「ええ人生やった」>『あさが来た』第149話 - 2016.03.25 Fri
今日は
はつの一人舞台
って感じだったなあ
勿論
惣兵衛さんや新次郎さんの演技も良かったけど
今日の宮崎あおいは
初めて感情を露わにした(と言って良い)はつを
自然に的確に表現していたと思う
超個人的なことだけど
この『あさが来た』は
某『純情きらり』で植え付けられたトラウマを
解消してくれたドラマだった
朝ドラの恨みは朝ドラで…って感じ?(笑)
…ひじゅにですが何か?
「ようよう弱いとこ見せてくれましたがな」by惣兵衛
小さい時から、しっかり者で賢くて
それ故に常に“大人”な態度で生きていた、はつ。
妹が“枠からはみ出した子”だったせいもあって余計に(^^;)
初めて山王寺屋を訪ねていく前の晩だったっけ
初めて涙を見せたのは?
その後はずっと優等生だった、はつ。
はんなりしたお嬢様だったのが
アレコレ揉まれて強くなっていく、その様子は
なかなか頼もしかった。
反面、あまりにも出来過ぎで
多分、多くの視聴者には「菩薩の様」と
良い意味で映ったんだろうけど
ひじゅに的には、何か不自然というか
幾ら何でも…感があったんだよな>スマソ
そうならざるを得なかった…ってのも分かるから
ちょっと痛々しい気もしたし
反面、したたかで一筋縄ではいかない女って印象で
ちょっと怖い気もした。
だから、今日の
「笑われしまへん」
ってところが、まず良かった。
惣兵衛さんが言う通り
強いはずのはつが初めて弱さを見せた瞬間。
最初の頃、はつを支えていたのは
「お家を守る」という父の教えであり
はつの誇りだったわけだけど
はつを本当に強くし
さらに、その後は
ずっと笑っていられる様にしてくれたのは
まさに惣兵衛さんだったのだね。
だから、惣兵衛さんがいなくなってしまうと思ったら
笑うことなんて出来ない。
惣兵衛さん初登場シーンで
あさが「笑てください」と頼んだのと
対になっているシーンってことやろか?
惣兵衛さんを見送った後
縁側でぽつんと座っている姿も良かった。
ただ座っているだけの演技に感心したのは
『カーネーション』のオノマチ。
朝ドラらしく、さほど老けメイクもしていないのに
ちょと背中を丸めて、ちょっとお腹を突き出して
見事に“中年”を表現していた。
“老い”とまでは行かないけど
“若さ”はだいぶ失われている様子を。
それとは勿論、状況も意味も違うけど
はつの座り姿も色んなことを語っていたと思う。
心が真っ白になってしまって
身体さえも空気に溶け込んでしまいそうな
自分自身が生きているのか死んでいるのか分からないみたいな。
ひじゅにも身内を無くした時、そうした気持ちになった。
はつと違って見た目は儚げどころか元気イッパイだったかもしれないけど(笑)
「笑て生きなあかんなぁ、せやけど…悲しいなぁ…寂しいなぁ」
と号泣するところも良かった。
心ここあらずな状態から現実に戻って
泣くことで自分を適応させて
これからも生きて行く決意をした…ってことだよね。
アッパレ、宮崎あおい!
↑こんなに褒めちゃって
後で反動が来たらどないしよう?>ぇ
「そっちは、どないだす?」
空に話しかける新次郎さんは
はつとは逆に、死へと向かう覚悟を固めている。
余談だけど
滝本晃司さん(しょぼたま時代)の『ハル』という曲が
ちょっと近いんはないかと思った。
いや、実際には
この曲を作った経緯とか世間の評価とか全く知らないので
ひじゅにの勝手な解釈なんだけれども
周囲の人々が次々と亡くなっていく中
自分自身も死を意識し始めている心境を描いたものだと思うので。
(一応、動画URL貼っときます➡『ハル』)
「私にとって生と死というものは、あまり違いはないのです」
ついでに寄ったと言いながら、実はワザワザ慰めに来てくれたんだよね?
と思われる鳴澤さんの言葉は
作者の死生観なのか
クリスチャンでもあるリアル鳴澤@成瀬仁蔵さんの言葉なのか
無知ひじゅには知らないけれども>ダメじゃん
「この2つは常に一つのリズムとして我々の日常を流れています」
これは今の世の中においては、まさにその通りだと思う。
「この身体はただの衣服であり、本当の身体はもっと奥にある
そしてそれは、永久に滅びません」
これはパッと聞いた感じ、霊魂不滅説みたいで
それは、ひじゅには賛同しないけれども
死んだ人の思い出が他の人の中に残って生き続ける―
という意味であるなら、それは真実だと思う。
ともかくも、この鳴澤さんの台詞で
終盤が死のオンパレードな意味が分かった…というか
そこまで描いてこその『あさが来た』なのね
つまりは、それが作者の算段なのね
…と納得しただす>ちょい無理クリにだけど
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

生と死と>クリムト

笑って>古民家再生

人生 七転び八起き>だるませんべい

はつの一人舞台
って感じだったなあ
勿論
惣兵衛さんや新次郎さんの演技も良かったけど
今日の宮崎あおいは
初めて感情を露わにした(と言って良い)はつを
自然に的確に表現していたと思う
超個人的なことだけど
この『あさが来た』は
某『純情きらり』で植え付けられたトラウマを
解消してくれたドラマだった
朝ドラの恨みは朝ドラで…って感じ?(笑)
…ひじゅにですが何か?
「ようよう弱いとこ見せてくれましたがな」by惣兵衛
小さい時から、しっかり者で賢くて
それ故に常に“大人”な態度で生きていた、はつ。
妹が“枠からはみ出した子”だったせいもあって余計に(^^;)
初めて山王寺屋を訪ねていく前の晩だったっけ
初めて涙を見せたのは?
その後はずっと優等生だった、はつ。
はんなりしたお嬢様だったのが
アレコレ揉まれて強くなっていく、その様子は
なかなか頼もしかった。
反面、あまりにも出来過ぎで
多分、多くの視聴者には「菩薩の様」と
良い意味で映ったんだろうけど
ひじゅに的には、何か不自然というか
幾ら何でも…感があったんだよな>スマソ
そうならざるを得なかった…ってのも分かるから
ちょっと痛々しい気もしたし
反面、したたかで一筋縄ではいかない女って印象で
ちょっと怖い気もした。
だから、今日の
「笑われしまへん」
ってところが、まず良かった。
惣兵衛さんが言う通り
強いはずのはつが初めて弱さを見せた瞬間。
最初の頃、はつを支えていたのは
「お家を守る」という父の教えであり
はつの誇りだったわけだけど
はつを本当に強くし
さらに、その後は
ずっと笑っていられる様にしてくれたのは
まさに惣兵衛さんだったのだね。
だから、惣兵衛さんがいなくなってしまうと思ったら
笑うことなんて出来ない。
惣兵衛さん初登場シーンで
あさが「笑てください」と頼んだのと
対になっているシーンってことやろか?
惣兵衛さんを見送った後
縁側でぽつんと座っている姿も良かった。
ただ座っているだけの演技に感心したのは
『カーネーション』のオノマチ。
朝ドラらしく、さほど老けメイクもしていないのに
ちょと背中を丸めて、ちょっとお腹を突き出して
見事に“中年”を表現していた。
“老い”とまでは行かないけど
“若さ”はだいぶ失われている様子を。
それとは勿論、状況も意味も違うけど
はつの座り姿も色んなことを語っていたと思う。
心が真っ白になってしまって
身体さえも空気に溶け込んでしまいそうな
自分自身が生きているのか死んでいるのか分からないみたいな。
ひじゅにも身内を無くした時、そうした気持ちになった。
はつと違って見た目は儚げどころか元気イッパイだったかもしれないけど(笑)
「笑て生きなあかんなぁ、せやけど…悲しいなぁ…寂しいなぁ」
と号泣するところも良かった。
心ここあらずな状態から現実に戻って
泣くことで自分を適応させて
これからも生きて行く決意をした…ってことだよね。
アッパレ、宮崎あおい!
↑こんなに褒めちゃって
後で反動が来たらどないしよう?>ぇ
「そっちは、どないだす?」
空に話しかける新次郎さんは
はつとは逆に、死へと向かう覚悟を固めている。
余談だけど
滝本晃司さん(しょぼたま時代)の『ハル』という曲が
ちょっと近いんはないかと思った。
いや、実際には
この曲を作った経緯とか世間の評価とか全く知らないので
ひじゅにの勝手な解釈なんだけれども
周囲の人々が次々と亡くなっていく中
自分自身も死を意識し始めている心境を描いたものだと思うので。
(一応、動画URL貼っときます➡『ハル』)
「私にとって生と死というものは、あまり違いはないのです」
ついでに寄ったと言いながら、実はワザワザ慰めに来てくれたんだよね?
と思われる鳴澤さんの言葉は
作者の死生観なのか
クリスチャンでもあるリアル鳴澤@成瀬仁蔵さんの言葉なのか
無知ひじゅには知らないけれども>ダメじゃん
「この2つは常に一つのリズムとして我々の日常を流れています」
これは今の世の中においては、まさにその通りだと思う。
「この身体はただの衣服であり、本当の身体はもっと奥にある
そしてそれは、永久に滅びません」
これはパッと聞いた感じ、霊魂不滅説みたいで
それは、ひじゅには賛同しないけれども
死んだ人の思い出が他の人の中に残って生き続ける―
という意味であるなら、それは真実だと思う。
ともかくも、この鳴澤さんの台詞で
終盤が死のオンパレードな意味が分かった…というか
そこまで描いてこその『あさが来た』なのね
つまりは、それが作者の算段なのね
…と納得しただす>ちょい無理クリにだけど
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

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笑って>古民家再生

人生 七転び八起き>だるませんべい

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