名前>『花子とアン』第28話 - 2014.05.01 Thu
こうして感想を書き始めるとなると
君はまず最初に
『花アン』のどこが優れているかとか
どんな笑えるギャグが入っているかとか
どんなにワクワクする展開で深みのある物語かとか
その手の『みん感』的なしょーもないアレコレを読みたがるかもしれない。
でも、ハッキリ言ってね、その手の書き方をする気になれないんだよ。
↑『アン』をイジっている『花アン』に倣って
『ライ麦畑でつかまえて』(村上春樹訳)をイジってみました>ぇ
…ひじゅにですが何か?
「お父が権兵衛なんて名だったら、お母は好きになってるかしら」by花子
…なってんじゃねーの?>無責任
蓮子様ったら
やっぱ、『ロミジュリ』を読んで
蓮子、かんどー!
という顛末かい(笑)
これはきっと
肝心の復讐もドロドロしたものどころか
少女マンガ風味の軽~い笑い話で終わっちゃいそうな
そんな予感がする、ひじゅに17歳(嘘
確かにアンは名前に拘る子だった。
出逢ってすぐ別れるしかないと思われたマリラに
「コーデリアと呼んで下さらない?」
と答えるシーンがある。
↑この間、去年の大文学会では『リア王』を上演し
コーデリア役の人が見初められた…云々
という噂話がワザワザ入ったのは
コーデリアという名前を出したかったからだろう
アンという名前は気に入らないけど
どうしても呼ばなければならないのなら
末尾に「e」が付いたアンと呼んでくれ
とも言っていた。
↑「はなではなく花子と呼んでくりょう」
と、花子が最初に言い出した時は
実際、村岡花子さんの本名は「はな」だし
ここにアンを重ねるのは面白いと好意的に受け取っていた
そしてそして
今日、花子が言っていた
「もしバラがアザミやキャベツという名前だったら…」
という、まんまの台詞もある。
↑「バラは例え他のどんな名前でも香りは同じ」
という本の中の言葉に反応してのもので
その本が『ロミジュリ』なのは間違いないと思われ
だから、ここで皆が『ロミジュリ』を演じようとしているのも
将来、翻訳家になる布石として花子が翻訳することになるのも
まあ良いと思う。
バラの名前の件が出て来た時は
「ああ、またもや『アン』ネタかい…」
と、ちょっとウンザリはしたものの
その言葉が出ること自体はまあ、仕方ないかなあ…という気もする。
するけど…
何かやっぱりズレてると思うんだけど?
ひじゅにの方がズレてるのかもしらんがな(^^;)
アンは生まれて間もなく両親を亡くし
子沢山の貧しい家で子守をしながら育ち
その後はずっと孤児院で暮らしていた。
そんな孤独な女の子が
たった一つの持ち物である名前に拘るのは
悲しいくらい納得できる。
アイデンティティに関わることだから。
バラをバラとして良しとするだけでなく
個別に名前も付けた。
鉢植の花から近くの湖から森の小道から…
あらゆるものに名前を付けて回った。
それは、とても可愛らしい話であるだけでなく
とても悲しい思いを秘めてもいた。
そんな彼女だから
何もシェイクスピアにイチャモンつけたわけではなく
本当に素直な素朴な疑問だったのだと思う。
だけど、花子のはイチャモンの部類だよなあ…(――;)
第一、 意味合いが違うじゃん。
いがみ合う家同士の子供として愛し合うことを禁じられた2人が
重要なのは「家」でも「名」でもない…と訴えてるわけじゃん?
ここで
バラはバラでなくちゃ!
名前は大事!
なんて主張しちゃったら
愛よりも名を取りなさいっ!
つーか、愛なんて重要じゃないし!
…って言ってる様なもんと違う?
第二に、以前の富山先生との直訳VS意訳は
(あの場であーいう論議をするのがふさわしいか否かは置いといて)
原文をより良く伝えるために日本語をどう選ぶか、という問題だから
翻訳家への布石の一つになる。
「腹心の友」という訳語を選ぶエピに通じる話でもある。
だけど、ここで
蓮子様がした様に>言葉の記憶力が凄いのは歌人への布石?
花子の言葉をまんま脚本に取り入れてしまったら
それって原文の改竄じゃん?
翻訳家が最も避けるべきことなんと違う?
つーか、既に「翻訳」じゃないじゃん?
…楽しく観ている方々には真にスミマセンが
ひじゅには今回、非常に疑問を感じ
かつ
遂に不快感まで覚えてしまいました(TへT)
ま、そのおかげで、それ以外はどーでも良かったかな>ぉ
白鳥さんのエピは
彼女が単に容姿で笑いを取る原始的なキャラであることが
ますます明らかになっただけだし。
もはや生徒ではなく教師(?少なくとも学校の職員ではあるよね)なのに
芝居に出ようというのもオカシイし
もう、あの扮装で笑わせたいだけなのね…としか思えん。
蓮子様が稽古をする気を起こしたところで
例によってブラックバーン校長と愉快な仲間達が入って来て
「やっと本気になってくれましたね」だなんて
気恥ずかしいというか
陳腐という言葉が脳裏に浮かんでは消え…状態(酷
それに富山先生が今、ネタ振りの真っ最中なもんだから
彼女の代わりに別の教師が加わってるのも何だか笑える。
吉太郎君の件は、ちょっと心配ではあるけど
取り合えず20才になるまでの間に色々模索するだろうし
これからだよね。
リンさんが夫のことを話に出すところは良かったけど
ベタな台詞は許せるとしても>何様
外に飛び出してからの表情演技は…何かさ…
もうちょい何とかならなかったのか(酷
久~しぶりに登場した花子の「想像」も
取って付けた様だし
アンとはまるで違う妄想だし…
あそこでタケシ様が登場するのも
何か関係性が薄すぎる気がするし…
帰郷エピの最初、汽車で乗り合わせたタケシ様が
見知らぬ美女だと一目惚れしたものの
正体は花子だと知って憎まれ口を叩いていたけど
今回のこの妄想の中に登場するための布石だったの?
…と
今日もヘンテコ感想でスマソ
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

バラの名前をめぐる旅

イタリアのキャベツ

あざみの佃煮

君はまず最初に
『花アン』のどこが優れているかとか
どんな笑えるギャグが入っているかとか
どんなにワクワクする展開で深みのある物語かとか
その手の『みん感』的なしょーもないアレコレを読みたがるかもしれない。
でも、ハッキリ言ってね、その手の書き方をする気になれないんだよ。
↑『アン』をイジっている『花アン』に倣って
『ライ麦畑でつかまえて』(村上春樹訳)をイジってみました>ぇ
…ひじゅにですが何か?
「お父が権兵衛なんて名だったら、お母は好きになってるかしら」by花子
…なってんじゃねーの?>無責任
蓮子様ったら
やっぱ、『ロミジュリ』を読んで
蓮子、かんどー!
という顛末かい(笑)
これはきっと
肝心の復讐もドロドロしたものどころか
少女マンガ風味の軽~い笑い話で終わっちゃいそうな
そんな予感がする、ひじゅに17歳(嘘
確かにアンは名前に拘る子だった。
出逢ってすぐ別れるしかないと思われたマリラに
「コーデリアと呼んで下さらない?」
と答えるシーンがある。
↑この間、去年の大文学会では『リア王』を上演し
コーデリア役の人が見初められた…云々
という噂話がワザワザ入ったのは
コーデリアという名前を出したかったからだろう
アンという名前は気に入らないけど
どうしても呼ばなければならないのなら
末尾に「e」が付いたアンと呼んでくれ
とも言っていた。
↑「はなではなく花子と呼んでくりょう」
と、花子が最初に言い出した時は
実際、村岡花子さんの本名は「はな」だし
ここにアンを重ねるのは面白いと好意的に受け取っていた
そしてそして
今日、花子が言っていた
「もしバラがアザミやキャベツという名前だったら…」
という、まんまの台詞もある。
↑「バラは例え他のどんな名前でも香りは同じ」
という本の中の言葉に反応してのもので
その本が『ロミジュリ』なのは間違いないと思われ
だから、ここで皆が『ロミジュリ』を演じようとしているのも
将来、翻訳家になる布石として花子が翻訳することになるのも
まあ良いと思う。
バラの名前の件が出て来た時は
「ああ、またもや『アン』ネタかい…」
と、ちょっとウンザリはしたものの
その言葉が出ること自体はまあ、仕方ないかなあ…という気もする。
するけど…
何かやっぱりズレてると思うんだけど?
ひじゅにの方がズレてるのかもしらんがな(^^;)
アンは生まれて間もなく両親を亡くし
子沢山の貧しい家で子守をしながら育ち
その後はずっと孤児院で暮らしていた。
そんな孤独な女の子が
たった一つの持ち物である名前に拘るのは
悲しいくらい納得できる。
アイデンティティに関わることだから。
バラをバラとして良しとするだけでなく
個別に名前も付けた。
鉢植の花から近くの湖から森の小道から…
あらゆるものに名前を付けて回った。
それは、とても可愛らしい話であるだけでなく
とても悲しい思いを秘めてもいた。
そんな彼女だから
何もシェイクスピアにイチャモンつけたわけではなく
本当に素直な素朴な疑問だったのだと思う。
だけど、花子のはイチャモンの部類だよなあ…(――;)
第一、 意味合いが違うじゃん。
いがみ合う家同士の子供として愛し合うことを禁じられた2人が
重要なのは「家」でも「名」でもない…と訴えてるわけじゃん?
ここで
バラはバラでなくちゃ!
名前は大事!
なんて主張しちゃったら
愛よりも名を取りなさいっ!
つーか、愛なんて重要じゃないし!
…って言ってる様なもんと違う?
第二に、以前の富山先生との直訳VS意訳は
(あの場であーいう論議をするのがふさわしいか否かは置いといて)
原文をより良く伝えるために日本語をどう選ぶか、という問題だから
翻訳家への布石の一つになる。
「腹心の友」という訳語を選ぶエピに通じる話でもある。
だけど、ここで
蓮子様がした様に>言葉の記憶力が凄いのは歌人への布石?
花子の言葉をまんま脚本に取り入れてしまったら
それって原文の改竄じゃん?
翻訳家が最も避けるべきことなんと違う?
つーか、既に「翻訳」じゃないじゃん?
…楽しく観ている方々には真にスミマセンが
ひじゅには今回、非常に疑問を感じ
かつ
遂に不快感まで覚えてしまいました(TへT)
ま、そのおかげで、それ以外はどーでも良かったかな>ぉ
白鳥さんのエピは
彼女が単に容姿で笑いを取る原始的なキャラであることが
ますます明らかになっただけだし。
もはや生徒ではなく教師(?少なくとも学校の職員ではあるよね)なのに
芝居に出ようというのもオカシイし
もう、あの扮装で笑わせたいだけなのね…としか思えん。
蓮子様が稽古をする気を起こしたところで
例によってブラックバーン校長と愉快な仲間達が入って来て
「やっと本気になってくれましたね」だなんて
気恥ずかしいというか
陳腐という言葉が脳裏に浮かんでは消え…状態(酷
それに富山先生が今、ネタ振りの真っ最中なもんだから
彼女の代わりに別の教師が加わってるのも何だか笑える。
吉太郎君の件は、ちょっと心配ではあるけど
取り合えず20才になるまでの間に色々模索するだろうし
これからだよね。
リンさんが夫のことを話に出すところは良かったけど
ベタな台詞は許せるとしても>何様
外に飛び出してからの表情演技は…何かさ…
もうちょい何とかならなかったのか(酷
久~しぶりに登場した花子の「想像」も
取って付けた様だし
アンとはまるで違う妄想だし…
あそこでタケシ様が登場するのも
何か関係性が薄すぎる気がするし…
帰郷エピの最初、汽車で乗り合わせたタケシ様が
見知らぬ美女だと一目惚れしたものの
正体は花子だと知って憎まれ口を叩いていたけど
今回のこの妄想の中に登場するための布石だったの?
…と
今日もヘンテコ感想でスマソ
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

バラの名前をめぐる旅

イタリアのキャベツ

あざみの佃煮

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