祖母のこと - 2015.11.21 Sat
先日は沢山のコメントありがとうございました。
お返事遅れていてスミマセンスミマセン!
↓かなり長文です(^^;)
火曜日(11/17)にお葬式を行いました。
最後に顔を見た時は、さすがに涙が出ましたけど
それ以上にはならない様に堪えていました。
どうも私は泣くことに抵抗感がある様です。
悲しい時は思い切り泣いた方が早く立ち直れると聞きますし
大いに納得もしているのですけれど…
何だか一旦泣き出したら制御できなくなるんじゃないか―
という恐怖感があるみたいです。
「様です」とか「みたいです」とか他人事の様ですが(笑)
実際、今だに実感がなく
それでいて、祖母との思い出がフラッシュバックしたりして…
却ってアブナイ状態でせうか?
そんなわけで
「祖母に関する詳細を書く」と言いながら
なかなか取り掛かれませんでした。
といっても
日記帳と祖母の様子を記録していたミニノートには
書いて書いて書いていました。
順調な時期は必要最低限しか記さないのに。
これが私にとっては涙の代わりなのかな(^^;)
土曜日(11/14)PM3:30頃、父と介護施設に面会に行きました。
週末はいつも4:30過ぎに行くことが多いのですが
その日は何故か父が早く行こうと言い出し
それでも先に買い物に回ってから…という提案だったのだけど
私が祖母の所が一番最初が良いと言い、その時間に。
部屋に入ると、祖母の顔が異常に青白かったので
看護師を呼びに行こうとしたら、ちょうど入ってきました。
その少し前から鼻カニューレによる酸素投与を行っており
その時点では2.5リットルだったのですが
それを3リットルに上げ
痰を取るための吸引を行ったり
勿論、何度も声をかけたりしましたが
何の反応もないまま
みるみる脈が弱まり、やがて測れなくなりました。
すぐに医者を呼びに行ってくれたのですが
なかなかやって来ないまま
看護師による扱いも死人に対するそれに変わっていき
やっとこ医者が到着するとすぐに死亡宣告となりました。
PM3:48でした。
その施設は連続では3か月前後しか居られず
一旦退所し、ショートステイを挟んで二回自宅or他施設で過ごし
一ヶ月ほど開けて再び入所…という形になっています。
祖母の場合、最後の帰宅は9月後半でした。
今迄は一週間前後だったのに、その時は13日と長かったのですが
以前の様に高熱が出ることもなく>微熱は何日かあった
食事も文句を言うことも、むせることもなく、ほぼ完食。
水分も比較的摂ってくれて
全体的に良い感じで過ごすことが出来ました。
この時のことが主にフラッシュバックします(^^;)
次は10月中旬に帰る予定だったのが、前日あたりに発熱で取りやめ
ショートステイ後そのまま入所という形になりました。
その時点では「命に関わるものではない」と言われましたし
実際に少しして回復しました。
熱がある間は鼻カニューレを入れていましたが>1~1.5リットル
下がると共に外すことが出来ました。
それが何日かして意識がなくなり
鼻カニューレを再び付けただけでなく
酸素量も3リットルにまで上がってしまいました。
点滴も毎日することになりました。
そして医者から、もう長くはないと宣告されてしまいました。
酸素は無限に上げることは出来ないので
これ以上、呼吸状態が悪くなれば外す方向に行くし
抗生物質もある程度のところで辞めなければ却って害になる
それにいずれ血管が出なくなって点滴も出来なくなってしまうだろう
本人は深く眠っている状態なので苦痛を感じないから、そこは安心して良い
…とのこと。
ところが、そう言われた直後に祖母の所に行くと
それまで反応が全くなかったのが、呼べば返事をする様になりました。
翌日、翌々日と、話ができる様になっていきました。
「猫が待っているから、また帰れる様に頑張って」
「ご飯を食べれば元気になれるよ」
と言うと
「楽しみだね」
「食べるよ、ご飯は美味しいよ」
と答え
三食中一食は摂る様になりました。
酸素も3.0→2.5→2.0→1.0と下がっていきました。
これまで、祖母は何度も具合を悪くしては復活してきました。
病院に居た時は「天命だから諦めて」とか
施設に入ってからも「最後はどうするか決めて下さい」とか
言われてばかりいたのですけど。
だから今回も期待していたのですが
ある日、行くと口の傍にオムツが置いてあり
聞くと朝昼おやつと完食した挙句に吐いた…とのこと。
もう収まってはいましたが
元気な時でさえ祖母はおやつは滅多に食べなかったので
嫌~な予感がしました。
案の定、その後はまた悪化していきました。
食事はほとんどしなくなり、酸素も2.5リットルに上がり
反応も鈍くなっていきました。
それでも、ほんのポツリポツリだけれど会話はでき
亡くなる前日には、帰り際に
「またおいで」と言ってくれました。
かなり発音は不明瞭で何度も聞き直してしまいましたが
3回目くらいで「またおいで」だと分かった時は
ちょっと感動しました。
といわけで、14日を迎えたわけですが
ちょっと気になったのは
1:鼻カニューレが口の中に置かれていたこと―
鼻呼吸が上手く行かなくなったから…と説明され
一応納得はしているのですけれど。
2:死亡を認めた後で心臓マッサージをすれば良かったかと聞かれたこと―
こちらは素人だから言われなければ頭にも浮かびません。
まあ、強いマッサージなので肋骨が折れてしまうという話だし
それで復活できたとしても、そうは持たないでしょう。
だから、まだ脈がある内に聞かれても同じことを答えただろうと思います。
それでも、後ではなく、選択肢のある内に言ってほしかったなあ…
3:医者が遅かったこと―
これも仕方ないことなんだろうと思ってはいますが。
でも、死亡診断書に7500円以上取られるというのもナンダカナ…
で、亡くなった直後、できれば解剖させてほしいと頼まれました。
本人は昔看護師をしていたので、医学に少しでも貢献できれば本望だろう
と父が答え、すぐに祖母は運ばれていきました。
私も解剖自体は反対する気持ちはありませんが
後になってから
蘇生の可能性があるから死後24時間は様子を見るということで
お通夜というものがあるのだろうに
直後に切り開いてしまったら可能性を潰してしまうってことじゃん…
と、ちょっと思っちゃいました(^^;)
でもまあ、祖母が勤めていた病院の名を言ったら
「そこに入れるのはエリートですよ」
と、医者が感心していたので、そこは気分良かったです>俗物な私
解剖の結果は簡単にしか聞いていないのですが
肺にだいぶ水が溜まっていたし
脳がかなり小さくなっていたそうです。
死因は「老衰」となっていました。
実は祖母は96歳。
(看護師をしていたため結婚は30代でした)
来月で97歳になるところだったので、非常に惜しいです。
本当は100歳、本当の本当は110歳を超えるくらい生きてほしかったです。
というわけで
施設に毎日通うことも
記録をつけることも
小さなことに一喜一憂することも
これで無くなってしまいました。
ずっとバタバタと忙しくしていましたので
これから喪失感がジワジワと湧いてくるのかな…
こうしてブログを書くことが
(祖母のことだけでなく、いつもの朝ドラ感想等も含めて)
支えになってくれると思います。
心理状態から支離滅裂な文章になってしまう可能性もありますが
その時はやんわり(笑)注意して下さい。
これからも、よろしくお願いします。
あ、最後に一つ…
最後に祖母の所に行った時、既に意識がなかったので
そこは残念だったのですけれど
それでも、行った途端に急変して亡くなった
という感じだったので
もしかして、待っていてくれた…ってことなのでしょうか?
「またおいで」の返事だと解釈して良いのでしょうか?
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

カニューレ

またおいで

もじどら

お返事遅れていてスミマセンスミマセン!
↓かなり長文です(^^;)
火曜日(11/17)にお葬式を行いました。
最後に顔を見た時は、さすがに涙が出ましたけど
それ以上にはならない様に堪えていました。
どうも私は泣くことに抵抗感がある様です。
悲しい時は思い切り泣いた方が早く立ち直れると聞きますし
大いに納得もしているのですけれど…
何だか一旦泣き出したら制御できなくなるんじゃないか―
という恐怖感があるみたいです。
「様です」とか「みたいです」とか他人事の様ですが(笑)
実際、今だに実感がなく
それでいて、祖母との思い出がフラッシュバックしたりして…
却ってアブナイ状態でせうか?
そんなわけで
「祖母に関する詳細を書く」と言いながら
なかなか取り掛かれませんでした。
といっても
日記帳と祖母の様子を記録していたミニノートには
書いて書いて書いていました。
順調な時期は必要最低限しか記さないのに。
これが私にとっては涙の代わりなのかな(^^;)
土曜日(11/14)PM3:30頃、父と介護施設に面会に行きました。
週末はいつも4:30過ぎに行くことが多いのですが
その日は何故か父が早く行こうと言い出し
それでも先に買い物に回ってから…という提案だったのだけど
私が祖母の所が一番最初が良いと言い、その時間に。
部屋に入ると、祖母の顔が異常に青白かったので
看護師を呼びに行こうとしたら、ちょうど入ってきました。
その少し前から鼻カニューレによる酸素投与を行っており
その時点では2.5リットルだったのですが
それを3リットルに上げ
痰を取るための吸引を行ったり
勿論、何度も声をかけたりしましたが
何の反応もないまま
みるみる脈が弱まり、やがて測れなくなりました。
すぐに医者を呼びに行ってくれたのですが
なかなかやって来ないまま
看護師による扱いも死人に対するそれに変わっていき
やっとこ医者が到着するとすぐに死亡宣告となりました。
PM3:48でした。
その施設は連続では3か月前後しか居られず
一旦退所し、ショートステイを挟んで二回自宅or他施設で過ごし
一ヶ月ほど開けて再び入所…という形になっています。
祖母の場合、最後の帰宅は9月後半でした。
今迄は一週間前後だったのに、その時は13日と長かったのですが
以前の様に高熱が出ることもなく>微熱は何日かあった
食事も文句を言うことも、むせることもなく、ほぼ完食。
水分も比較的摂ってくれて
全体的に良い感じで過ごすことが出来ました。
この時のことが主にフラッシュバックします(^^;)
次は10月中旬に帰る予定だったのが、前日あたりに発熱で取りやめ
ショートステイ後そのまま入所という形になりました。
その時点では「命に関わるものではない」と言われましたし
実際に少しして回復しました。
熱がある間は鼻カニューレを入れていましたが>1~1.5リットル
下がると共に外すことが出来ました。
それが何日かして意識がなくなり
鼻カニューレを再び付けただけでなく
酸素量も3リットルにまで上がってしまいました。
点滴も毎日することになりました。
そして医者から、もう長くはないと宣告されてしまいました。
酸素は無限に上げることは出来ないので
これ以上、呼吸状態が悪くなれば外す方向に行くし
抗生物質もある程度のところで辞めなければ却って害になる
それにいずれ血管が出なくなって点滴も出来なくなってしまうだろう
本人は深く眠っている状態なので苦痛を感じないから、そこは安心して良い
…とのこと。
ところが、そう言われた直後に祖母の所に行くと
それまで反応が全くなかったのが、呼べば返事をする様になりました。
翌日、翌々日と、話ができる様になっていきました。
「猫が待っているから、また帰れる様に頑張って」
「ご飯を食べれば元気になれるよ」
と言うと
「楽しみだね」
「食べるよ、ご飯は美味しいよ」
と答え
三食中一食は摂る様になりました。
酸素も3.0→2.5→2.0→1.0と下がっていきました。
これまで、祖母は何度も具合を悪くしては復活してきました。
病院に居た時は「天命だから諦めて」とか
施設に入ってからも「最後はどうするか決めて下さい」とか
言われてばかりいたのですけど。
だから今回も期待していたのですが
ある日、行くと口の傍にオムツが置いてあり
聞くと朝昼おやつと完食した挙句に吐いた…とのこと。
もう収まってはいましたが
元気な時でさえ祖母はおやつは滅多に食べなかったので
嫌~な予感がしました。
案の定、その後はまた悪化していきました。
食事はほとんどしなくなり、酸素も2.5リットルに上がり
反応も鈍くなっていきました。
それでも、ほんのポツリポツリだけれど会話はでき
亡くなる前日には、帰り際に
「またおいで」と言ってくれました。
かなり発音は不明瞭で何度も聞き直してしまいましたが
3回目くらいで「またおいで」だと分かった時は
ちょっと感動しました。
といわけで、14日を迎えたわけですが
ちょっと気になったのは
1:鼻カニューレが口の中に置かれていたこと―
鼻呼吸が上手く行かなくなったから…と説明され
一応納得はしているのですけれど。
2:死亡を認めた後で心臓マッサージをすれば良かったかと聞かれたこと―
こちらは素人だから言われなければ頭にも浮かびません。
まあ、強いマッサージなので肋骨が折れてしまうという話だし
それで復活できたとしても、そうは持たないでしょう。
だから、まだ脈がある内に聞かれても同じことを答えただろうと思います。
それでも、後ではなく、選択肢のある内に言ってほしかったなあ…
3:医者が遅かったこと―
これも仕方ないことなんだろうと思ってはいますが。
でも、死亡診断書に7500円以上取られるというのもナンダカナ…
で、亡くなった直後、できれば解剖させてほしいと頼まれました。
本人は昔看護師をしていたので、医学に少しでも貢献できれば本望だろう
と父が答え、すぐに祖母は運ばれていきました。
私も解剖自体は反対する気持ちはありませんが
後になってから
蘇生の可能性があるから死後24時間は様子を見るということで
お通夜というものがあるのだろうに
直後に切り開いてしまったら可能性を潰してしまうってことじゃん…
と、ちょっと思っちゃいました(^^;)
でもまあ、祖母が勤めていた病院の名を言ったら
「そこに入れるのはエリートですよ」
と、医者が感心していたので、そこは気分良かったです>俗物な私
解剖の結果は簡単にしか聞いていないのですが
肺にだいぶ水が溜まっていたし
脳がかなり小さくなっていたそうです。
死因は「老衰」となっていました。
実は祖母は96歳。
(看護師をしていたため結婚は30代でした)
来月で97歳になるところだったので、非常に惜しいです。
本当は100歳、本当の本当は110歳を超えるくらい生きてほしかったです。
というわけで
施設に毎日通うことも
記録をつけることも
小さなことに一喜一憂することも
これで無くなってしまいました。
ずっとバタバタと忙しくしていましたので
これから喪失感がジワジワと湧いてくるのかな…
こうしてブログを書くことが
(祖母のことだけでなく、いつもの朝ドラ感想等も含めて)
支えになってくれると思います。
心理状態から支離滅裂な文章になってしまう可能性もありますが
その時はやんわり(笑)注意して下さい。
これからも、よろしくお願いします。
あ、最後に一つ…
最後に祖母の所に行った時、既に意識がなかったので
そこは残念だったのですけれど
それでも、行った途端に急変して亡くなった
という感じだったので
もしかして、待っていてくれた…ってことなのでしょうか?
「またおいで」の返事だと解釈して良いのでしょうか?
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

カニューレ

またおいで

もじどら

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