見守る>『あさが来た』第90話 - 2016.01.16 Sat
トラウマだの何だのに関係なく
新次郎さんは
変わらないところは変わらないし
変わるべきところは変わってきている
いや、きっと
変わってはいけないところは変わらないまま
成長すべきところは成長している
自然で柔軟
何だかサトシ@キモ迫さんが気の毒に思えてくる
今日この頃>ぇ
…ひじゅにですが何か?
「動いたらあかんで」by新次郎
↑まさに「見守る」人の言葉だなあ
…と、ちょっと笑ってしまった。
五代さん曰く
「見守るだけの男やない」
いや、今でさえ
「見守る“だけ”」ではないと思うけど…
まあ、表面的には
「見守る」とさえも行かない様子に見えるし
ましてや
「だけ…やない」なんて思いもつかないところだから
五代さんはちゃんと新次郎さんを評価しているってことだね。
で、今日は
そんな新次郎さんの「見守る」と「だけ…やない」が
全編に渡って強調されていた感じ。
最初の登場シーンからして
あさを抱き上げ褒めまくる様子が描かれたし。
またもや発作を起こす五代さんの図ぅ―
があったから
五代さんの遺志を継ぐのは実はあさではなく
新次郎さん!
ってことになりそうな気がしてきましたで。
五代さんは常に、あさを導いてくれたわけで
いわばプロデューサーみたいなもんで
ってことは、やっぱ
あさが五代さんの様になるのではなく
新次郎さんが今後は…って方が自然かもな。
その合間に
*千代ちゃんの疑問に雛人形を例えに用いて答える
よのさんの図ぅ―
これはなかなか巧みだと思うし
何より、よのさん自身も変わった…つーか“成長”した
ってことでもあるよな。
*千代ちゃんが作った七夕飾りを見せてくれる
さちさんの図ぅ―
細かいところに気を遣ってくれる人だなあ、と感心。
あさが一緒に過ごすことが出来なかった娘の日々に
触れさせてくれたってことだものね。
あさ&よのの影に隠れて目立たない立場だと思われたけど
こういう形で個性が出てくるのって良いな。
*千代ちゃんの心を思い、涙を流す
あさの図ぅ―
「おかあちゃんといっぱいあそべますように」
と、千代ちゃんが願いをかけていたのは既に去年のこと。
時はどんどん過ぎ去っていく。
昔、あさは出来るだけ娘と一緒に過ごそうと努力していたけれど
娘はそれを覚えてはいない。
「ラムネがのんでみたい」
今年の願い事はこれ。
日々新しいアレコレに触れて
思いはどんどん変わっていくし
叶えられなかったことは過去のものとして
胸の底に沈んでいくだけなのかもしれない。
まあ、あさは極端な例だけど
ワーキングマザーは勿論、専業主婦だって
子供の全ての時間に付き添っていられるわけじゃないだろうし
その時その時ちゃんとそれなりの理由があって
ちゃんと納得してのものだったとしても
そうした決断そのものには後悔はないとしても
過ぎ去った時間は取返しがつかないことを考えると
切ないものだなあ…と思う
ひじゅには子供の立場しか経験してないので
その視点から言うと、別にそれほど大きな問題ではない。
その時間にいる時は寂しかったり悲しかったりしたかもしれないけど
成長するって目まぐるしいというか
とにかく新しい事柄がどんどん降りかかってくるからね。
だから、切ないのは親の側なんだろうな…と思う。
そんなこと、考えもしない親も多いと思うけど(笑)
そんな
“過行く時間”ということを考えると
ラストシーンが写真撮影というのが
意味深いなあ…
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

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いや、きっと
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何だかサトシ@キモ迫さんが気の毒に思えてくる
今日この頃>ぇ
…ひじゅにですが何か?
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↑まさに「見守る」人の言葉だなあ
…と、ちょっと笑ってしまった。
五代さん曰く
「見守るだけの男やない」
いや、今でさえ
「見守る“だけ”」ではないと思うけど…
まあ、表面的には
「見守る」とさえも行かない様子に見えるし
ましてや
「だけ…やない」なんて思いもつかないところだから
五代さんはちゃんと新次郎さんを評価しているってことだね。
で、今日は
そんな新次郎さんの「見守る」と「だけ…やない」が
全編に渡って強調されていた感じ。
最初の登場シーンからして
あさを抱き上げ褒めまくる様子が描かれたし。
またもや発作を起こす五代さんの図ぅ―
があったから
五代さんの遺志を継ぐのは実はあさではなく
新次郎さん!
ってことになりそうな気がしてきましたで。
五代さんは常に、あさを導いてくれたわけで
いわばプロデューサーみたいなもんで
ってことは、やっぱ
あさが五代さんの様になるのではなく
新次郎さんが今後は…って方が自然かもな。
その合間に
*千代ちゃんの疑問に雛人形を例えに用いて答える
よのさんの図ぅ―
これはなかなか巧みだと思うし
何より、よのさん自身も変わった…つーか“成長”した
ってことでもあるよな。
*千代ちゃんが作った七夕飾りを見せてくれる
さちさんの図ぅ―
細かいところに気を遣ってくれる人だなあ、と感心。
あさが一緒に過ごすことが出来なかった娘の日々に
触れさせてくれたってことだものね。
あさ&よのの影に隠れて目立たない立場だと思われたけど
こういう形で個性が出てくるのって良いな。
*千代ちゃんの心を思い、涙を流す
あさの図ぅ―
「おかあちゃんといっぱいあそべますように」
と、千代ちゃんが願いをかけていたのは既に去年のこと。
時はどんどん過ぎ去っていく。
昔、あさは出来るだけ娘と一緒に過ごそうと努力していたけれど
娘はそれを覚えてはいない。
「ラムネがのんでみたい」
今年の願い事はこれ。
日々新しいアレコレに触れて
思いはどんどん変わっていくし
叶えられなかったことは過去のものとして
胸の底に沈んでいくだけなのかもしれない。
まあ、あさは極端な例だけど
ワーキングマザーは勿論、専業主婦だって
子供の全ての時間に付き添っていられるわけじゃないだろうし
その時その時ちゃんとそれなりの理由があって
ちゃんと納得してのものだったとしても
そうした決断そのものには後悔はないとしても
過ぎ去った時間は取返しがつかないことを考えると
切ないものだなあ…と思う
ひじゅには子供の立場しか経験してないので
その視点から言うと、別にそれほど大きな問題ではない。
その時間にいる時は寂しかったり悲しかったりしたかもしれないけど
成長するって目まぐるしいというか
とにかく新しい事柄がどんどん降りかかってくるからね。
だから、切ないのは親の側なんだろうな…と思う。
そんなこと、考えもしない親も多いと思うけど(笑)
そんな
“過行く時間”ということを考えると
ラストシーンが写真撮影というのが
意味深いなあ…
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