言葉の力>『とと姉ちゃん』第87話 - 2016.07.13 Wed
昨日の寺田農に続き
今日は唐沢寿明に長台詞を強要する西田
水田@伊藤淳史も控えているし
そのうち闇市シーンで登場した勝俣州和まで
長々と語らせられたりして?
いっそ
TVドラマとしてはこれで打ち切り
続きはラジオで!
ってならないかなあ(酷
「言葉の力の持つ怖さ」by花山
最初に細かいツッコミを―
昨日は
コーヒーを頼んだから私は客です!
と、花山さんと話すための手段にしていた常子。
今日は
花山さんと何とか話せたもんだから
コーヒー代を払わず帰ってしまうとは…
何て、ちゃっかり屋さんなんだっ!
それでいて
出しもしなかった財布は「うっかり」落としていくし
中にはしっかり名前と住所が書かれているし…
何て策士なんだっ!?
それに、かか
いつもはノホホ~ンとしているくせに
花山さんには口を挟ませない程のマシンガン攻撃。
これは常子とグルに違いない!
…今日も疲れる『とと姉ちゃん』である(^^;)
今日も、花山さんの心に土足で踏み入る常子の図ぅ―
実際には大して苦労していない常子だけど
ドラマ的には色々と大変な思いをして頑張って来た
ってことになっているらしいから
8月15日を境に変わってしまったらしい花山さんの姿に
何も察することができない、察しようともしないのは
オカシイんじゃ…
勿論、事情がどうかなんて分かりっこないけど
だからこそ、彼が抱えているであろう心の傷に
もっともっと気遣いを示して当然じゃ…
なのに
「理由は何だ?早く言え!サッサと言え!」
って感じで押しまくる常子って(――;)
まあ、経験していれば良いってもんじゃないとは思うよ。
例えば病気で苦しんでいる人に
同じ病気をしたけど軽くて済んだ人は
その人に対しても軽い反応しか示せないかもしれない。
逆に健康な人の方が
知らないだけに思いやりを示せるかもしれない。
要は謙遜になれるかどうか…かもな。
で
常子に一番足りないものの一つは謙遜さ(笑)
しかもさ、その理由は自分の雑誌のためだろ?
「私がその傷を治してあげますわ~オホホ」
なんてのだったら虫唾が走るけど
それでもまだ相手のことを考えているとは言える。
でもさ、実際は金儲けのためだろ?
まあ、金持ちを夢見るのは悪いことじゃない。
寧ろ誰もが持っている願望だろう>今の世の中じゃね
だったら、一緒に夢に向かって歩みましょう!
ってのなら良いんじゃね?
生活が苦しい花山さんに仕事を与えるって目的でも悪くない。
(それも場合によっては上目線になりかねないけど)
でも、実際には逆に頼ろうとしているだけじゃん。
自分達だけでは売れる雑誌を作れないのが分かったから
才能も実績もある花山さんに丸投げしようとしているだけ。
家族のために切羽詰まって…ってのではなく
セレブな生活を得てアハハオホホしたいだけだろ?
虫唾が走るなんてカワイイもんじゃないよな。
自己中な理由で他人をなぶりものにするなんて
下手したら殺人(心を殺す)行為。
そんな風に常子が映ってしまうのは
言葉ではなくエピソードそのものや映像や演技によって
そうしたイメージしかもたらさなかったから。
浜松時代のととの会社から始まって
ひたすら他人に依存しまくってきた一家の図ぅしか
見せてこなかったから。
だから今は花山さんに取りすがって利用しようとしているだけ
にしか見えないんだよなあ…
初登場時、花山さんは
戦意高揚のキャッチコピーを書いていた。
玉音放送の日、花山さんは
固い表情&涙目だった。
細かい事情を知らない視聴者でも
(戦争についても、モデルの花森安治さんについても全く知らない
ひじゅにの様な視聴者でも)
何となし、彼の心情が察せられる様な気がした。
でもって、そのへんの事情は
少しずつ語られていくのだろうなと思っていた。
そして色々と絡まり合った末に
常子と雑誌への思い、読者への思い、世の中への思いで一致して
2人して頑張っていくのだろうと。
ところがどっこい
そうした映像や役者の力を信頼していないのか
視聴者の理解力を信頼していないのか
昨日今日と、ひたすら言葉で説明しまくる西田。
昨日も書いたけど今日もまた
役者力のおかげで説得力のある台詞になったので
一応、形にはなっていると思うし
内容的には良いので、感動さえできるシーンにはなっている。
つまり、信用していない(と思われる)役者力に
丸投げしているんじゃん!という矛盾
…は、置いとくとして
それだけ「言葉の力」に頼っているのに
その言葉で構成されたこのドラマがまるでドラマになっていないのは何故?
ももももしかしたら
我らが西田は
この「言葉の力の怖さ」を視聴者に実感させるため
この『とと姉ちゃん』を書いているのかも!?
だって
ここまでずっと
説明台詞だらけで作られてきた『とと姉ちゃん』
変な台詞、的外れな台詞
…は言うに及ばず
台詞そのものは良い事を訴えているのに
画面から伺えるものは真逆
…という素晴らしい実例をさんざん見せつけてきた。
おかげで
言葉の軽さ
言葉の薄さ
言葉の頼りなさ
…を、視聴者は思い知らされた。
どんな言葉並べても
真実にはならないから
…この主題歌の歌詞が全てなのかもなあ…
ああ、何て虚しいドラマなのでせう(――;)
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

財布

言葉の力がつく

屋根は雨漏り防止設計

今日は唐沢寿明に長台詞を強要する西田
水田@伊藤淳史も控えているし
そのうち闇市シーンで登場した勝俣州和まで
長々と語らせられたりして?
いっそ
TVドラマとしてはこれで打ち切り
続きはラジオで!
ってならないかなあ(酷
「言葉の力の持つ怖さ」by花山
最初に細かいツッコミを―
昨日は
コーヒーを頼んだから私は客です!
と、花山さんと話すための手段にしていた常子。
今日は
花山さんと何とか話せたもんだから
コーヒー代を払わず帰ってしまうとは…
何て、ちゃっかり屋さんなんだっ!
それでいて
出しもしなかった財布は「うっかり」落としていくし
中にはしっかり名前と住所が書かれているし…
何て策士なんだっ!?
それに、かか
いつもはノホホ~ンとしているくせに
花山さんには口を挟ませない程のマシンガン攻撃。
これは常子とグルに違いない!
…今日も疲れる『とと姉ちゃん』である(^^;)
今日も、花山さんの心に土足で踏み入る常子の図ぅ―
実際には大して苦労していない常子だけど
ドラマ的には色々と大変な思いをして頑張って来た
ってことになっているらしいから
8月15日を境に変わってしまったらしい花山さんの姿に
何も察することができない、察しようともしないのは
オカシイんじゃ…
勿論、事情がどうかなんて分かりっこないけど
だからこそ、彼が抱えているであろう心の傷に
もっともっと気遣いを示して当然じゃ…
なのに
「理由は何だ?早く言え!サッサと言え!」
って感じで押しまくる常子って(――;)
まあ、経験していれば良いってもんじゃないとは思うよ。
例えば病気で苦しんでいる人に
同じ病気をしたけど軽くて済んだ人は
その人に対しても軽い反応しか示せないかもしれない。
逆に健康な人の方が
知らないだけに思いやりを示せるかもしれない。
要は謙遜になれるかどうか…かもな。
で
常子に一番足りないものの一つは謙遜さ(笑)
しかもさ、その理由は自分の雑誌のためだろ?
「私がその傷を治してあげますわ~オホホ」
なんてのだったら虫唾が走るけど
それでもまだ相手のことを考えているとは言える。
でもさ、実際は金儲けのためだろ?
まあ、金持ちを夢見るのは悪いことじゃない。
寧ろ誰もが持っている願望だろう>今の世の中じゃね
だったら、一緒に夢に向かって歩みましょう!
ってのなら良いんじゃね?
生活が苦しい花山さんに仕事を与えるって目的でも悪くない。
(それも場合によっては上目線になりかねないけど)
でも、実際には逆に頼ろうとしているだけじゃん。
自分達だけでは売れる雑誌を作れないのが分かったから
才能も実績もある花山さんに丸投げしようとしているだけ。
家族のために切羽詰まって…ってのではなく
セレブな生活を得てアハハオホホしたいだけだろ?
虫唾が走るなんてカワイイもんじゃないよな。
自己中な理由で他人をなぶりものにするなんて
下手したら殺人(心を殺す)行為。
そんな風に常子が映ってしまうのは
言葉ではなくエピソードそのものや映像や演技によって
そうしたイメージしかもたらさなかったから。
浜松時代のととの会社から始まって
ひたすら他人に依存しまくってきた一家の図ぅしか
見せてこなかったから。
だから今は花山さんに取りすがって利用しようとしているだけ
にしか見えないんだよなあ…
初登場時、花山さんは
戦意高揚のキャッチコピーを書いていた。
玉音放送の日、花山さんは
固い表情&涙目だった。
細かい事情を知らない視聴者でも
(戦争についても、モデルの花森安治さんについても全く知らない
ひじゅにの様な視聴者でも)
何となし、彼の心情が察せられる様な気がした。
でもって、そのへんの事情は
少しずつ語られていくのだろうなと思っていた。
そして色々と絡まり合った末に
常子と雑誌への思い、読者への思い、世の中への思いで一致して
2人して頑張っていくのだろうと。
ところがどっこい
そうした映像や役者の力を信頼していないのか
視聴者の理解力を信頼していないのか
昨日今日と、ひたすら言葉で説明しまくる西田。
昨日も書いたけど今日もまた
役者力のおかげで説得力のある台詞になったので
一応、形にはなっていると思うし
内容的には良いので、感動さえできるシーンにはなっている。
つまり、信用していない(と思われる)役者力に
丸投げしているんじゃん!という矛盾
…は、置いとくとして
それだけ「言葉の力」に頼っているのに
その言葉で構成されたこのドラマがまるでドラマになっていないのは何故?
ももももしかしたら
我らが西田は
この「言葉の力の怖さ」を視聴者に実感させるため
この『とと姉ちゃん』を書いているのかも!?
だって
ここまでずっと
説明台詞だらけで作られてきた『とと姉ちゃん』
変な台詞、的外れな台詞
…は言うに及ばず
台詞そのものは良い事を訴えているのに
画面から伺えるものは真逆
…という素晴らしい実例をさんざん見せつけてきた。
おかげで
言葉の軽さ
言葉の薄さ
言葉の頼りなさ
…を、視聴者は思い知らされた。
どんな言葉並べても
真実にはならないから
…この主題歌の歌詞が全てなのかもなあ…
ああ、何て虚しいドラマなのでせう(――;)
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

財布

言葉の力がつく

屋根は雨漏り防止設計

スポンサーサイト