明日>『ごちそうさん』第145話 - 2014.03.24 Mon
もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんならだな
まず、僕がどこで生まれたとか
チャチな幼年時代はどんなだったのかとか
僕が生まれる前に両親は何をやってたかとか
そういったデーヴィッド・カパーフィールド式のくだんないことから
聞きたがるかもしれないけどさ
実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだな
(訳:野崎孝)
いきなりスミマセンスミマセン
でも、室井さんが例えられたディケンズというと
『デーヴィッド・カパーフィールド』を思い浮かべるし
『デーヴィッド・カパーフィールド』というと
やっぱ『ライ麦畑でつかまえて』の冒頭の文章を思い出すもんだからさ
昔、マンガ家になりたいと思ってた私は
『ライ麦畑』みたいな作品を描きたかったんだ
とてもじゃないけど
才能も技量も追いつかんかったけどね
てへっ(笑)
…ひじゅにですが何か?
「明日に向かわなくちゃね」by室井
↑これが今週(にして最終週)のキーワード?
桜子の「もうそちらには戻らないかもしれません」宣言から2年
若くて美人のファンが現れてウキウキの室井さん―
今や子育てに夢中で>それ自体は良いことだけど
学問への情熱を失ったらしき、ふ久ちゃん―
悠太郎を待ち続けている、め以子にも
源ちゃんがプロポーズしてくることは予告で分かってるし―
戦争も終わったことだし
過去は振り切って明日へ向かおうよ!
というメッセージ
…に見せかけたミスリード?
何しろ朝ドラだからね(笑)
某女性向け掲示板等では
夫婦間、恋人間のトラブルについての相談があると
「次行こう、次!」
というレスの嵐になる。
ドラマや映画だって
新しい旅立ちを推奨するか
行動することは思いとどまったとしても
心にはずっと留めておくことが美しい
…みたいなのが多い気がする。
でも、こと朝ドラに関しては
全てが元通り丸く納まらないと
ブーイングは必至。
今迄
表面上は新しい手法を取り入れて
「朝ドラらしからぬ朝ドラ」と見せかけても
内容的には全くもって保守的の極み
「朝ドラらしい朝ドラ」で終わってしまう作品ばかりだった。
それを否定しているわけじゃないよ。
それも一つの手ではあるし
「だからこそ朝ドラ」なのだろうって気もするし。
ちゅーことで
『ごち』もまた朝ドラとして終わると思う。
室井さんはキャラに合せてオフザケ描写だけど
結局のところ桜子と寄りを戻してメデタシメデタシ
となり
め以子の元に悠太郎が戻ってきてメデタシメデタシ
となることの前振りであり象徴であるのだろう
…という気がする(笑)
疎開前の戦意高揚小説を書くことを嫌っていた桜子と
そんな桜子のために即興で平和主義の物語に変えたラジオのエピに
対応するものとなるのかも?
まあ、そんなのよりも何よりも
室井さんをメインとしたお笑い展開を
(まあマジで笑えないにしても>ぉ)
彼のキャラに免じて軽く楽しませてもらうのが正解だろう。
ドラマ初期から「下衆」な精神を発揮しつつも
ドラマの一つのカラーとして活躍してきた室井さんだから
最後は綺麗に纏めてほしい。
ふ久ちゃんに関してはよく分からないな。
良いお母さんであること…は、まさに朝ドラ的だし。
でも、ふ久ちゃんの極端なキャラは所々で強調して描かれてきたから
このままだったら尻すぼみ…という感情を視聴者に与えることに
成功しているかもしれないし。
母親を気遣って学校に戻ろうとしている泰介君と対比してる?
彼の場合は「末は大臣」と何度か言われてきたから
それを覆して今の仕事に身を捧げる…という結末も面白いかも?
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

ディケンズ

グレン・ミラー

レトロ調 真空管ラジオ

まず、僕がどこで生まれたとか
チャチな幼年時代はどんなだったのかとか
僕が生まれる前に両親は何をやってたかとか
そういったデーヴィッド・カパーフィールド式のくだんないことから
聞きたがるかもしれないけどさ
実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだな
(訳:野崎孝)
いきなりスミマセンスミマセン
でも、室井さんが例えられたディケンズというと
『デーヴィッド・カパーフィールド』を思い浮かべるし
『デーヴィッド・カパーフィールド』というと
やっぱ『ライ麦畑でつかまえて』の冒頭の文章を思い出すもんだからさ
昔、マンガ家になりたいと思ってた私は
『ライ麦畑』みたいな作品を描きたかったんだ
とてもじゃないけど
才能も技量も追いつかんかったけどね
てへっ(笑)
…ひじゅにですが何か?
「明日に向かわなくちゃね」by室井
↑これが今週(にして最終週)のキーワード?
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若くて美人のファンが現れてウキウキの室井さん―
今や子育てに夢中で>それ自体は良いことだけど
学問への情熱を失ったらしき、ふ久ちゃん―
悠太郎を待ち続けている、め以子にも
源ちゃんがプロポーズしてくることは予告で分かってるし―
戦争も終わったことだし
過去は振り切って明日へ向かおうよ!
というメッセージ
…に見せかけたミスリード?
何しろ朝ドラだからね(笑)
某女性向け掲示板等では
夫婦間、恋人間のトラブルについての相談があると
「次行こう、次!」
というレスの嵐になる。
ドラマや映画だって
新しい旅立ちを推奨するか
行動することは思いとどまったとしても
心にはずっと留めておくことが美しい
…みたいなのが多い気がする。
でも、こと朝ドラに関しては
全てが元通り丸く納まらないと
ブーイングは必至。
今迄
表面上は新しい手法を取り入れて
「朝ドラらしからぬ朝ドラ」と見せかけても
内容的には全くもって保守的の極み
「朝ドラらしい朝ドラ」で終わってしまう作品ばかりだった。
それを否定しているわけじゃないよ。
それも一つの手ではあるし
「だからこそ朝ドラ」なのだろうって気もするし。
ちゅーことで
『ごち』もまた朝ドラとして終わると思う。
室井さんはキャラに合せてオフザケ描写だけど
結局のところ桜子と寄りを戻してメデタシメデタシ
となり
め以子の元に悠太郎が戻ってきてメデタシメデタシ
となることの前振りであり象徴であるのだろう
…という気がする(笑)
疎開前の戦意高揚小説を書くことを嫌っていた桜子と
そんな桜子のために即興で平和主義の物語に変えたラジオのエピに
対応するものとなるのかも?
まあ、そんなのよりも何よりも
室井さんをメインとしたお笑い展開を
(まあマジで笑えないにしても>ぉ)
彼のキャラに免じて軽く楽しませてもらうのが正解だろう。
ドラマ初期から「下衆」な精神を発揮しつつも
ドラマの一つのカラーとして活躍してきた室井さんだから
最後は綺麗に纏めてほしい。
ふ久ちゃんに関してはよく分からないな。
良いお母さんであること…は、まさに朝ドラ的だし。
でも、ふ久ちゃんの極端なキャラは所々で強調して描かれてきたから
このままだったら尻すぼみ…という感情を視聴者に与えることに
成功しているかもしれないし。
母親を気遣って学校に戻ろうとしている泰介君と対比してる?
彼の場合は「末は大臣」と何度か言われてきたから
それを覆して今の仕事に身を捧げる…という結末も面白いかも?
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