笑って>『花子とアン』第107話 - 2014.08.01 Fri
ももちゃん@土屋太鳳さんが
次の次の、つまり次のAKの
ヒロインに決定!
というニュースに
おめでとうさんです!
という気持ちと共に
『花アン』ではオアシス的存在の彼女が
『まれ』ではツッコミどころ満載の典型的朝ドラ・ヒロイン
…になってしまったらどうしよう
という
今はまだ余計な心配をしている
…ひじゅにですが何か?
「笑えるわけないじゃん!」byかよ
まずは良かったところ2つ―
↑『花アン』には極めて貴重
1:かよちゃん
表情演技も良かったし
表情の作り方だけでなく
血の気の引いた様な力の失せた様な顔色も、また良し。
かよちゃん自身は何も語らず
厳密に言えば被害に遭う前の
プロポーズの様子ばかり断片的に口にし
茫然とそこにいるだけ…という演出も良かった。
2:村岡父
さすがにベテラン俳優であるだけに
ただ台詞で語られるだけの被害状況を
ちゃんと表情で反映させているところが良かった。
次男の死の知らせに
「探してみないと分からないじゃないか」
と怒鳴る様に言うところは
(もしかしたら『花アン』で初めてか、せいぜい二回目くらいに)
ちょいウルウルしてしまいましたぜ。
2つとも演技の問題で
ここはデン氏と通じるね。
比較しちゃイケナイんだけど
つい比較してしまう花子の演技は
宮本さんと通じてしまう?
演出の責任も大きくあると思うよ。
「1」 での
尋常ならざる経験をしてきたと容易に想像できる佇まいの妹に
本人が無事だったことを喜ぶだけでなく
「郁弥さんは?」「郁弥さんは?」とシツコクと聞く
KYを通り越して残酷な花子の図ぅ―は
演技力以前の問題だし(^^;)
「2」での
村岡父のナイスな表情演技に対し
「そんな…」と
何だか他人事っぽくて軽い反応過ぎる花子の図ぅ―は
まあ、ちょっと演技力も関係してくるけど(^^;)
あ、そうそう
もう一つ、良かったところが。
花子の語る『ナミダさん』の使い方。
『ミミズの女王』も『タンポポの目』も
個人のために書いたと言いながら雑誌社に売り込むのが先だったり
作品に対する皆の反応が作品の内容とズレてたり
…ただ単に
リアル村岡花子さんの著作をちょっこしエピに入れてみました♪
って程度にしか感じられないものだったけど
今回は子供達の涙にかけて『ナミダさん』
涙の海から抜け出す手段は“笑うこと”
そして上に挙げた、かよちゃんの台詞に繋がる
ちゅーことで
おお、何と!
『花アン』なのに話が繋がっている!
という驚異の現象に。
↑何だか「のび太のくせに」に似ているな
かよちゃんは笑えるわけないと言ってたし
実際そうだよなあ…と思うけれども
幸せだから笑うんじゃなくて
笑うから幸せになるんだよ
とムン・ヒジュンも歌っているぞ。
『笑って』というタイトルの曲だぞ。
原題は『ウッソヨ』だけど本当だぞ(寒
↑ヒジュンの曲を思い出させたので
ここは特別の特別に「良かったところ」認定!>ぉ
ちゅーことで
かよちゃんは郁弥さんを拒否る形で
しかも「バカっちょ」という罵倒の言葉を最後に残すという
取り返しのつかない別れ方になってしまったわけだけど
物語的には定番って感じだから
逆にここのところが立ち直る鍵になるのかもね。
ところで
かよちゃんにこの台詞を言わせるために
聞こえる所で花子が再び『ナミダさん』を語らねばならず
語るためには語る状況を作らねばならず
お話をせがむ子供達が再登場する羽目になり
再登場のために親の行方が分からない(?)←よく聞こえなかった
という不幸設定が加えられ
一番哀れなのは子供達
だよなあ…やっぱ。
『ごち』とは逆にヒロインが援助を受ける側になり
故郷から懐かしの面々がやって来る―
というのは良しとして
そのために動いてくれるのは、やはり地主さんで
結局のところ
地主さんは良い人
ってのが『花アン』の一番のテーマ
つーか
終了後も記憶に残る部分になるかも?
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

関東大震災の想像力

炊き出しセット

『笑って』収録

次の次の、つまり次のAKの
ヒロインに決定!
というニュースに
おめでとうさんです!
という気持ちと共に
『花アン』ではオアシス的存在の彼女が
『まれ』ではツッコミどころ満載の典型的朝ドラ・ヒロイン
…になってしまったらどうしよう
という
今はまだ余計な心配をしている
…ひじゅにですが何か?
「笑えるわけないじゃん!」byかよ
まずは良かったところ2つ―
↑『花アン』には極めて貴重
1:かよちゃん
表情演技も良かったし
表情の作り方だけでなく
血の気の引いた様な力の失せた様な顔色も、また良し。
かよちゃん自身は何も語らず
厳密に言えば被害に遭う前の
プロポーズの様子ばかり断片的に口にし
茫然とそこにいるだけ…という演出も良かった。
2:村岡父
さすがにベテラン俳優であるだけに
ただ台詞で語られるだけの被害状況を
ちゃんと表情で反映させているところが良かった。
次男の死の知らせに
「探してみないと分からないじゃないか」
と怒鳴る様に言うところは
(もしかしたら『花アン』で初めてか、せいぜい二回目くらいに)
ちょいウルウルしてしまいましたぜ。
2つとも演技の問題で
ここはデン氏と通じるね。
比較しちゃイケナイんだけど
つい比較してしまう花子の演技は
宮本さんと通じてしまう?
演出の責任も大きくあると思うよ。
「1」 での
尋常ならざる経験をしてきたと容易に想像できる佇まいの妹に
本人が無事だったことを喜ぶだけでなく
「郁弥さんは?」「郁弥さんは?」とシツコクと聞く
KYを通り越して残酷な花子の図ぅ―は
演技力以前の問題だし(^^;)
「2」での
村岡父のナイスな表情演技に対し
「そんな…」と
何だか他人事っぽくて軽い反応過ぎる花子の図ぅ―は
まあ、ちょっと演技力も関係してくるけど(^^;)
あ、そうそう
もう一つ、良かったところが。
花子の語る『ナミダさん』の使い方。
『ミミズの女王』も『タンポポの目』も
個人のために書いたと言いながら雑誌社に売り込むのが先だったり
作品に対する皆の反応が作品の内容とズレてたり
…ただ単に
リアル村岡花子さんの著作をちょっこしエピに入れてみました♪
って程度にしか感じられないものだったけど
今回は子供達の涙にかけて『ナミダさん』
涙の海から抜け出す手段は“笑うこと”
そして上に挙げた、かよちゃんの台詞に繋がる
ちゅーことで
おお、何と!
『花アン』なのに話が繋がっている!
という驚異の現象に。
↑何だか「のび太のくせに」に似ているな
かよちゃんは笑えるわけないと言ってたし
実際そうだよなあ…と思うけれども
幸せだから笑うんじゃなくて
笑うから幸せになるんだよ
とムン・ヒジュンも歌っているぞ。
『笑って』というタイトルの曲だぞ。
原題は『ウッソヨ』だけど本当だぞ(寒
↑ヒジュンの曲を思い出させたので
ここは特別の特別に「良かったところ」認定!>ぉ
ちゅーことで
かよちゃんは郁弥さんを拒否る形で
しかも「バカっちょ」という罵倒の言葉を最後に残すという
取り返しのつかない別れ方になってしまったわけだけど
物語的には定番って感じだから
逆にここのところが立ち直る鍵になるのかもね。
ところで
かよちゃんにこの台詞を言わせるために
聞こえる所で花子が再び『ナミダさん』を語らねばならず
語るためには語る状況を作らねばならず
お話をせがむ子供達が再登場する羽目になり
再登場のために親の行方が分からない(?)←よく聞こえなかった
という不幸設定が加えられ
一番哀れなのは子供達
だよなあ…やっぱ。
『ごち』とは逆にヒロインが援助を受ける側になり
故郷から懐かしの面々がやって来る―
というのは良しとして
そのために動いてくれるのは、やはり地主さんで
結局のところ
地主さんは良い人
ってのが『花アン』の一番のテーマ
つーか
終了後も記憶に残る部分になるかも?
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

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『笑って』収録

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