父と乳>『ごちそうさん』第108話 - 2014.02.08 Sat
父と乳と書いたからって
変なことを想像してはイケマセン>ぇ
いや、週タイトルの『乳の教え』はさ
「乳」と「父」をかけてるんだろうけど
「乳」の方はバレバレなのに対し
「父」はどう絡んでくるんだ!?
…と思ってたもんで
…ひじゅにですが何か?
「生きることは殺すことや」byめ以子
ひじゅにもよく思うんだよね。
肉とか切り身の魚なら想像力を封印して
最初からそーいうものだという意識で扱うけど
まだ生きてるエビとか貝とかには気が咎める。
例えばアサリ汁を作るため
熱湯の中にアサリを投入する際
ちょっと良心が痛む。
出来上がれば美味しく食べちゃうんだけどね。
ちゅーことで
バレバレの法則(仮)通り
源ちゃんを救ったのは牛乳だった。
その前に苺ジャムの件があったけど(笑)
良く言えば、子供時代のエピを生かしている
ってことなんだろうけど
ジャムそのものは確かに返してくれなかったけど
池ではなく川の中に入ってジャムではなく苺を拾ってくれたのは
倍返しと言えるんじゃ…
大阪に来てからは
和枝さんのイケズに落ち込む、め以子に苺をくれたし
あの川の一件が彼のその後の人生を決定してしまったかの様に
め以子のために探して届けてくれたものは数知れず…
危篤に陥った時まで物を要求される哀れの源ちゃん>ぇ
でもって、このジャムを先に持ち出してしまったがために
出征前のフラグだった苺おむすびへの「ごちそうさん」が
何だか軽く済んでしまった様な…
ま、いっか、源ちゃんが蘇生したんだから。
で
「父」の部分を無理クリくっつけるために
正蔵お祖父ちゃんの「償い」論が語られる。
これは、悠太郎が息子として
父の人生を理解しようとして辿り着いた結論。
それを、まんま言っちゃうことや
「始末」に結び付けることは
源ちゃんの状況や牛乳に直接関係ない気もするんだけど
ま、そこは大目に見てあげよう>何様
ま、朝鮮人参のエピや
それ以前の付き合いの描写からして
源ちゃんにとって正蔵お祖父ちゃんは「父」でもあったっちゅーことで。
で
命を犠牲にしたわけではい食べ物ということで
牛乳を差し出す、め以子。
牛乳自体は生きてはいないものな。
それを絞り出すために牛を殺す必要もない。
寧ろそれは母牛が子供を生かすために体内で作り出すもの。
人間もまた、子供のために乳を出す。
“お母ちゃん”を象徴するものでもあり
ここで登場させるのに非常に良いアイテムだと思うよ。
でも、そこのシーンが
非常にアッサリと終わってしまうところが
まさに『ごちそうさん』風味?
まあ、源ちゃんは
食べられないというだけで
生きる気力がなかったわけじゃないもんな。
夢が「千人のお姉ちゃんと付き合うこと」ちゅーのは
半分はギャグだと思うけど>半分は本気
でも、ここで壮大な夢が語られちゃったりなんかしたら
却ってシラケるかもしれない。
ここでちょっと拍子抜けしちゃうことで
却って泰介君を真に励ますことになったのかもしれない。
「あんな風に育ててきてもろて死んだ様に生きてたらバチ当る」by泰介
食べることと食べさせることしか取り柄がない、め以子だけど
その「食」には命がかかっているだけに相当の覚悟で臨んでいる。
そのおかげで生きている自分は命を軽んじてはいけない…
っちゅーことでせうか?
まさに“お母ちゃん”だよね。
その大地の様な“お母ちゃん”ぶりを
め以子にはもっと
どっしりとした強さをもって演じてほしかった>また言っちゃった
「歌はもうええで」by泰介
“お母ちゃん”め以子に対するのとは逆に
“お父ちゃん”悠太郎にはすげない反応(笑)
正蔵お祖父ちゃんのことよりも
悠太郎自身の「父親」ぶりが強調された週ではあったと思う。
それまで子供達に関わるシーンが少ない印象があったので
それを悠太郎自身に言わせ
泰介君のミットを修繕したり
歌ったり叫んだりといつにないハイテンションで見送ったり
活男君のことにしても「ホッとします」と肯定したり
「乳」にかかる「父」は、やっぱ悠太郎のことだったのかもね。
だから、この軽い扱い(笑)は『ごちそうさん』流の軽いオチ。
オチといえば、
亜貴子さんにも再婚していたというオチを付けていた。
今回の彼女は、東京編に登場した時の感じ良い女性に戻っていた。
だったら、あの浮気エピはなかった方が良かったんじゃ…
と今更ながら思ってしまった。
どの道、め以子がひとりでカッカしてたのは同じなんだから
亜貴子さんが自分の家に悠太郎を誘ったり
悠太郎が彼女を抱きしめたり
…なんてイカニモ浮気なエピはいらなかったかも?
ま、そこは好みの問題もあるし一概には言えないけど(^^;)
それより竹筋は取り入れない方向に行きそうだなあ…
竹元さんのデザインは馬介&室井の様に
「無駄」や「贅沢」の素晴らしさを追求しているみたいで
そーいう意味ではドラマ的には“正義”。
でも、悠太郎の“正義”は、また別なところにあるものだよね。
ただ、そういう見方をすると
め以子の「食」も本来は竹元寄りな気がするから
それと悠太郎とのバランスはどうするのかな?
「無駄」にかけて「始末」を取る?
…そこまでは考え過ぎ?
サラリと軽く解決するのが『ごちそうさん』流?(笑)
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

むかしの牛乳

大大阪絵はがき集

あすかルビーのいちごジャム

変なことを想像してはイケマセン>ぇ
いや、週タイトルの『乳の教え』はさ
「乳」と「父」をかけてるんだろうけど
「乳」の方はバレバレなのに対し
「父」はどう絡んでくるんだ!?
…と思ってたもんで
…ひじゅにですが何か?
「生きることは殺すことや」byめ以子
ひじゅにもよく思うんだよね。
肉とか切り身の魚なら想像力を封印して
最初からそーいうものだという意識で扱うけど
まだ生きてるエビとか貝とかには気が咎める。
例えばアサリ汁を作るため
熱湯の中にアサリを投入する際
ちょっと良心が痛む。
出来上がれば美味しく食べちゃうんだけどね。
ちゅーことで
バレバレの法則(仮)通り
源ちゃんを救ったのは牛乳だった。
その前に苺ジャムの件があったけど(笑)
良く言えば、子供時代のエピを生かしている
ってことなんだろうけど
ジャムそのものは確かに返してくれなかったけど
池ではなく川の中に入ってジャムではなく苺を拾ってくれたのは
倍返しと言えるんじゃ…
大阪に来てからは
和枝さんのイケズに落ち込む、め以子に苺をくれたし
あの川の一件が彼のその後の人生を決定してしまったかの様に
め以子のために探して届けてくれたものは数知れず…
危篤に陥った時まで物を要求される哀れの源ちゃん>ぇ
でもって、このジャムを先に持ち出してしまったがために
出征前のフラグだった苺おむすびへの「ごちそうさん」が
何だか軽く済んでしまった様な…
ま、いっか、源ちゃんが蘇生したんだから。
で
「父」の部分を無理クリくっつけるために
正蔵お祖父ちゃんの「償い」論が語られる。
これは、悠太郎が息子として
父の人生を理解しようとして辿り着いた結論。
それを、まんま言っちゃうことや
「始末」に結び付けることは
源ちゃんの状況や牛乳に直接関係ない気もするんだけど
ま、そこは大目に見てあげよう>何様
ま、朝鮮人参のエピや
それ以前の付き合いの描写からして
源ちゃんにとって正蔵お祖父ちゃんは「父」でもあったっちゅーことで。
で
命を犠牲にしたわけではい食べ物ということで
牛乳を差し出す、め以子。
牛乳自体は生きてはいないものな。
それを絞り出すために牛を殺す必要もない。
寧ろそれは母牛が子供を生かすために体内で作り出すもの。
人間もまた、子供のために乳を出す。
“お母ちゃん”を象徴するものでもあり
ここで登場させるのに非常に良いアイテムだと思うよ。
でも、そこのシーンが
非常にアッサリと終わってしまうところが
まさに『ごちそうさん』風味?
まあ、源ちゃんは
食べられないというだけで
生きる気力がなかったわけじゃないもんな。
夢が「千人のお姉ちゃんと付き合うこと」ちゅーのは
半分はギャグだと思うけど>半分は本気
でも、ここで壮大な夢が語られちゃったりなんかしたら
却ってシラケるかもしれない。
ここでちょっと拍子抜けしちゃうことで
却って泰介君を真に励ますことになったのかもしれない。
「あんな風に育ててきてもろて死んだ様に生きてたらバチ当る」by泰介
食べることと食べさせることしか取り柄がない、め以子だけど
その「食」には命がかかっているだけに相当の覚悟で臨んでいる。
そのおかげで生きている自分は命を軽んじてはいけない…
っちゅーことでせうか?
まさに“お母ちゃん”だよね。
その大地の様な“お母ちゃん”ぶりを
め以子にはもっと
どっしりとした強さをもって演じてほしかった>また言っちゃった
「歌はもうええで」by泰介
“お母ちゃん”め以子に対するのとは逆に
“お父ちゃん”悠太郎にはすげない反応(笑)
正蔵お祖父ちゃんのことよりも
悠太郎自身の「父親」ぶりが強調された週ではあったと思う。
それまで子供達に関わるシーンが少ない印象があったので
それを悠太郎自身に言わせ
泰介君のミットを修繕したり
歌ったり叫んだりといつにないハイテンションで見送ったり
活男君のことにしても「ホッとします」と肯定したり
「乳」にかかる「父」は、やっぱ悠太郎のことだったのかもね。
だから、この軽い扱い(笑)は『ごちそうさん』流の軽いオチ。
オチといえば、
亜貴子さんにも再婚していたというオチを付けていた。
今回の彼女は、東京編に登場した時の感じ良い女性に戻っていた。
だったら、あの浮気エピはなかった方が良かったんじゃ…
と今更ながら思ってしまった。
どの道、め以子がひとりでカッカしてたのは同じなんだから
亜貴子さんが自分の家に悠太郎を誘ったり
悠太郎が彼女を抱きしめたり
…なんてイカニモ浮気なエピはいらなかったかも?
ま、そこは好みの問題もあるし一概には言えないけど(^^;)
それより竹筋は取り入れない方向に行きそうだなあ…
竹元さんのデザインは馬介&室井の様に
「無駄」や「贅沢」の素晴らしさを追求しているみたいで
そーいう意味ではドラマ的には“正義”。
でも、悠太郎の“正義”は、また別なところにあるものだよね。
ただ、そういう見方をすると
め以子の「食」も本来は竹元寄りな気がするから
それと悠太郎とのバランスはどうするのかな?
「無駄」にかけて「始末」を取る?
…そこまでは考え過ぎ?
サラリと軽く解決するのが『ごちそうさん』流?(笑)
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

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