英語教師>『花子とアン』第39話 - 2014.05.14 Wed
英語教師と聞いて
『うちの学校のET』(パク・クァンチュン監督)
という映画が浮かんだんだけど
観たかどうか覚えてない…
体育教師がET(English teacher)になろうとする話で
キム・スロ主演のコメディで
イ・ミンホも出演している
…のは知っている
ってことは観たのかな?(笑)
…ひじゅにですが何か?
「家族も気になって」by花子
家族が気になるから
高等科に進んだら働いて仕送りしながら勉強も頑張る
…とか言ってなかったっけ?
出版社のバイト経験は、その取っ掛かりと思ってたのに
(また出版社で…という意味ではなく、働くという行為に関してね)
結局のところ勉強だけを頑張って3年が経過?
そう、3年が経過したのは間違いない。
今は1913年(大正2年)>だよね
これは、ひじゅにの勘違いじゃないよね(笑)
蓮様は
酔って歌い踊ったり
花嫁の前に群がって騒いだり
というお下品な披露宴で
クルクル回らされるという
屈辱的な目に遭わされ
先妻の子はいないけど妾の子はいるよ~ん
という炭鉱王のトリックに騙され
しかもその子供からは
母親などではないと拒否され
長々と続いた宴の後だというのに
年上夫は芸者の元へ―
ノリノリになることもなく>当たり前か
「まるっとお見通しだ!」とミエを切るのでもなく>当たり前か
妾腹の子という共通の土台を生かし娘の心を開くというベタ展開でもなく>これから?
ひたすら悲劇のお姫様。
そんな蓮様に心痛める正しい視聴者を焦らすかの様に
あっという間に3年経過。
柳原白蓮と村岡花子の交流は
百合っぽくイチャイチャしていただけのものではなく
文学を通してお互いの世界を広げ合い
歌人と翻訳家という、それぞれの道を踏み出すための
土台を築き合うものだったそうだ。
そんな素敵な関係をほとんど(全くと言っても良い?)描かず
その関係が壊れた後の葛藤もまるっとスルー。
↑個人的に、そんな交流を描いた方が遥かに面白いと思うし
それと共に恋や結婚のアレコレを持って来るなら
遥かに重みも深みも思い入れも感動も生まれたんじゃないのかなあ…
下級生に英語を教えるシーンが入ったのは良しとして
(今日初めて教えたわけではないだろうに辞書は初めて見せたのね)
「英語の実力だけは確かです」
と、富山先生に台詞で説明させるのは、いつものパターン。
故郷では、お母が自分で手紙を書いているところまでは良いのに
(水をこぼしちゃうのは、らしくない気がするし…要は花子には届けたくない?)
ももちゃんが大人の役者に交代していたことで年月を表現するという
今迄通りのパターン。
富山先生に
花子の独り言に
醍醐ちゃんのチャチャに
そして勿論、文字通り教える姿にと
やたらと強調される「英語教師」。
ハイハイ
卒業後は英語教師になるという前振りっちゅーわけですね。
まあ、実際に村岡花子さんは
山梨で英語教師になったわけだから
そこのところは別に何もおかしくはないのだけど
この前振りがシツコイ>言っちゃった
それに、アンも教師になったから
ここで『アン』ネタを被せてこないわけがないので
そこが不安。
大学進学を一旦は諦めて教師になることを決意したアンに
ギルバートが自分が行く予定だった母校の教師の口を譲ってくれる
…というエピが絶対入ってくる気がする(^^;)
「はなさんはね、時々こうなってしまうのよ」
皆の前で空想世界に入ってしまう花子を見ながら
こんな風に言う級友(名前覚えとらん)
時々どころか、ほとんどなかったんじゃ…
子供時代
鳥と一緒に空を飛ぶ様子は詩的でもあり
それこそ『アン』を重ねるにふさわしいと思えた。
雲をおにぎりにして食べる仕草をしていたのも
まあ、健気さは出ていて悪くなかった。
↑『アン』というより『ゲゲゲ』のエア雛祭オマージュ?
でも、女学校編になってから
か~な~り長い間、想像の翼は凍りついたまま。
やっと広げてみせたかと思ったら
結婚相手はタケシ様…というオチの、しょーもない妄想。
昨日は蓮様との出逢いを思い出していただけだし
でもって今日は
オチャラケ編集長コスプレ・コント(^^;)
これに腹を抱えて笑うのが正しい視聴者なのだろうな…(遠い目)
↑もはや『アン』とは全く別モノの想像力
ヒロインがしょーもない妄想をするという
朝ドラ“お約束”の一つを果たしただけだね>やはり、これがテーマか
ラストでは忘れ去られたかと思われた妹かよちゃん再登場。
黒木華さんが銀熊賞受賞ということで
ドラマの出番を増やしたという話だけど
今回のこのエピも、その口?
つーか
蓮様で引っ張った後は
かよちゃんで話を進めようという算段?
群像劇は好みだけど
『花アン』の場合は極端に偏り過ぎていて
“群像”という形ではない気がする。
一人に絞られちゃってて
しかも長々引っ張って
引っ張る分、密度が薄くなって
しかも致命的な問題として
ヒロイン埋没…いえいえ何でもありません!
ああ、明日が楽しみだなあ。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

クッキー缶>チャーム

赤毛のアンのおしゃべり英語レッスン

博多の女

『うちの学校のET』(パク・クァンチュン監督)
という映画が浮かんだんだけど
観たかどうか覚えてない…
体育教師がET(English teacher)になろうとする話で
キム・スロ主演のコメディで
イ・ミンホも出演している
…のは知っている
ってことは観たのかな?(笑)
…ひじゅにですが何か?
「家族も気になって」by花子
家族が気になるから
高等科に進んだら働いて仕送りしながら勉強も頑張る
…とか言ってなかったっけ?
出版社のバイト経験は、その取っ掛かりと思ってたのに
(また出版社で…という意味ではなく、働くという行為に関してね)
結局のところ勉強だけを頑張って3年が経過?
そう、3年が経過したのは間違いない。
今は1913年(大正2年)>だよね
これは、ひじゅにの勘違いじゃないよね(笑)
蓮様は
酔って歌い踊ったり
花嫁の前に群がって騒いだり
というお下品な披露宴で
クルクル回らされるという
屈辱的な目に遭わされ
先妻の子はいないけど妾の子はいるよ~ん
という炭鉱王のトリックに騙され
しかもその子供からは
母親などではないと拒否され
長々と続いた宴の後だというのに
年上夫は芸者の元へ―
ノリノリになることもなく>当たり前か
「まるっとお見通しだ!」とミエを切るのでもなく>当たり前か
妾腹の子という共通の土台を生かし娘の心を開くというベタ展開でもなく>これから?
ひたすら悲劇のお姫様。
そんな蓮様に心痛める正しい視聴者を焦らすかの様に
あっという間に3年経過。
柳原白蓮と村岡花子の交流は
百合っぽくイチャイチャしていただけのものではなく
文学を通してお互いの世界を広げ合い
歌人と翻訳家という、それぞれの道を踏み出すための
土台を築き合うものだったそうだ。
そんな素敵な関係をほとんど(全くと言っても良い?)描かず
その関係が壊れた後の葛藤もまるっとスルー。
↑個人的に、そんな交流を描いた方が遥かに面白いと思うし
それと共に恋や結婚のアレコレを持って来るなら
遥かに重みも深みも思い入れも感動も生まれたんじゃないのかなあ…
下級生に英語を教えるシーンが入ったのは良しとして
(今日初めて教えたわけではないだろうに辞書は初めて見せたのね)
「英語の実力だけは確かです」
と、富山先生に台詞で説明させるのは、いつものパターン。
故郷では、お母が自分で手紙を書いているところまでは良いのに
(水をこぼしちゃうのは、らしくない気がするし…要は花子には届けたくない?)
ももちゃんが大人の役者に交代していたことで年月を表現するという
今迄通りのパターン。
富山先生に
花子の独り言に
醍醐ちゃんのチャチャに
そして勿論、文字通り教える姿にと
やたらと強調される「英語教師」。
ハイハイ
卒業後は英語教師になるという前振りっちゅーわけですね。
まあ、実際に村岡花子さんは
山梨で英語教師になったわけだから
そこのところは別に何もおかしくはないのだけど
この前振りがシツコイ>言っちゃった
それに、アンも教師になったから
ここで『アン』ネタを被せてこないわけがないので
そこが不安。
大学進学を一旦は諦めて教師になることを決意したアンに
ギルバートが自分が行く予定だった母校の教師の口を譲ってくれる
…というエピが絶対入ってくる気がする(^^;)
「はなさんはね、時々こうなってしまうのよ」
皆の前で空想世界に入ってしまう花子を見ながら
こんな風に言う級友(名前覚えとらん)
時々どころか、ほとんどなかったんじゃ…
子供時代
鳥と一緒に空を飛ぶ様子は詩的でもあり
それこそ『アン』を重ねるにふさわしいと思えた。
雲をおにぎりにして食べる仕草をしていたのも
まあ、健気さは出ていて悪くなかった。
↑『アン』というより『ゲゲゲ』のエア雛祭オマージュ?
でも、女学校編になってから
か~な~り長い間、想像の翼は凍りついたまま。
やっと広げてみせたかと思ったら
結婚相手はタケシ様…というオチの、しょーもない妄想。
昨日は蓮様との出逢いを思い出していただけだし
でもって今日は
オチャラケ編集長コスプレ・コント(^^;)
これに腹を抱えて笑うのが正しい視聴者なのだろうな…(遠い目)
↑もはや『アン』とは全く別モノの想像力
ヒロインがしょーもない妄想をするという
朝ドラ“お約束”の一つを果たしただけだね>やはり、これがテーマか
ラストでは忘れ去られたかと思われた妹かよちゃん再登場。
黒木華さんが銀熊賞受賞ということで
ドラマの出番を増やしたという話だけど
今回のこのエピも、その口?
つーか
蓮様で引っ張った後は
かよちゃんで話を進めようという算段?
群像劇は好みだけど
『花アン』の場合は極端に偏り過ぎていて
“群像”という形ではない気がする。
一人に絞られちゃってて
しかも長々引っ張って
引っ張る分、密度が薄くなって
しかも致命的な問題として
ヒロイン埋没…いえいえ何でもありません!
ああ、明日が楽しみだなあ。
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