すべてがFになる【第9話~10話(最終話)】 - 2014.12.26 Fri
第9~10話『有限と微小のパン』前&後編
何となく楽しみ方が分かってきた様な気がしてたのに
もう最終回…
「神様が作ったプログラムのエラー、それが人間です」by真賀田四季
最後だけあって殺人事件も色々。
取り合えず教会が2つというのは分かりやすかった。
その後にホログラムが出てきたので
これと掛けているんだなあ…と。
最初の2件がお芝居の予定だったというのは
教会でのあの女性従業員の態度がワザトラシイことや
彼女と被害者がかつて付き合っていたという情報や
城田優の余裕ある態度から何となく察せられたものの
本気で萌絵のことが好きだとは思わなかったので
イマイチ自信が持てなかった。
考えてみれば、最初の事件の動機は恋愛のもつれってことで
これも(広い意味で?)掛けている…と言えるかも?
マスクの女性は途中まで真賀田四季だと勘違いしていたくらいなので
私の推理力は大したことないのは明白(^^;)
まあ、動きというか仕草というか全体に漂うものが
四季とはだいぶ違うよな、とは思ったんだけども。
アパートの隣人が四季というのは全く気付かなかったし。
でも、このオチは笑えたというか
四季を可愛く感じてしまった。
それこそ「神」みたいに言われている彼女が
幾ら演技とはいえ、ごくごく普通の女性として暮らしていたなんて
想像すると何だか可愛いじゃん>私だけ?
そもそも
萌絵を殺そうとしていると見せかけて
実は逆に助けてくれた…というオチと
さらに、その動機は
犀川先生を得るためだった…という点も。
簡単に「愛」と呼んでしまってはそぐわないのかもしれないけど
まあ、あれは「愛」だよね、一種の。
現実とは何か?
そう考えた瞬間にだけ人間の思考に現れる幻想だよ
そもそも、そんなものは存在しない
(by犀川)
現実には意味はなく
生きていることにも意味はなく
死んだ状態
つまり動くことも食べることも必要なく
ただ思考のみ続けられることが最高の幸福
という考えで一致している四季&犀川。
何とね
感情というものが欠如していると思われる四季と
トライアングル・ラブになるとは…
ていうか
犀川&萌絵は四季を分離したもの、
というか
2人揃って四季という存在を(完全ではないにしろ)象徴するもの
なのかな?
犀川&萌絵=S&M
真賀田四季のイニシャルもS&M
だし。
そして、犀川先生は生きていることを選んだ。
煙草とか食事とか言っているけど
要は萌絵と生きることを望んだってことだよね?
萌絵もまた犀川先生の存在により生かされている。
…ちゅーことで
S&Mのラブストーリーはハッピーエンド
以前、某SFミステリを
私は毎回取り上げられる謎や、それを巡る話を面白いと思い
そこに結構ハマってたんだけど
友人某は碌に視聴していないのに
主役2人の恋の行方だけは気にかけていた。
私的には、ラブストーリーは彩り程度の認識しかなかった。
連続性や深みをもたらす重要な要素ではあるものの
メインはそこにはないと判断していた。
でも、少なくともこのS&Mシリーズに関しては
ラブストーリーこそが根幹を成すもので
毎回、2人が直面する事件により
2人の何かが明らかになったり深まったり変化したり…
していく様子を楽しむのが醍醐味なのだろうな、と思う。
一見「情」よりも「知」が勝っている事件及び物語だけど
実は可愛らしい萌え系ラブストーリー。
まあ、あくまでもドラマの印象なので
原作を読んだら感想はまた違うかも?
ところで
犀川先生、素敵!と
それこそ萌え~一歩手前だったんだけど>手前かい!?
今回、メガネをかけフードを被った彼を見て分かった。
昔好きだった人にソコハカトナク似ているのだわ(笑)
まあ、その人はイケメンとは言い難い容姿だっ…(以下略
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

原作

サントラ

四季のクッキー

何となく楽しみ方が分かってきた様な気がしてたのに
もう最終回…
「神様が作ったプログラムのエラー、それが人間です」by真賀田四季
最後だけあって殺人事件も色々。
取り合えず教会が2つというのは分かりやすかった。
その後にホログラムが出てきたので
これと掛けているんだなあ…と。
最初の2件がお芝居の予定だったというのは
教会でのあの女性従業員の態度がワザトラシイことや
彼女と被害者がかつて付き合っていたという情報や
城田優の余裕ある態度から何となく察せられたものの
本気で萌絵のことが好きだとは思わなかったので
イマイチ自信が持てなかった。
考えてみれば、最初の事件の動機は恋愛のもつれってことで
これも(広い意味で?)掛けている…と言えるかも?
マスクの女性は途中まで真賀田四季だと勘違いしていたくらいなので
私の推理力は大したことないのは明白(^^;)
まあ、動きというか仕草というか全体に漂うものが
四季とはだいぶ違うよな、とは思ったんだけども。
アパートの隣人が四季というのは全く気付かなかったし。
でも、このオチは笑えたというか
四季を可愛く感じてしまった。
それこそ「神」みたいに言われている彼女が
幾ら演技とはいえ、ごくごく普通の女性として暮らしていたなんて
想像すると何だか可愛いじゃん>私だけ?
そもそも
萌絵を殺そうとしていると見せかけて
実は逆に助けてくれた…というオチと
さらに、その動機は
犀川先生を得るためだった…という点も。
簡単に「愛」と呼んでしまってはそぐわないのかもしれないけど
まあ、あれは「愛」だよね、一種の。
現実とは何か?
そう考えた瞬間にだけ人間の思考に現れる幻想だよ
そもそも、そんなものは存在しない
(by犀川)
現実には意味はなく
生きていることにも意味はなく
死んだ状態
つまり動くことも食べることも必要なく
ただ思考のみ続けられることが最高の幸福
という考えで一致している四季&犀川。
何とね
感情というものが欠如していると思われる四季と
トライアングル・ラブになるとは…
ていうか
犀川&萌絵は四季を分離したもの、
というか
2人揃って四季という存在を(完全ではないにしろ)象徴するもの
なのかな?
犀川&萌絵=S&M
真賀田四季のイニシャルもS&M
だし。
そして、犀川先生は生きていることを選んだ。
煙草とか食事とか言っているけど
要は萌絵と生きることを望んだってことだよね?
萌絵もまた犀川先生の存在により生かされている。
…ちゅーことで
S&Mのラブストーリーはハッピーエンド

以前、某SFミステリを
私は毎回取り上げられる謎や、それを巡る話を面白いと思い
そこに結構ハマってたんだけど
友人某は碌に視聴していないのに
主役2人の恋の行方だけは気にかけていた。
私的には、ラブストーリーは彩り程度の認識しかなかった。
連続性や深みをもたらす重要な要素ではあるものの
メインはそこにはないと判断していた。
でも、少なくともこのS&Mシリーズに関しては
ラブストーリーこそが根幹を成すもので
毎回、2人が直面する事件により
2人の何かが明らかになったり深まったり変化したり…
していく様子を楽しむのが醍醐味なのだろうな、と思う。
一見「情」よりも「知」が勝っている事件及び物語だけど
実は可愛らしい萌え系ラブストーリー。
まあ、あくまでもドラマの印象なので
原作を読んだら感想はまた違うかも?
ところで
犀川先生、素敵!と
それこそ萌え~一歩手前だったんだけど>手前かい!?
今回、メガネをかけフードを被った彼を見て分かった。
昔好きだった人にソコハカトナク似ているのだわ(笑)
まあ、その人はイケメンとは言い難い容姿だっ…(以下略
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

原作

サントラ

四季のクッキー

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