屈原の故事>『ごちそうさん』第131話 - 2014.03.07 Fri
泰介君出征の日に
活男君戦死公報とは…
ドラマみたい>ぇ
でも、泰介君が
弟の死を知らないまま旅立てたことだけは
良かったと言える?
…ひじゅにですが何か?
「それを許さんかったこの時代を絶対に許さん」by泰介
活男君の場合は
夢を叶える道が軍隊しかなかった。
泰介君の場合は
全ての機会が塞がれてしまっていた。
命そのものが常に脅かされている時代ではあるけれど
生きる甲斐というか意味というか
生き方を選べないという状況こそが
人間の尊厳ちゅーものを踏み躙ることだと思うんだいね(群馬弁)
ところでさ
活男君も悠太郎も死亡フラグ立ちまくりだったから
却って無事な気がする。
希子ちゃんが言う様に
戦死公報は「間違い」の可能性大。
↑これぞバレバレの法則(仮)
まだ若い柿の葉の代わりに
屈原の故事になぞらえて「縁起を担いで」もらえた
泰介君の方が心配かも!?
…あ、でも、ハナちゃんとの恋話がまだだから大丈夫か…
↑勝手に決めている
泰介くんを見送るシーン
変にドラマチックに盛り上げず
割と淡々と描いていたところは良かったと思う。
で、その後
畑仕事へと出かけていく、め以子。
ひじゅにも猫が死んだ直後に
庭に絹サヤを採りに出たのを思い出した。
場合も状況も全く違うけど(^^;)
家庭菜園は父の趣味だけど汚れず収穫できるものは私担当で
当時は絹サヤ採りが毎日の習慣になっていた。
精神的打撃を和らげるというか誤魔化すというか
とにかく「日常」に戻る手段が欲しかった。
単純に身体を動かすことで心の負担を減らそう
という意識もあったかも。
め以子もそんなだったのかな…って気がする。
和枝さん達への手前もあったかもしれないけどさ。
でも、泣きに行ったわけじゃなく
淡々と黙々と仕事していたよね。
「思ったより、しっかりしとるし」
和枝さん、すっかり良い人になっちゃってるな(笑)
実際には、しっかりしてるってわけでもないんだけどね。
で
そうして畑仕事をして帰ってくれば
今度は次男戦死の知らせ。
水死した屈原の話の後で
海軍の活男君の死が語られるなんて
縁起の悪い話になっちゃってんじゃん>ぉ
それにしても
希子ちゃんに電話しちゃうのも分かる気がするな。
だって、自分一人じゃどうしようもないから
誰かに頼りたいと思う。
間違いだと言ってもらいたいと思う。
本当は間違いである可能性の方が低いと分かっているけど
嘘でも間違いと言ってもらいたいと思う。
またまた話はそれるけど
『ザ・クレーター』(手塚治虫)の中に
息子の戦死を知らされた母親が
やはり「しっかり」と、その知らせを受け取って
知らせた係の人が「気丈な奥さんだ」と感心するんだけど
彼が帰った後でその母親はトイレの中で号泣する―
というエピがあった。
手塚治虫って
重い内容や心情をさり気な~く表現するのが上手いなあと思うんだけど
まあ、それはともかく
そうした女性ならでは、みたいな反応の仕方って
あると思うんだよね。
ましてや、母親のね。
どんな立場や関係性でも悲しいものは悲しいけど
母親であること…というのは独特のものがあると思う。
まあ、ひじゅには母親経験がないので
勝手に理想化しているだけかもしれんが(^^;)
ラストは
一人食事をする、め以子の図ぅ―
これは何も、め以子が食べ物のことしか頭にないアホだからじゃない。
泰介君に屈原の故事について話すシーンではアホが強調されてたけど(笑)
↑ここのアホぶりは
賢い息子と学のない母親…という図ぅなんだと思うんだけど
さすがにデカくて若々しい姿がちょっぴり興を削いでいたのは否めない
でも、若いオノマチには老いの演技ができないという理由で
『カーネ』最後の一ヶ月を違う役者で描いたNHKだから
『ごち』では代えないだけマシと敢えて判断してあげる(上目線)
ちゅーても、オノマチは今のめ以子の年齢くらいなら
姿勢や動作だけで簡単に表現できていたけどね(オノマチ贔屓)
ここで、め以子が
茶粥をズルズルと啜り漬物をバリバリと齧るのは
まさに「家族の音」だから。
和枝さんは
「女は一人でご飯食べられる様にならんと」
って言っていたけど
それは、こんな風に、いつか一人きりになってしまうから…
というのを示唆していたのかもしれない。
今、その言葉通りに一人きりで食事しながら
それでも「家族の音」をたてていることに
何とも言えない気分になるなあ…
たった一枚焼け残った写真が
「家族写真」ってところは少々アザトイ気がしなくもないけど
まあ、ここは分かりやすくするための算段ってことで(笑)
ところでさ
屈原の故事なんて知らなかった無知ひじゅになので
出来上がった寿司を見て
「笹団子みたい」
って思っちゃったよ(^^;)
詩人であり政治家でもあった屈原が陰謀によって国を追われ
川に身を投げたのが5月5日。
そこから中国では5月5日が
病気や災厄を避ける宮中行事@端午の節句となり
ちまきが作って配るという習わしが生まれたのだとか―
つーか
日本の場合は端午の節句といえば柏餅!
というのも、ひじゅにの思い込みで
関東では確かに柏餅が主流だけど
関西では、ちまきらしい。
↑これもトリビア?
しかも
ちまき=中華ちまき
しか知らんかった。
↑これは単なるアホ
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

中華ちまき

厄介な家族写真ゲーム

柏餅手作りセット

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ドラマみたい>ぇ
でも、泰介君が
弟の死を知らないまま旅立てたことだけは
良かったと言える?
…ひじゅにですが何か?
「それを許さんかったこの時代を絶対に許さん」by泰介
活男君の場合は
夢を叶える道が軍隊しかなかった。
泰介君の場合は
全ての機会が塞がれてしまっていた。
命そのものが常に脅かされている時代ではあるけれど
生きる甲斐というか意味というか
生き方を選べないという状況こそが
人間の尊厳ちゅーものを踏み躙ることだと思うんだいね(群馬弁)
ところでさ
活男君も悠太郎も死亡フラグ立ちまくりだったから
却って無事な気がする。
希子ちゃんが言う様に
戦死公報は「間違い」の可能性大。
↑これぞバレバレの法則(仮)
まだ若い柿の葉の代わりに
屈原の故事になぞらえて「縁起を担いで」もらえた
泰介君の方が心配かも!?
…あ、でも、ハナちゃんとの恋話がまだだから大丈夫か…
↑勝手に決めている
泰介くんを見送るシーン
変にドラマチックに盛り上げず
割と淡々と描いていたところは良かったと思う。
で、その後
畑仕事へと出かけていく、め以子。
ひじゅにも猫が死んだ直後に
庭に絹サヤを採りに出たのを思い出した。
場合も状況も全く違うけど(^^;)
家庭菜園は父の趣味だけど汚れず収穫できるものは私担当で
当時は絹サヤ採りが毎日の習慣になっていた。
精神的打撃を和らげるというか誤魔化すというか
とにかく「日常」に戻る手段が欲しかった。
単純に身体を動かすことで心の負担を減らそう
という意識もあったかも。
め以子もそんなだったのかな…って気がする。
和枝さん達への手前もあったかもしれないけどさ。
でも、泣きに行ったわけじゃなく
淡々と黙々と仕事していたよね。
「思ったより、しっかりしとるし」
和枝さん、すっかり良い人になっちゃってるな(笑)
実際には、しっかりしてるってわけでもないんだけどね。
で
そうして畑仕事をして帰ってくれば
今度は次男戦死の知らせ。
水死した屈原の話の後で
海軍の活男君の死が語られるなんて
縁起の悪い話になっちゃってんじゃん>ぉ
それにしても
希子ちゃんに電話しちゃうのも分かる気がするな。
だって、自分一人じゃどうしようもないから
誰かに頼りたいと思う。
間違いだと言ってもらいたいと思う。
本当は間違いである可能性の方が低いと分かっているけど
嘘でも間違いと言ってもらいたいと思う。
またまた話はそれるけど
『ザ・クレーター』(手塚治虫)の中に
息子の戦死を知らされた母親が
やはり「しっかり」と、その知らせを受け取って
知らせた係の人が「気丈な奥さんだ」と感心するんだけど
彼が帰った後でその母親はトイレの中で号泣する―
というエピがあった。
手塚治虫って
重い内容や心情をさり気な~く表現するのが上手いなあと思うんだけど
まあ、それはともかく
そうした女性ならでは、みたいな反応の仕方って
あると思うんだよね。
ましてや、母親のね。
どんな立場や関係性でも悲しいものは悲しいけど
母親であること…というのは独特のものがあると思う。
まあ、ひじゅには母親経験がないので
勝手に理想化しているだけかもしれんが(^^;)
ラストは
一人食事をする、め以子の図ぅ―
これは何も、め以子が食べ物のことしか頭にないアホだからじゃない。
泰介君に屈原の故事について話すシーンではアホが強調されてたけど(笑)
↑ここのアホぶりは
賢い息子と学のない母親…という図ぅなんだと思うんだけど
さすがにデカくて若々しい姿がちょっぴり興を削いでいたのは否めない
でも、若いオノマチには老いの演技ができないという理由で
『カーネ』最後の一ヶ月を違う役者で描いたNHKだから
『ごち』では代えないだけマシと敢えて判断してあげる(上目線)
ちゅーても、オノマチは今のめ以子の年齢くらいなら
姿勢や動作だけで簡単に表現できていたけどね(オノマチ贔屓)
ここで、め以子が
茶粥をズルズルと啜り漬物をバリバリと齧るのは
まさに「家族の音」だから。
和枝さんは
「女は一人でご飯食べられる様にならんと」
って言っていたけど
それは、こんな風に、いつか一人きりになってしまうから…
というのを示唆していたのかもしれない。
今、その言葉通りに一人きりで食事しながら
それでも「家族の音」をたてていることに
何とも言えない気分になるなあ…
たった一枚焼け残った写真が
「家族写真」ってところは少々アザトイ気がしなくもないけど
まあ、ここは分かりやすくするための算段ってことで(笑)
ところでさ
屈原の故事なんて知らなかった無知ひじゅになので
出来上がった寿司を見て
「笹団子みたい」
って思っちゃったよ(^^;)
詩人であり政治家でもあった屈原が陰謀によって国を追われ
川に身を投げたのが5月5日。
そこから中国では5月5日が
病気や災厄を避ける宮中行事@端午の節句となり
ちまきが作って配るという習わしが生まれたのだとか―
つーか
日本の場合は端午の節句といえば柏餅!
というのも、ひじゅにの思い込みで
関東では確かに柏餅が主流だけど
関西では、ちまきらしい。
↑これもトリビア?
しかも
ちまき=中華ちまき
しか知らんかった。
↑これは単なるアホ
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