ととの代わり>『とと姉ちゃん』第5話 - 2016.04.08 Fri
桜のシーンは
ちょいウルウル
そして
つん姉ちゃんが
とと姉ちゃんになった日―
…ひじゅにですが何か?
「その発想力と集中力は素晴らしいと思います」byとと
桜が咲く日まで間に合わない
…という展開は多い気がするんだけど
策を思いつかないまま桜が散ってしまう
…というのは意外に新鮮かも>ぇ
それまで、ととの命が持ったってことで
桜を眺めながら亡くなる…なんていうこともなく
つまり、いかにもドラマチックな顛末になせず
大切に大切にしている「普通の暮らし」の延長線で
ととはいなくなってしまった。
倒れたところや臨終の様子を直接描かない、という手法は
前作でも触れたけれども、割と好み。
品とか優しさとか感じられるからね。
でも、今作はそうしたことは勿論
つーか、そうしたことよりも
ととの理想、家族に対する「夢」…といったものを
そのまま表現しているかの様で、良かったと思う。
*ピンクの布で満開の桜―
隔離状態にある人に
安静にしていなければならない人に
どうやって桜を見せるのか?
と思ったら
かか&常子が支えて歩かせるとは…
そこが問題ではなかったらしい(^^;)
だったら、本物の桜が咲いているうちに何とかなったんじゃ…
なんて言ったら野暮ってもんですねそうですね。
子供達だけで考えたことなので
思いつくまで時間がかかってしまったってことなんでせう。
「もう一度お花を咲かせられないかな」
企画者&統率者@常子
「花咲かじいさんだ」
無邪気な発案者@美子
「散っちゃったお花を、もう一度くっつけない限り無理なんじゃない?」
現実的つーか理論的(?)@鞠子
ちゅーことで方針決定。
加えて行動力のある常子ちゃんは
何と、ととの職場に協力要請。
後の3人を彷彿とさせる?
場所も人も布も提供してくれる染物工場。
あ、この日のためい染物工場に設定したのか>ぇ
ととが身体を壊すほど忙しいんじゃなかったのかよ?
布代だけでも随分かかっただろうに大丈夫なのかよ?
…という疑問も湧くけど>こらこら
今迄の描写で
人情味ある職場だってことは十分伝わってきたから
この展開は、すんなり受け入れられる。
「叔父さん、雑!」by常子
やっぱ、鉄郎叔父さんは癒しキャラだなあ。
この先、皆にトンデモナイ迷惑をかけたり呆れられたりする可能性は
大いにあるけど
今のところは、出てくると何となくホッとする。
ホッとする…ってことは
本編では緊張して観ているのか?
ってことになるけど
多分、そういうところがあると思う。
「普通の暮らし」のはずなのに
ととの「夢」は優し過ぎるものなのに
全てが美しいのに
何か苦しさが伴う。
*とと姉ちゃん誕生―
「この世の中で女4人で生きていく困難を思うと」
さぞや無念であったろうね、とと。
でも、まだ幼い常子ちゃんに父親代理を頼むのは
あまりに重過ぎる。
子供でも対等に扱うということと
親の役割を担わせるということは全く違うと思う。
思うけれども
死を目前にした、ととにとっては
たった一本のか細い糸だったんだろうから
それに縋ったことを責めることはできないよなあ…
でも、何だか
ととの妄執が呪縛となった瞬間
って気がしてしまった>こらこら
まあ、元から優しい子でもあるし
現代よりもずっと大きな意味があったと思われる“長女”でもあるし
常子ちゃんは何も言われなくても、きっと
母を支え妹達を守ろうと必死に頑張っただろうけどね。
そうした呪縛に苦しむ物語ではなく
明るく元気に頑張る3姉妹の図ぅ―
が描かれるのだろうと思うし、それを期待するけど。
↑某『まれ』の毒親もそうだったけど
これほど深く重いテーマを朝ドラで本格的に描くとも描けるとも思えない
懐疑的な自分がいるもんで。
なので、できれば
ちょっと匂わせているだけで終わりか、こちらの勝手な勘違いってことで済ませたい
と思っちゃうもんで>これもトラウマ?
この“苦しさ”は
凝縮された、ととの人生(というか人間性)や
失われていく子供時代の脆くて儚い美しさが
“汚れちまった”大人の目には痛い…ってことでもあるのだろうし。
それにしても
家訓の一つ「月に一度、家族皆でお出掛けすること」が
初めて破られる…ってところから物語が動き出し
もう一つの「朝食は家族皆でとること」が
襖越しにしか果たせなくなり
子供達によって最後の一回が実現するも
その後は永久に…となって
家訓で上手いこと纏められた第一週であった。
↑まだ土曜日が残ってますがな
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

桜染めスカーフ

和トリュフSAKURA

桜ネックレス

ちょいウルウル
そして
つん姉ちゃんが
とと姉ちゃんになった日―
…ひじゅにですが何か?
「その発想力と集中力は素晴らしいと思います」byとと
桜が咲く日まで間に合わない
…という展開は多い気がするんだけど
策を思いつかないまま桜が散ってしまう
…というのは意外に新鮮かも>ぇ
それまで、ととの命が持ったってことで
桜を眺めながら亡くなる…なんていうこともなく
つまり、いかにもドラマチックな顛末になせず
大切に大切にしている「普通の暮らし」の延長線で
ととはいなくなってしまった。
倒れたところや臨終の様子を直接描かない、という手法は
前作でも触れたけれども、割と好み。
品とか優しさとか感じられるからね。
でも、今作はそうしたことは勿論
つーか、そうしたことよりも
ととの理想、家族に対する「夢」…といったものを
そのまま表現しているかの様で、良かったと思う。
*ピンクの布で満開の桜―
隔離状態にある人に
安静にしていなければならない人に
どうやって桜を見せるのか?
と思ったら
かか&常子が支えて歩かせるとは…
そこが問題ではなかったらしい(^^;)
だったら、本物の桜が咲いているうちに何とかなったんじゃ…
なんて言ったら野暮ってもんですねそうですね。
子供達だけで考えたことなので
思いつくまで時間がかかってしまったってことなんでせう。
「もう一度お花を咲かせられないかな」
企画者&統率者@常子
「花咲かじいさんだ」
無邪気な発案者@美子
「散っちゃったお花を、もう一度くっつけない限り無理なんじゃない?」
現実的つーか理論的(?)@鞠子
ちゅーことで方針決定。
加えて行動力のある常子ちゃんは
何と、ととの職場に協力要請。
後の3人を彷彿とさせる?
場所も人も布も提供してくれる染物工場。
あ、この日のためい染物工場に設定したのか>ぇ
ととが身体を壊すほど忙しいんじゃなかったのかよ?
布代だけでも随分かかっただろうに大丈夫なのかよ?
…という疑問も湧くけど>こらこら
今迄の描写で
人情味ある職場だってことは十分伝わってきたから
この展開は、すんなり受け入れられる。
「叔父さん、雑!」by常子
やっぱ、鉄郎叔父さんは癒しキャラだなあ。
この先、皆にトンデモナイ迷惑をかけたり呆れられたりする可能性は
大いにあるけど
今のところは、出てくると何となくホッとする。
ホッとする…ってことは
本編では緊張して観ているのか?
ってことになるけど
多分、そういうところがあると思う。
「普通の暮らし」のはずなのに
ととの「夢」は優し過ぎるものなのに
全てが美しいのに
何か苦しさが伴う。
*とと姉ちゃん誕生―
「この世の中で女4人で生きていく困難を思うと」
さぞや無念であったろうね、とと。
でも、まだ幼い常子ちゃんに父親代理を頼むのは
あまりに重過ぎる。
子供でも対等に扱うということと
親の役割を担わせるということは全く違うと思う。
思うけれども
死を目前にした、ととにとっては
たった一本のか細い糸だったんだろうから
それに縋ったことを責めることはできないよなあ…
でも、何だか
ととの妄執が呪縛となった瞬間
って気がしてしまった>こらこら
まあ、元から優しい子でもあるし
現代よりもずっと大きな意味があったと思われる“長女”でもあるし
常子ちゃんは何も言われなくても、きっと
母を支え妹達を守ろうと必死に頑張っただろうけどね。
そうした呪縛に苦しむ物語ではなく
明るく元気に頑張る3姉妹の図ぅ―
が描かれるのだろうと思うし、それを期待するけど。
↑某『まれ』の毒親もそうだったけど
これほど深く重いテーマを朝ドラで本格的に描くとも描けるとも思えない
懐疑的な自分がいるもんで。
なので、できれば
ちょっと匂わせているだけで終わりか、こちらの勝手な勘違いってことで済ませたい
と思っちゃうもんで>これもトラウマ?
この“苦しさ”は
凝縮された、ととの人生(というか人間性)や
失われていく子供時代の脆くて儚い美しさが
“汚れちまった”大人の目には痛い…ってことでもあるのだろうし。
それにしても
家訓の一つ「月に一度、家族皆でお出掛けすること」が
初めて破られる…ってところから物語が動き出し
もう一つの「朝食は家族皆でとること」が
襖越しにしか果たせなくなり
子供達によって最後の一回が実現するも
その後は永久に…となって
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