人間>『洞窟おじさん』第2話 - 2015.10.12 Mon
今回は青年時代。
愛犬との強い絆の次は
人間になかなか心許せない様子が描かれる。
「しっかり生きんだよ」by雅代
*前半は、老夫婦との触れ合い―
第1話ラストで登場した老夫婦。
毛皮を纏い、汚れた顔の見知らぬ青年の姿に
普通、逃げるでしょ!?ってところを
逆に近付いて、おにぎりを渡してくれたりして
イカニモ人の良さそうな夫婦。
そんな彼らに一馬が心許して行く―
という話かと思った。
そしたらさ
一馬は頑などころか
意外に素直にスンナリと2人の間に溶け込んでいった。
一馬が心を解していくのではなく
一馬によって2人の心模様が次第に明らかになっていく―
という、夫婦視点の話だった。
第1話は完全に主人公主観だったので、真逆になる。
なかなか面白い。
20年前に今の一馬と同じくらいの年齢だった息子を戦争で亡くし
ずっとずっと悲しみや寂しさを抱えて生きてきた2人。
一馬に出逢って、心の内に抑えていたものが飛び出してくる。
時には切なく
時には可愛く。
でも、彼らが一馬を息子にしたいと言い出した時
一馬の方から別れを告げる。
実親から与えられたトラウマのせいで人間が信じられないのだと
自分のせいにして。
人間不信もあるだろうけど
夫婦があまりにも温かく善意の人なので
自分という異分子が入り込むことによって
壊したくない…という思いもあったのかな?
いずれにしても
ここでハッピーエンドになってしまってはいけなかったのだろう。
夫婦は息子を再び得
一馬は初めて愛してくれる家族を得る。
つまり欠落していた部分が埋まるわけで
それこそが幸せと言えば言えるんだけど…
お互いに今の状態では
不完全で脆いものしか築けなかったのかも?
いやいや、やはり
ハッピーエンドになってほしかったよ。
だから、それが叶わなかったことで
ちょっと理屈をこねてみたりなんかしちゃっただけデス(^^;)
*後半は、友達だと思った人の裏切り―
老夫婦がお金を持たせてくれるシーンの後で
一馬は「野生生物の立場」で山を追われ追われ暮らした末に
山菜を、後には蘭を売ることを覚え
お金を儲け始める。
これって、彼自身が少し“人間”に近付いてきたってことだよね。
蘭を売ることを教えてくれた男は
お金の使い方も教えてくれた
カレーライスの美味しさも教えてくれた。
そんな男を「友達」と慕う一馬。
老夫婦の優しさが壊れることが怖くて
再び一人になることを選んだ一馬が
今は人を信じる様になった。
これこそ“人間”に戻ってきたってことだよね。
でも、男は一馬を騙していた。
何という皮肉。
男は一馬を「臭い」と罵倒し
一馬も男の不自由な足を指摘することで言い返す。
物っ凄っく切ないシーンだけど…まさに“人間”って感じだよね。
お金を得たことで狩りをする必要がなくなり
ゆっくり眠る時間ができた代わりに
今迄見なかった昔の夢に悩まされる様になったことも含めて。
そうして一馬は自殺を考える。
彼を乗せてくれた車の運転手は良い人だった。
結局のところ、一馬が出逢う人は良い人が多いみたい。
それにハッキリ気付かないまま、一馬は自分の道を行ってしまう。
それでも、彼を思いとどまらせた「おじさん」もまた
“人間”だった>過去形だけど
犬@シロは死んでしまったので
一馬を救ってくれるのは、やはり“人間”なのだろうし
一馬も完全に“人間”に戻るべきなのだろう。
何かとても寂しい気もするし、温かい気もする。
原作:加山一馬『洞窟オジさん 荒野の43年』
脚本:児島秀樹、吉田照幸
演出: 吉田照幸
出演:
加山一馬
(中年時代):リリー・フランキー
(青年時代):中村蒼
(少年時代):富田海人
宅間刑事:浅利陽介 / 桃園刑事:生瀬勝久
砂川義夫:井上順 / 砂川雅代:木内みどり
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

蘭>プリンと焼き菓子の詰め合わせ

原作(加村一馬)

ぼくを救ってくれたシロ

愛犬との強い絆の次は
人間になかなか心許せない様子が描かれる。
「しっかり生きんだよ」by雅代
*前半は、老夫婦との触れ合い―
第1話ラストで登場した老夫婦。
毛皮を纏い、汚れた顔の見知らぬ青年の姿に
普通、逃げるでしょ!?ってところを
逆に近付いて、おにぎりを渡してくれたりして
イカニモ人の良さそうな夫婦。
そんな彼らに一馬が心許して行く―
という話かと思った。
そしたらさ
一馬は頑などころか
意外に素直にスンナリと2人の間に溶け込んでいった。
一馬が心を解していくのではなく
一馬によって2人の心模様が次第に明らかになっていく―
という、夫婦視点の話だった。
第1話は完全に主人公主観だったので、真逆になる。
なかなか面白い。
20年前に今の一馬と同じくらいの年齢だった息子を戦争で亡くし
ずっとずっと悲しみや寂しさを抱えて生きてきた2人。
一馬に出逢って、心の内に抑えていたものが飛び出してくる。
時には切なく
時には可愛く。
でも、彼らが一馬を息子にしたいと言い出した時
一馬の方から別れを告げる。
実親から与えられたトラウマのせいで人間が信じられないのだと
自分のせいにして。
人間不信もあるだろうけど
夫婦があまりにも温かく善意の人なので
自分という異分子が入り込むことによって
壊したくない…という思いもあったのかな?
いずれにしても
ここでハッピーエンドになってしまってはいけなかったのだろう。
夫婦は息子を再び得
一馬は初めて愛してくれる家族を得る。
つまり欠落していた部分が埋まるわけで
それこそが幸せと言えば言えるんだけど…
お互いに今の状態では
不完全で脆いものしか築けなかったのかも?
いやいや、やはり
ハッピーエンドになってほしかったよ。
だから、それが叶わなかったことで
ちょっと理屈をこねてみたりなんかしちゃっただけデス(^^;)
*後半は、友達だと思った人の裏切り―
老夫婦がお金を持たせてくれるシーンの後で
一馬は「野生生物の立場」で山を追われ追われ暮らした末に
山菜を、後には蘭を売ることを覚え
お金を儲け始める。
これって、彼自身が少し“人間”に近付いてきたってことだよね。
蘭を売ることを教えてくれた男は
お金の使い方も教えてくれた
カレーライスの美味しさも教えてくれた。
そんな男を「友達」と慕う一馬。
老夫婦の優しさが壊れることが怖くて
再び一人になることを選んだ一馬が
今は人を信じる様になった。
これこそ“人間”に戻ってきたってことだよね。
でも、男は一馬を騙していた。
何という皮肉。
男は一馬を「臭い」と罵倒し
一馬も男の不自由な足を指摘することで言い返す。
物っ凄っく切ないシーンだけど…まさに“人間”って感じだよね。
お金を得たことで狩りをする必要がなくなり
ゆっくり眠る時間ができた代わりに
今迄見なかった昔の夢に悩まされる様になったことも含めて。
そうして一馬は自殺を考える。
彼を乗せてくれた車の運転手は良い人だった。
結局のところ、一馬が出逢う人は良い人が多いみたい。
それにハッキリ気付かないまま、一馬は自分の道を行ってしまう。
それでも、彼を思いとどまらせた「おじさん」もまた
“人間”だった>過去形だけど
犬@シロは死んでしまったので
一馬を救ってくれるのは、やはり“人間”なのだろうし
一馬も完全に“人間”に戻るべきなのだろう。
何かとても寂しい気もするし、温かい気もする。
原作:加山一馬『洞窟オジさん 荒野の43年』
脚本:児島秀樹、吉田照幸
演出: 吉田照幸
出演:
加山一馬
(中年時代):リリー・フランキー
(青年時代):中村蒼
(少年時代):富田海人
宅間刑事:浅利陽介 / 桃園刑事:生瀬勝久
砂川義夫:井上順 / 砂川雅代:木内みどり
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蘭>プリンと焼き菓子の詰め合わせ

原作(加村一馬)

ぼくを救ってくれたシロ

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