お葬式>『ごちそうさん』第144話 - 2014.03.22 Sat
う~むむむ
やっぱ活男君は戦死か…
どーせ
ヒロインの周囲は無事なままで
メデタシメデタシ…な
能天気な結末だろう
と高を括っていたもんだからさ(上目線
…ひじゅにですが何か?
「かっちゃんはもう、お腹空かへんのやな」byめ以子
病気のために船に乗らずに済んだ少年の荷物に
何故か紛れ込んでいたという活男君の手帳。
1:ご都合主義
2:超常現象
3:実は活男君がこっそり忍び込ませていた
4:当時の軍隊の管理の甘さ、もしくは杜撰さ
5:アホの子だから鞄を間違えただけ
手帳に書かれた「食べたいもの」をできる限り再現。
少し前だったら食材が揃わなかっただろう。
今でも完全ではない>カレーは具の姿が見えないし
それでお葬式とする母め以子。
お静さんが一番最初に取り分けた活男君の分のご馳走は
いつまで経っても減ることはない。
アイスクリンは無惨にも溶けてしまう。
…ああ、これはもう
やっぱ生きてました!な結末は期待できないな
…と、諦めの悪いひじゅにも思い始めた頃
階段の上に現れる活男君の幻。
いや、それを
め以子を始め誰も見てはいないわけだから
これは純然たる活男君自身ということなんだろう。
↑死んだ人が霊となって出現するのも朝ドラ“お約束”
染んだらお腹は空かない…
戦死公報が届いた時のエピでも
め以子は同じことを思っていた。
だから、こっちの世界に戻っておいで!
と叫んでいたけれど
今回は、それをすっかり認めている。
幾ら好物を作ってやっても
活男君はもう二度と食べることはないのだと。
それでも
霊の姿の活男君は
あんなに食べたがっていた母の料理を嬉しそうに食べ
聞こえない声で「ごちそうさん」と言っていた。
こうした描写は“救い”だと思うよ。
霊魂不滅説は信じてないので
この様なことは現実には起こり得ることではない
と思っている。
それでも
こうした描写は残された者の“救い”として
受け入れるよ。
一応、断っておくと
ひじゅには
活男君の熱狂的ファンてわけじゃないし
『ごち』信者でもない。
でも、活男君があの時代に自分の夢を叶えるため
自ら海軍に入るという道しかなかったこと…
そこには心動かされたし
そうした状況から言って
こうした結末しか考えられなかったわけだから
全くその通りに終わってしまったことが
やはり悲しい。
それとやっぱ
上↑にも書いたけど
全体的にコメディタッチのドラマだから
身近な人々は無事なままだと思ってたしね。
物語としては
め以子のアメリカに対する気持ちが
ネガティブ→ポジティブに変わることと
残る一人となった悠太郎は果たして…
という2つのネタで終わりだね。
前者に関しては
戦争中は直接アメリカ人と接することがなかったから
いわゆる「鬼畜米英」的な感情は薄いと思う。
実感がないっていうか。
実感といったら、まさしく
家族や食べ物が失われたことそのもの
なわけだけど
少し前までは、それに関する憎しみは
目の前にいる警察や日本軍に向けられていたと思う。
今は、そこにアメリカ人がいるから
すっかりアメリカ人に感情が向けられちゃっているけど。
だから、モリス大尉を象徴的存在として
おむすびをたべる姿を「カワイイ」と表現してみせたのだろう。
個人としては良い人だし
食べ物を介すれば国など関係ないのだと。
だから着地点はバレバレ>アホめ以子だし
ただ、モリス大尉が息子らしき男の子と映った写真が気になる。
同じ“親”として心情が伝わった…ってことだけなのか
もっと深い事情があるのか。
例えばさ
日本軍の攻撃で息子は亡くなった―
なんて事情だったらさ…
ここここれは重いよな…
そこまでは行かない?
後者はね
活男君が亡くなってしまったのなら
悠太郎は生還するんじゃないかなあ。
↑希望的観測
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

アイスクリン

肉じゃがから豚の角煮まで

カレーキャンドル

やっぱ活男君は戦死か…
どーせ
ヒロインの周囲は無事なままで
メデタシメデタシ…な
能天気な結末だろう
と高を括っていたもんだからさ(上目線
…ひじゅにですが何か?
「かっちゃんはもう、お腹空かへんのやな」byめ以子
病気のために船に乗らずに済んだ少年の荷物に
何故か紛れ込んでいたという活男君の手帳。
1:ご都合主義
2:超常現象
3:実は活男君がこっそり忍び込ませていた
4:当時の軍隊の管理の甘さ、もしくは杜撰さ
5:アホの子だから鞄を間違えただけ
手帳に書かれた「食べたいもの」をできる限り再現。
少し前だったら食材が揃わなかっただろう。
今でも完全ではない>カレーは具の姿が見えないし
それでお葬式とする母め以子。
お静さんが一番最初に取り分けた活男君の分のご馳走は
いつまで経っても減ることはない。
アイスクリンは無惨にも溶けてしまう。
…ああ、これはもう
やっぱ生きてました!な結末は期待できないな
…と、諦めの悪いひじゅにも思い始めた頃
階段の上に現れる活男君の幻。
いや、それを
め以子を始め誰も見てはいないわけだから
これは純然たる活男君自身ということなんだろう。
↑死んだ人が霊となって出現するのも朝ドラ“お約束”
染んだらお腹は空かない…
戦死公報が届いた時のエピでも
め以子は同じことを思っていた。
だから、こっちの世界に戻っておいで!
と叫んでいたけれど
今回は、それをすっかり認めている。
幾ら好物を作ってやっても
活男君はもう二度と食べることはないのだと。
それでも
霊の姿の活男君は
あんなに食べたがっていた母の料理を嬉しそうに食べ
聞こえない声で「ごちそうさん」と言っていた。
こうした描写は“救い”だと思うよ。
霊魂不滅説は信じてないので
この様なことは現実には起こり得ることではない
と思っている。
それでも
こうした描写は残された者の“救い”として
受け入れるよ。
一応、断っておくと
ひじゅには
活男君の熱狂的ファンてわけじゃないし
『ごち』信者でもない。
でも、活男君があの時代に自分の夢を叶えるため
自ら海軍に入るという道しかなかったこと…
そこには心動かされたし
そうした状況から言って
こうした結末しか考えられなかったわけだから
全くその通りに終わってしまったことが
やはり悲しい。
それとやっぱ
上↑にも書いたけど
全体的にコメディタッチのドラマだから
身近な人々は無事なままだと思ってたしね。
物語としては
め以子のアメリカに対する気持ちが
ネガティブ→ポジティブに変わることと
残る一人となった悠太郎は果たして…
という2つのネタで終わりだね。
前者に関しては
戦争中は直接アメリカ人と接することがなかったから
いわゆる「鬼畜米英」的な感情は薄いと思う。
実感がないっていうか。
実感といったら、まさしく
家族や食べ物が失われたことそのもの
なわけだけど
少し前までは、それに関する憎しみは
目の前にいる警察や日本軍に向けられていたと思う。
今は、そこにアメリカ人がいるから
すっかりアメリカ人に感情が向けられちゃっているけど。
だから、モリス大尉を象徴的存在として
おむすびをたべる姿を「カワイイ」と表現してみせたのだろう。
個人としては良い人だし
食べ物を介すれば国など関係ないのだと。
だから着地点はバレバレ>アホめ以子だし
ただ、モリス大尉が息子らしき男の子と映った写真が気になる。
同じ“親”として心情が伝わった…ってことだけなのか
もっと深い事情があるのか。
例えばさ
日本軍の攻撃で息子は亡くなった―
なんて事情だったらさ…
ここここれは重いよな…
そこまでは行かない?
後者はね
活男君が亡くなってしまったのなら
悠太郎は生還するんじゃないかなあ。
↑希望的観測
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肉じゃがから豚の角煮まで

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