新米>『ごちそうさん』第72話 - 2013.12.21 Sat
最後は納豆で締めくくるかと思ったら
新米か
まあ、おむすびがキーアイテムだからな
ももももしや
め以子も悠太郎も
人間的にも社会的にも夫婦としても
まだまだ新米!
というシャレか?>ぇ
…ひじゅにですが何か?
「普通で良いです」by悠太郎
↑悠太郎のために精一杯のことをしてやりたい、め以子が
「普通」というテーマで考えに考えて辿り着いたのが
炊き立ての新米
ちゅーところは、日本人として究極の答って感じ?
今週出てきた
さんまも合うし
味噌汁も合うし
納豆も合うし
塩だけでも美味しいってとこに
「あなたはそのままでいて下さい」
という愛君@『純愛』的台詞が合うし。
薄汚れ憔悴した様子で帰宅した悠太郎の図ぅ―
というのが昨日のラストシーン。
め以子の家族は無事だったと手紙にはあったものの
詳細は直接…みたいなこと書いてあったから
重い内容も含まれる?と思っていたら
卯野家の人々は自らも被災者なのに炊き出しを行っているとか。
それこそ娘に電報を打つ間も惜しむ父親。
その娘のオメデタを知らされて
西門家の食費の負担を心配し謝る母親。
重いどころか明るく力強い知らせ。
何も卯野家が特別にパワフルというわけではなくて
同じ被災者でも状況は様々だから行えることも様々なだけで
それぞれが自分に出来ることを頑張っている、ということなのだと思う。
谷川さんの様に自分のことでイッパイイッパイな人も勿論いるだろうけど
そのイッパイイッパイなところで必死に生きているということで
やはり他の人を間接的に助けていると思う。
明るい知らせを携えて元気に帰ってきた悠太郎―
でも
「やはり家はええですね」の後には
「屋根があって布団があってご飯が出てきて」と続く。
夜中にはうなされる。
↑まあ、これは非常にワカリヤスイ
直接か間接か…と興味を持っていた震災描写は
ヒロインめ以子がずっと大阪に留まっていたので
あくまでも見聞きしてきた人の説明&様子のみ。
あ、勿論
谷川さん達、大阪に避難してきた人達のエピもあるけど
それでもやはり“そのもの”の描写は無し。
まあ、ヒロインめ以子はずっと大阪にいたわけだし
あくまでも、こちら側からの震災…という意味で
この方がリアルなのかもな。
重要なのは
こうした出来事の後も生きていく人々のこと。
震災に遭った人も
遠くにいて遭わずに済んだ人も
大きな被害を受けた人も
それほどでなく済んだ人も
とにかく今、生きている人が
どう生きていくべきかということ
…なのだろうね。
室井さんの「鍋底大根」の例えは
感動した視聴者も、しっくり来ない視聴者も、色々いた様子。
ひじゅにはというと
「ふ~ん、そういう解釈の仕方もあったか」
って感じかな。
感動はしなかったけど「へっ」とも思わなかったっていうか(笑)
東日本大震災直後の「自粛」ムードを思い出す。
これは全く個人的な考えなんだけども
亡くなった人や遺族の気持ちを考えると
彼らと直接関係のない人達も“喪に服す”時期はあって良い。
でも、ずっとそのままではいられないよね。
復興していかなきゃならないんだからさ。
かといって、無関係だからと切り捨て忘れ去るわけにはいかない。
復興していくべきなんだからさ。
地面に零れてしまった仲間達のダシを吸い込んで
全力で美味しくならなければならない―
という室井さんの「鍋底大根」論は
そこのとこのベストバランスってことだと思った。
で、結局
人は自分にできることしかできないんだし
逆に言えば、自分にできることならできるわけで
室井さんにとっては、書くこと―
悠太郎にとっては「この生活を守っていくこと」―
を精一杯やっていくってことなんだろう。
室井さんの方は震災そのものを訴える作品かと思いきや
手掛けているのは童話だし
悠太郎となると、自分と自分の家族のことなんだけど
だからこそ…なのかもしれない。
同時に
童話の形でも多くのメッセージが込められた作品かもしれないし
悠太郎の方は都市開発に生かせるということで直接貢献することになるのだろうけど。
そうやって社会に関わっていくのが夫@悠太郎で
妻@め以子は彼を支え、かつ示唆も与えていく
…という形?
それにしても竹元さんってば
悠太郎に物凄く肩入れしているよね。
開明軒の「無骨極まりない」階段に惚れたのか?
焼き氷効果か?
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

☆朝ドラ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆

やっくんち
米

土鍋

都市再生

新米か
まあ、おむすびがキーアイテムだからな
ももももしや
め以子も悠太郎も
人間的にも社会的にも夫婦としても
まだまだ新米!
というシャレか?>ぇ
…ひじゅにですが何か?
「普通で良いです」by悠太郎
↑悠太郎のために精一杯のことをしてやりたい、め以子が
「普通」というテーマで考えに考えて辿り着いたのが
炊き立ての新米
ちゅーところは、日本人として究極の答って感じ?
今週出てきた
さんまも合うし
味噌汁も合うし
納豆も合うし
塩だけでも美味しいってとこに
「あなたはそのままでいて下さい」
という愛君@『純愛』的台詞が合うし。
薄汚れ憔悴した様子で帰宅した悠太郎の図ぅ―
というのが昨日のラストシーン。
め以子の家族は無事だったと手紙にはあったものの
詳細は直接…みたいなこと書いてあったから
重い内容も含まれる?と思っていたら
卯野家の人々は自らも被災者なのに炊き出しを行っているとか。
それこそ娘に電報を打つ間も惜しむ父親。
その娘のオメデタを知らされて
西門家の食費の負担を心配し謝る母親。
重いどころか明るく力強い知らせ。
何も卯野家が特別にパワフルというわけではなくて
同じ被災者でも状況は様々だから行えることも様々なだけで
それぞれが自分に出来ることを頑張っている、ということなのだと思う。
谷川さんの様に自分のことでイッパイイッパイな人も勿論いるだろうけど
そのイッパイイッパイなところで必死に生きているということで
やはり他の人を間接的に助けていると思う。
明るい知らせを携えて元気に帰ってきた悠太郎―
でも
「やはり家はええですね」の後には
「屋根があって布団があってご飯が出てきて」と続く。
夜中にはうなされる。
↑まあ、これは非常にワカリヤスイ
直接か間接か…と興味を持っていた震災描写は
ヒロインめ以子がずっと大阪に留まっていたので
あくまでも見聞きしてきた人の説明&様子のみ。
あ、勿論
谷川さん達、大阪に避難してきた人達のエピもあるけど
それでもやはり“そのもの”の描写は無し。
まあ、ヒロインめ以子はずっと大阪にいたわけだし
あくまでも、こちら側からの震災…という意味で
この方がリアルなのかもな。
重要なのは
こうした出来事の後も生きていく人々のこと。
震災に遭った人も
遠くにいて遭わずに済んだ人も
大きな被害を受けた人も
それほどでなく済んだ人も
とにかく今、生きている人が
どう生きていくべきかということ
…なのだろうね。
室井さんの「鍋底大根」の例えは
感動した視聴者も、しっくり来ない視聴者も、色々いた様子。
ひじゅにはというと
「ふ~ん、そういう解釈の仕方もあったか」
って感じかな。
感動はしなかったけど「へっ」とも思わなかったっていうか(笑)
東日本大震災直後の「自粛」ムードを思い出す。
これは全く個人的な考えなんだけども
亡くなった人や遺族の気持ちを考えると
彼らと直接関係のない人達も“喪に服す”時期はあって良い。
でも、ずっとそのままではいられないよね。
復興していかなきゃならないんだからさ。
かといって、無関係だからと切り捨て忘れ去るわけにはいかない。
復興していくべきなんだからさ。
地面に零れてしまった仲間達のダシを吸い込んで
全力で美味しくならなければならない―
という室井さんの「鍋底大根」論は
そこのとこのベストバランスってことだと思った。
で、結局
人は自分にできることしかできないんだし
逆に言えば、自分にできることならできるわけで
室井さんにとっては、書くこと―
悠太郎にとっては「この生活を守っていくこと」―
を精一杯やっていくってことなんだろう。
室井さんの方は震災そのものを訴える作品かと思いきや
手掛けているのは童話だし
悠太郎となると、自分と自分の家族のことなんだけど
だからこそ…なのかもしれない。
同時に
童話の形でも多くのメッセージが込められた作品かもしれないし
悠太郎の方は都市開発に生かせるということで直接貢献することになるのだろうけど。
そうやって社会に関わっていくのが夫@悠太郎で
妻@め以子は彼を支え、かつ示唆も与えていく
…という形?
それにしても竹元さんってば
悠太郎に物凄く肩入れしているよね。
開明軒の「無骨極まりない」階段に惚れたのか?
焼き氷効果か?
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

☆朝ドラ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆

やっくんち
米

土鍋

都市再生

スポンサーサイト