本仕込み>『マッサン』第48話 - 2014.11.22 Sat
お酒と一緒に
マッサンも本仕込みされた
…っちゅーオチでせうか?
吟父は広島の酒を造っただけでなく
日本のウィスキーを造る息子を世に送り出した
っちゅーことで?
…ひじゅにですが何か?
「いつもと同じじゃ」byピン子
この世で最も偉大な愛は母親の愛
…と描いていたのは手塚治虫。
羽原もまた
親=偉大
という概念というか信念で描いている?
千賀子さんも親ではあるけど
まだまだ新米だし
マッサンにとっては姉だし
ピン子にとっては、まだまだ子供。
吟&ピン子の大きさには
まだまだ適わない
…っちゅーことでせうか?
ピン子は表立っては
エリーのこともウィスキーのことも認めるとは言わないけど
ウィスキーを捨てることはエリーを捨てることと同じだと
だからウィスキーの道を歩めと
諭しているんだよね。
吟父は初週から認めていたから
会社を辞め皿洗いをしているという息子に活を入れた
ってことだよね。
…ま、それにしては
チチキトクの電報がイマイチ浮いてしまう気がするけど(笑)
アレは千賀子さんあたりが出したという設定なら
もうちょい辻褄が合ったかな?
それとも
親とてやはり弱き人間
マッサン&エリーとしばし一緒に過ごしたことで
気持ちが変化したってことかもしれないけどね。
ともかくも
エリーの母親のことを二回も口にしたピン子は
母親の視点でエリーを見ている
=母親としてエリーを見て思いやっている
ってことだよね?
「女中」扱いにもオチがついて
息子夫婦を援助してくれた。
遠慮するエリーに代わりマッサンが受け取ろうとした時
マッサンを怒ったり、「バカ息子」と繰り返したりしているところは
つまり
エリーなら上手くマッサンを操縦してくれるだろうと見込んでいる
=「嫁」として既に受け入れている
ってことだよね?
最期の味噌汁のシーンでの
「美味しい」とか「これでなくちゃ」ではなく
「いつもと同じ」という言葉は
つまり
大袈裟に、殊更ドラマチックに「認める」「許す」なんてのでなく
ごくごく自然に
それこそ、いつの間にか…って感じで
日常に溶け込んでしまうってことで
エリーはそれが出来たってことなんだろうね。
強調されていた「お母さん」
俊兄ぃが何度も言っていた「ぼっちゃん」
唐突に感じた子供の話。
やはり、マッサンにとって今回の期間は
母親の胎内に戻ったことを表していたのかも?
だから
マッサン=甘ったれで世間知らずのお坊ちゃま
という面が前面に出ていたのだろう。
そして
いつか自分の子供が生まれる
=もはや子供ではなく「親」になる
=守られるのではなく守る立場になる
…という可能性、つーか「未来」を
マッサンは自覚して
そうしてやっと「大人」になるってことなのかも?
そう考えれば
唐突どころか必然。
考えてんな、羽原!
ってとこだけど(笑)
…まあ、惜しむらくは
物語としては起伏に乏しい感じするし(酷
二転三転させるにしても、それを台詞に大きく頼っちゃってるし(酷×2
テーマが浮かび上がってくる…って程ではなかったな(酷×3
でも、擁護するなら
説明台詞よりは良い(笑)
一応、その人物がその人物として発言してるから。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

見ているだけで汗をかく

いつもと同じ春

本仕込みスープ

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…っちゅーオチでせうか?
吟父は広島の酒を造っただけでなく
日本のウィスキーを造る息子を世に送り出した
っちゅーことで?
…ひじゅにですが何か?
「いつもと同じじゃ」byピン子
この世で最も偉大な愛は母親の愛
…と描いていたのは手塚治虫。
羽原もまた
親=偉大
という概念というか信念で描いている?
千賀子さんも親ではあるけど
まだまだ新米だし
マッサンにとっては姉だし
ピン子にとっては、まだまだ子供。
吟&ピン子の大きさには
まだまだ適わない
…っちゅーことでせうか?
ピン子は表立っては
エリーのこともウィスキーのことも認めるとは言わないけど
ウィスキーを捨てることはエリーを捨てることと同じだと
だからウィスキーの道を歩めと
諭しているんだよね。
吟父は初週から認めていたから
会社を辞め皿洗いをしているという息子に活を入れた
ってことだよね。
…ま、それにしては
チチキトクの電報がイマイチ浮いてしまう気がするけど(笑)
アレは千賀子さんあたりが出したという設定なら
もうちょい辻褄が合ったかな?
それとも
親とてやはり弱き人間
マッサン&エリーとしばし一緒に過ごしたことで
気持ちが変化したってことかもしれないけどね。
ともかくも
エリーの母親のことを二回も口にしたピン子は
母親の視点でエリーを見ている
=母親としてエリーを見て思いやっている
ってことだよね?
「女中」扱いにもオチがついて
息子夫婦を援助してくれた。
遠慮するエリーに代わりマッサンが受け取ろうとした時
マッサンを怒ったり、「バカ息子」と繰り返したりしているところは
つまり
エリーなら上手くマッサンを操縦してくれるだろうと見込んでいる
=「嫁」として既に受け入れている
ってことだよね?
最期の味噌汁のシーンでの
「美味しい」とか「これでなくちゃ」ではなく
「いつもと同じ」という言葉は
つまり
大袈裟に、殊更ドラマチックに「認める」「許す」なんてのでなく
ごくごく自然に
それこそ、いつの間にか…って感じで
日常に溶け込んでしまうってことで
エリーはそれが出来たってことなんだろうね。
強調されていた「お母さん」
俊兄ぃが何度も言っていた「ぼっちゃん」
唐突に感じた子供の話。
やはり、マッサンにとって今回の期間は
母親の胎内に戻ったことを表していたのかも?
だから
マッサン=甘ったれで世間知らずのお坊ちゃま
という面が前面に出ていたのだろう。
そして
いつか自分の子供が生まれる
=もはや子供ではなく「親」になる
=守られるのではなく守る立場になる
…という可能性、つーか「未来」を
マッサンは自覚して
そうしてやっと「大人」になるってことなのかも?
そう考えれば
唐突どころか必然。
考えてんな、羽原!
ってとこだけど(笑)
…まあ、惜しむらくは
物語としては起伏に乏しい感じするし(酷
二転三転させるにしても、それを台詞に大きく頼っちゃってるし(酷×2
テーマが浮かび上がってくる…って程ではなかったな(酷×3
でも、擁護するなら
説明台詞よりは良い(笑)
一応、その人物がその人物として発言してるから。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

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いつもと同じ春

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