とうもろこし>『とと姉ちゃん』第109話 - 2016.08.08 Mon
予告で鞠子の花嫁姿も平塚らいてう(らしき人)も
バッチリ映ってた後なので
ネタ振りの月曜日…と呼ぶのもアザトイ
ああ、どうやったら
このドラマをワクワクしたりドキドキしたりしながら
観ることが出来るのでせう?
えっ?
そんなの贅沢?
無理を承知で無理クリ観るのが朝ドラ?
そそそそんな
…ひじゅにですが何か?
「私はもっと役に立ちたいの」by鞠子
初期の頃なら
それなりに役に立っていたよ。
常子のキャラがどうもイマイチ…
と分かり始めた初期の頃。
真の意味での「とと姉ちゃん」は鞠子の方だ!
という意見は
割と多かったんじゃないのかな。
常子より知的で落ち着きがあって
地味だけれど堅実な感じで
家族への思いやりや周囲への気遣いもそれなりにあって…
だから
あの頃のままの鞠子が今の様な悩みを抱えていたら
きっと全国お茶の間がこぞって(…は、言い過ぎかな)
鞠子を応援したかも?
でも
今の鞠子はなあ…
やはり一緒に暮らしているせいか
いや、血の繋がりの恐ろしさか
見る見るうちに常子化してきた鞠子!
もうダメだ
もう遅い…
もう共感してくれる人はいない(…は、大袈裟かな)
と思うぞ。
つーか
まあ…
共感してもらうためではなく
(このドラマは既にそんな段階ではなくなっている)
ただ単に今週のネタを今週の内にこなすため
適当に引っ張ってるだけ
って気はするけどさ(^^;)
一番強く感じるのは
あんな職場、嫌だ!
ってことかな(笑)
幾ら身内とはいえ
プライバシー無さ過ぎ。
下世話に騒ぐのも朝ドラ“お約束”
とはいえ
恋話でもちきりだなんて…
付き合う前から付き合いだしてから結婚の話しが出るまで
皆揃ってウキウキウォッチング(古)
勝手に推測したりズケズケ聞き出したりグイグイ押し付けたり…
「考えさせて下さい」と言いたいのは
水田さんの方じゃ!?
…と言いたいけど
これらの動きを正当化するため
他人である水田さんの方がベタ惚れで、いつまでも待つスタンス。
昔のことだから
結婚=家庭に入ること(専業主婦)
というのが当たり前(もしくは普通)
という感覚だったのだろうな。
だから「意識高い」系(笑)の鞠子は
途端に迷いだす…というわけ?
でもさ…
鞠子が作家志望だったなんて
忘れ果てていた視聴者の方が多かった気がするぞ。
だって、全く書いてない…書こうともしていないんだもの。
書きたい!という気持ちがまずあってのことじゃないの?
以前の感想にも書いたことの繰り返しになるけど(笑)
それだけ煮え切らないものだったんだよな。
でも、それが
雑誌作りを始めるにあたって鞠子の文章が求められたってことで
結果的にかもしれないけど
そこのところに鞠子はアイデンティティを見出したのだと
脳内補完していた。
花山さんが入って来て真っ先にしたのが
鞠子のキャッチコピーにダメ出しすることだった(…よね)?
でも、あれは
今日のダメ出し→自信喪失
とは違って
あくまでもスタート台での話だった。
鞠子が花山さんの才能を認め
自分も精進しようと決意するためのエピだったのだと
これまた脳内補完していた。
実際その後、鞠子が文章の件で凹んでいる様子はなかったし
寧ろノホホンと仕事していたし
花山さんが一旦辞職した時も自信ありそうな雰囲気だったし
少なくとも今の仕事にそれなりのものを見出しているのだと思ってた。
それが今だに作家コンプレックスを引きずっていたとは…
もしかして
戦争中は戦争のせいで書けない!と言っていた様に
出版社のせいで書けない!
家のために働いているせいで書けない!
そして今度は
結婚しちゃうと書けない?
根拠のない自信を売りにしている常子とは
そこが大きな違いってことか?(笑)
加えて今日のダメ出し…
いやいや、これは取って付けた様なエピだよね。
もっと以前から時々ああいうシーンが入っていたなら
鞠子がコンプレックスを抱えてしまうのが分かったかも?
ま
取って付けた様な―というのが西田流!
というのは誰もが認める(多分)ことだな。
久しぶりに登場の東堂先生。
今だにあの物置小屋に住んでいるらしい。
でもって
「変化する家具」は全く劣化していない!
常子が貼った紙はとっくに汚れたり破けたりしてると思ってたのに…
あ、それとも
東堂先生が同じ柄の紙をストックしていて
定期的に貼り替えている?
…のは良いとして
先生のアドバイスってアドバイスか?
鞠子の悩みを、まんま言葉に纏めてみただけじゃないのか?
…ヨクワカラナイのも西田流。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

「生」で食べれるフルーツとうもろこし

焼とうもろこし おかき

とうもろこしそっくりな 折り畳み傘

バッチリ映ってた後なので
ネタ振りの月曜日…と呼ぶのもアザトイ
ああ、どうやったら
このドラマをワクワクしたりドキドキしたりしながら
観ることが出来るのでせう?
えっ?
そんなの贅沢?
無理を承知で無理クリ観るのが朝ドラ?
そそそそんな
…ひじゅにですが何か?
「私はもっと役に立ちたいの」by鞠子
初期の頃なら
それなりに役に立っていたよ。
常子のキャラがどうもイマイチ…
と分かり始めた初期の頃。
真の意味での「とと姉ちゃん」は鞠子の方だ!
という意見は
割と多かったんじゃないのかな。
常子より知的で落ち着きがあって
地味だけれど堅実な感じで
家族への思いやりや周囲への気遣いもそれなりにあって…
だから
あの頃のままの鞠子が今の様な悩みを抱えていたら
きっと全国お茶の間がこぞって(…は、言い過ぎかな)
鞠子を応援したかも?
でも
今の鞠子はなあ…
やはり一緒に暮らしているせいか
いや、血の繋がりの恐ろしさか
見る見るうちに常子化してきた鞠子!
もうダメだ
もう遅い…
もう共感してくれる人はいない(…は、大袈裟かな)
と思うぞ。
つーか
まあ…
共感してもらうためではなく
(このドラマは既にそんな段階ではなくなっている)
ただ単に今週のネタを今週の内にこなすため
適当に引っ張ってるだけ
って気はするけどさ(^^;)
一番強く感じるのは
あんな職場、嫌だ!
ってことかな(笑)
幾ら身内とはいえ
プライバシー無さ過ぎ。
下世話に騒ぐのも朝ドラ“お約束”
とはいえ
恋話でもちきりだなんて…
付き合う前から付き合いだしてから結婚の話しが出るまで
皆揃ってウキウキウォッチング(古)
勝手に推測したりズケズケ聞き出したりグイグイ押し付けたり…
「考えさせて下さい」と言いたいのは
水田さんの方じゃ!?
…と言いたいけど
これらの動きを正当化するため
他人である水田さんの方がベタ惚れで、いつまでも待つスタンス。
昔のことだから
結婚=家庭に入ること(専業主婦)
というのが当たり前(もしくは普通)
という感覚だったのだろうな。
だから「意識高い」系(笑)の鞠子は
途端に迷いだす…というわけ?
でもさ…
鞠子が作家志望だったなんて
忘れ果てていた視聴者の方が多かった気がするぞ。
だって、全く書いてない…書こうともしていないんだもの。
書きたい!という気持ちがまずあってのことじゃないの?
以前の感想にも書いたことの繰り返しになるけど(笑)
それだけ煮え切らないものだったんだよな。
でも、それが
雑誌作りを始めるにあたって鞠子の文章が求められたってことで
結果的にかもしれないけど
そこのところに鞠子はアイデンティティを見出したのだと
脳内補完していた。
花山さんが入って来て真っ先にしたのが
鞠子のキャッチコピーにダメ出しすることだった(…よね)?
でも、あれは
今日のダメ出し→自信喪失
とは違って
あくまでもスタート台での話だった。
鞠子が花山さんの才能を認め
自分も精進しようと決意するためのエピだったのだと
これまた脳内補完していた。
実際その後、鞠子が文章の件で凹んでいる様子はなかったし
寧ろノホホンと仕事していたし
花山さんが一旦辞職した時も自信ありそうな雰囲気だったし
少なくとも今の仕事にそれなりのものを見出しているのだと思ってた。
それが今だに作家コンプレックスを引きずっていたとは…
もしかして
戦争中は戦争のせいで書けない!と言っていた様に
出版社のせいで書けない!
家のために働いているせいで書けない!
そして今度は
結婚しちゃうと書けない?
根拠のない自信を売りにしている常子とは
そこが大きな違いってことか?(笑)
加えて今日のダメ出し…
いやいや、これは取って付けた様なエピだよね。
もっと以前から時々ああいうシーンが入っていたなら
鞠子がコンプレックスを抱えてしまうのが分かったかも?
ま
取って付けた様な―というのが西田流!
というのは誰もが認める(多分)ことだな。
久しぶりに登場の東堂先生。
今だにあの物置小屋に住んでいるらしい。
でもって
「変化する家具」は全く劣化していない!
常子が貼った紙はとっくに汚れたり破けたりしてると思ってたのに…
あ、それとも
東堂先生が同じ柄の紙をストックしていて
定期的に貼り替えている?
…のは良いとして
先生のアドバイスってアドバイスか?
鞠子の悩みを、まんま言葉に纏めてみただけじゃないのか?
…ヨクワカラナイのも西田流。
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