目玉焼き>『とと姉ちゃん』第3話 - 2016.04.06 Wed
安心してください
履いてますよ!
ならぬ
安心してください
贋作ですよ!
の巻
…ひじゅにですが何か?
「悪かったね、大事にさせて」by大迫
↑イキナリ良い人になっちゃうラサール(笑)
今日もまた
とても、ゆったりとして
そして、ほのぼのとして
見た目も美しく可愛く
良く纏まったお話でありました。
だけど
イキナリ説明臭くなってきたなあ(^^;)
まずはラサールの前で
子供達の前で
土下座するととの図ぅ―
子供達には衝撃的な光景だったろうなあ…
まあ、子供達に仕出かしてしまったことの重大さを知らしめるのに
このくらいはすべきだったのかもしれない。
上の2人は最初から大変なことだと思うからこそ
アレコレ誤魔化そうとしたわけだけど
(誤魔化すことだって良くないけど)
美子ちゃんは鉄郎叔父さんに「1000円はする」と聞いて
やっとこシリアスな顔になったくらいだからな(笑)
…なんて思いつつ観ていたんだけど
あのピカッツァは贋作だったというオチ。
「大事」でなく済ませるには
これが一番無難なんだろうけど
ナンダカナ…
と思ってしまったのは私だけ?>だけだろ
贋作なら何しても良いんかい!?
って思えちゃうからさ。
実際、子供達の反応は
「ああ、良かった~」by美子
「そうしてこんなボロボロの絵にお金を払ったんですか」by常子
だしなあ(^^;)
せめて
贋作であったとしても落書きしてダメにするのはダメ!
と諭すシーンがあったら…って気がするけど
でもまあ、1000円までは行かなかったにしろ
小橋家にとっては大金と思われる10円を払ったのだから
そこは子供達もちゃんと理解したのだろうと脳内補完。
ちなみに検索してみたら
昭和初期の10円は現在の5万円くらいだろうとのこと。
「最初は美子のイタズラですが、それを何とかしようとした
鞠子と常子の優しさが生み出した名画ですよ」
この、ととの言葉は良かった。
単純に“叱らない躾”ってヤツじゃなくて
どこまでもどこまでも優しい父親なのだな。
偽善のない、底なしの優しさが
真の意味で人の心を動かす
ってことは確かにあるからな。
でもって
紅葉狩り―
色とりどりで美しい景色と美しい服装。
美味しそうなお弁当。
そして、白黒写真。
これらは三姉妹にとって幸福の象徴であり
消えない思い出となるのだろうな。
頭の中ではカラフルなままなのに
手元にあるのは白黒写真
…ってところに
過行く時間
失われた日々
という切なさが加わる。
でもって
当時の一般的な家庭とは全く異なる、ととの方針
鉄郎叔父さんじゃないけど「ちょっと甘すぎるんじゃね?」と
思えてしまうほどの、ととの考え方の理由が説明される。
叔父さんの口から
とと本人の口から
つまりは台詞で>ぉ
↑何でもかんでも映像にしろっていうわけじゃないし
寧ろ逆に台詞から映像がハッキリ浮かぶという現象もあるのは承知。
ゆったりとした心地よい流れに
台詞が少し違う響きを加えてしまった感じがしてしまった>スマソ
「当たり前にある毎日でもそれは
とっても大切な一瞬の積み重ねだと思っています」
「いつ失うことになるか分からない」
両親を早くに亡くしたことが大きな影響を与えているらしい。
これが、とと自身の上にも実現してしまうという
アカラサマな伏線。
それを立ち聞き@“お約束”
してしまった常子ちゃんの今後の人生を示唆するものでもある。
『おひさま』第一週を思い出すなあ。
あちらは母親だったけど。
丁寧な言葉遣いとか上品な感じとか
ゆったりとした美しい景色&話運びとか
共通するものがあるな。
あちらは半ばから急速にダメ化してしまったけど
本作は最後まで保ってくれるでせうか?
本当言うと、全体的には
何故か『梅ちゃん先生』を思い出すんだけどね。
片岡鶴太郎が出演すると聞いて
「ああ、成程ね」と思っちゃったざんす>ぇ
美子ちゃん作の目玉焼き
失敗しちゃうのは全く構わないんだけど
寧ろ子供らしくて可愛いとさえ言えるのだけど
ワザと箸で黄身を崩していた様に見えたのは私だけ?
白身は焦げもせず丸く綺麗に焼けてるし
私よりよっぽど上手なんですけど>ぉ
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

ポーチ

チョコレート

椿

履いてますよ!
ならぬ
安心してください
贋作ですよ!
の巻
…ひじゅにですが何か?
「悪かったね、大事にさせて」by大迫
↑イキナリ良い人になっちゃうラサール(笑)
今日もまた
とても、ゆったりとして
そして、ほのぼのとして
見た目も美しく可愛く
良く纏まったお話でありました。
だけど
イキナリ説明臭くなってきたなあ(^^;)
まずはラサールの前で
子供達の前で
土下座するととの図ぅ―
子供達には衝撃的な光景だったろうなあ…
まあ、子供達に仕出かしてしまったことの重大さを知らしめるのに
このくらいはすべきだったのかもしれない。
上の2人は最初から大変なことだと思うからこそ
アレコレ誤魔化そうとしたわけだけど
(誤魔化すことだって良くないけど)
美子ちゃんは鉄郎叔父さんに「1000円はする」と聞いて
やっとこシリアスな顔になったくらいだからな(笑)
…なんて思いつつ観ていたんだけど
あのピカッツァは贋作だったというオチ。
「大事」でなく済ませるには
これが一番無難なんだろうけど
ナンダカナ…
と思ってしまったのは私だけ?>だけだろ
贋作なら何しても良いんかい!?
って思えちゃうからさ。
実際、子供達の反応は
「ああ、良かった~」by美子
「そうしてこんなボロボロの絵にお金を払ったんですか」by常子
だしなあ(^^;)
せめて
贋作であったとしても落書きしてダメにするのはダメ!
と諭すシーンがあったら…って気がするけど
でもまあ、1000円までは行かなかったにしろ
小橋家にとっては大金と思われる10円を払ったのだから
そこは子供達もちゃんと理解したのだろうと脳内補完。
ちなみに検索してみたら
昭和初期の10円は現在の5万円くらいだろうとのこと。
「最初は美子のイタズラですが、それを何とかしようとした
鞠子と常子の優しさが生み出した名画ですよ」
この、ととの言葉は良かった。
単純に“叱らない躾”ってヤツじゃなくて
どこまでもどこまでも優しい父親なのだな。
偽善のない、底なしの優しさが
真の意味で人の心を動かす
ってことは確かにあるからな。
でもって
紅葉狩り―
色とりどりで美しい景色と美しい服装。
美味しそうなお弁当。
そして、白黒写真。
これらは三姉妹にとって幸福の象徴であり
消えない思い出となるのだろうな。
頭の中ではカラフルなままなのに
手元にあるのは白黒写真
…ってところに
過行く時間
失われた日々
という切なさが加わる。
でもって
当時の一般的な家庭とは全く異なる、ととの方針
鉄郎叔父さんじゃないけど「ちょっと甘すぎるんじゃね?」と
思えてしまうほどの、ととの考え方の理由が説明される。
叔父さんの口から
とと本人の口から
つまりは台詞で>ぉ
↑何でもかんでも映像にしろっていうわけじゃないし
寧ろ逆に台詞から映像がハッキリ浮かぶという現象もあるのは承知。
ゆったりとした心地よい流れに
台詞が少し違う響きを加えてしまった感じがしてしまった>スマソ
「当たり前にある毎日でもそれは
とっても大切な一瞬の積み重ねだと思っています」
「いつ失うことになるか分からない」
両親を早くに亡くしたことが大きな影響を与えているらしい。
これが、とと自身の上にも実現してしまうという
アカラサマな伏線。
それを立ち聞き@“お約束”
してしまった常子ちゃんの今後の人生を示唆するものでもある。
『おひさま』第一週を思い出すなあ。
あちらは母親だったけど。
丁寧な言葉遣いとか上品な感じとか
ゆったりとした美しい景色&話運びとか
共通するものがあるな。
あちらは半ばから急速にダメ化してしまったけど
本作は最後まで保ってくれるでせうか?
本当言うと、全体的には
何故か『梅ちゃん先生』を思い出すんだけどね。
片岡鶴太郎が出演すると聞いて
「ああ、成程ね」と思っちゃったざんす>ぇ
美子ちゃん作の目玉焼き
失敗しちゃうのは全く構わないんだけど
寧ろ子供らしくて可愛いとさえ言えるのだけど
ワザと箸で黄身を崩していた様に見えたのは私だけ?
白身は焦げもせず丸く綺麗に焼けてるし
私よりよっぽど上手なんですけど>ぉ
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

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