中で
心情が滲み出てくる。
団真も目の動きひとつで多くを語っているし
折れた扇子という小道具も味がある。
いつも一部分だけの『崇徳院』も。
3人共ちょこっとだけなのに、雰囲気がガラリと変わる。
それも深みを持って。
これも、もしかしたらもしかして
分かって作ってたりして?
大抵のドラマは
主人公を中心に大きな流れがあって
他の人々のエピはそれを彩るもの。
大きな流れを際立たせるために
他エピには似たパターンにしたりもする。
それに対し、我らが『わろてんか』は
主人公のエピの方が軽くて、同パターンを繰り返し
芸達者な脇役やゲストのエピを盛り立てる?
だとしたら、少しばかり斬新かも?
面白いかどうかは別として>ぉ
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

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