『八重の桜』第32話 - 2013.08.18 Sun
第32話『兄の見取り図』
「学ばねば勝てねえな」by八重
覚馬の家で迎えた最初の朝。
慌てて飛び起きれば着替えは枕元に綺麗に用意されているし
台所に行けば朝食は出来上がっているし
せめて兄つぁまの支度を手伝おうとすれば既に終わっているというし
こここれは気まずい…女としてはメチャ気まずいシチュエーション(^^;)
それだけ時栄が出来る女だってことなんだろうけど。
初登場時、咄嗟に銃を構えたりして好感度大だったものの
覚馬が牢にいる間もなかなかの献身ぶりではあったものの
やはり、うらの悲しい別れシーンが挟まれた後なので
どうしても素直な目で見つめることができない。
だから、彼女自身は良い人なんだよ!
ってことを強調しているのかとも思うけど
あんまり完璧っぽく描かれると余計に反発心が湧いてきたりして>こらこら
みねちゃんに対しても
一番複雑な思いを抱く相手である時栄に全て任せる覚馬は
デリカシーなさ過ぎ!という気もしちゃったけど…
まあ、実際は、それだけ時栄に信頼を置いているということなんだろうし
実際、それが功を奏したし
さすが覚馬!ってことなのかなあ…
みねちゃんのために、こづゆを作ったり
泣く彼女を抱きしめて謝ってくれたり
↑覚馬は謝ってないもんなあ
悪いことなどしていないから、ってことなんだろうけど
でも、仕方ないこととはいえ結果的にずっと放っておいたわけだし
今迄は母親に丸投げで今度は父親に…と片方とだけしか一緒にいられない
みねちゃんの心情を思って親として謝罪の言葉を出しても良い様な気もする
確かに時栄は良い人>少なくとも、この時点では
そんな時栄に心を開く、みねちゃんの図ぅ―
というのもドラマ的には纏まりが付くし感動どころなんだろう。
あまりにも簡単に治まり過ぎて拍子抜けな気がしなくもなくも…
だって母親とは死別したわけじゃないし
その後に入って来た継母ってわけじゃないし
つーか、単純に時栄の存在が母親との離別を引き起こしたわけだし…
なんて思ってしま合う私はヒネクレモノ?(笑)
そんな事態に自分なりの正義感で割って入ろうとしたり
戦争のPTSDに悩まされていたり
長州や薩摩の連中に憎悪を露わにしたり
…真っ直ぐだけど、その分単純な(?)八重に
覚馬が勧めるのは学問。
勧めるっていうか強制だけどね(^^;)
勿論、妹への信頼と期待の表れだろうけどね。
時栄には時栄ならではの
八重には八重ならではの
資質と役割を考えてのこと
と言うとカッコイイけど
見方によっては
女性に教育を…と新しい考えを持つ覚馬でさえ
昔ながらの男の視点は捨てきれてないって感じだよな。
時栄や、うらに関しては。
でも、これからの女性は…という全般的な見方と
今迄の女性らしからぬタイプの八重には
新しい思想を託したいという思いがあるのだろう。
「知恵が知識が一番の武器になることを、にしほど身を持って知る女はいねえ」
この言葉は実に良いと思った。
「会津を捨石にして作ったこの国は間違っている」
会津に敵対することで同じ側に立っていた
岩倉と木戸とか
薩摩と長州とか
根本では相容れない感じだし
確かに文明という点で一歩進んだことにはなるけど
そこから続く現代の日本の有様は決して褒められたものではないし
所詮、人間による人間の政府なんて完璧なわけはない。
…と
歴史にも疎く社会性も豊とは言えない私が言っても何の説得力もない(笑)
「あなたの前には薩摩も長州も関わりのない広くて豊かな世界が広がっているんですよ」
学問によって道を開き世界を広くする―
という考え方は素晴らしいと思う。
八重と同じく、戦争の痛手、会津への愛情の故に
苦しんでいる捨松にこう勧める新島襄。
まだ出逢ってもいない八重と襄が
既に同じ方向へ顔を向けている。
このシーンはそんな2人が>捨松には悪いけれども(笑)
物理的距離をも超えて語り合っているかの様に見えた。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆

やっくんち
七五三太(しめた)>大吟醸純米

大山捨松

こづゆ>お料理セット

「学ばねば勝てねえな」by八重
覚馬の家で迎えた最初の朝。
慌てて飛び起きれば着替えは枕元に綺麗に用意されているし
台所に行けば朝食は出来上がっているし
せめて兄つぁまの支度を手伝おうとすれば既に終わっているというし
こここれは気まずい…女としてはメチャ気まずいシチュエーション(^^;)
それだけ時栄が出来る女だってことなんだろうけど。
初登場時、咄嗟に銃を構えたりして好感度大だったものの
覚馬が牢にいる間もなかなかの献身ぶりではあったものの
やはり、うらの悲しい別れシーンが挟まれた後なので
どうしても素直な目で見つめることができない。
だから、彼女自身は良い人なんだよ!
ってことを強調しているのかとも思うけど
あんまり完璧っぽく描かれると余計に反発心が湧いてきたりして>こらこら
みねちゃんに対しても
一番複雑な思いを抱く相手である時栄に全て任せる覚馬は
デリカシーなさ過ぎ!という気もしちゃったけど…
まあ、実際は、それだけ時栄に信頼を置いているということなんだろうし
実際、それが功を奏したし
さすが覚馬!ってことなのかなあ…
みねちゃんのために、こづゆを作ったり
泣く彼女を抱きしめて謝ってくれたり
↑覚馬は謝ってないもんなあ
悪いことなどしていないから、ってことなんだろうけど
でも、仕方ないこととはいえ結果的にずっと放っておいたわけだし
今迄は母親に丸投げで今度は父親に…と片方とだけしか一緒にいられない
みねちゃんの心情を思って親として謝罪の言葉を出しても良い様な気もする
確かに時栄は良い人>少なくとも、この時点では
そんな時栄に心を開く、みねちゃんの図ぅ―
というのもドラマ的には纏まりが付くし感動どころなんだろう。
あまりにも簡単に治まり過ぎて拍子抜けな気がしなくもなくも…
だって母親とは死別したわけじゃないし
その後に入って来た継母ってわけじゃないし
つーか、単純に時栄の存在が母親との離別を引き起こしたわけだし…
なんて思ってしま合う私はヒネクレモノ?(笑)
そんな事態に自分なりの正義感で割って入ろうとしたり
戦争のPTSDに悩まされていたり
長州や薩摩の連中に憎悪を露わにしたり
…真っ直ぐだけど、その分単純な(?)八重に
覚馬が勧めるのは学問。
勧めるっていうか強制だけどね(^^;)
勿論、妹への信頼と期待の表れだろうけどね。
時栄には時栄ならではの
八重には八重ならではの
資質と役割を考えてのこと
と言うとカッコイイけど
見方によっては
女性に教育を…と新しい考えを持つ覚馬でさえ
昔ながらの男の視点は捨てきれてないって感じだよな。
時栄や、うらに関しては。
でも、これからの女性は…という全般的な見方と
今迄の女性らしからぬタイプの八重には
新しい思想を託したいという思いがあるのだろう。
「知恵が知識が一番の武器になることを、にしほど身を持って知る女はいねえ」
この言葉は実に良いと思った。
「会津を捨石にして作ったこの国は間違っている」
会津に敵対することで同じ側に立っていた
岩倉と木戸とか
薩摩と長州とか
根本では相容れない感じだし
確かに文明という点で一歩進んだことにはなるけど
そこから続く現代の日本の有様は決して褒められたものではないし
所詮、人間による人間の政府なんて完璧なわけはない。
…と
歴史にも疎く社会性も豊とは言えない私が言っても何の説得力もない(笑)
「あなたの前には薩摩も長州も関わりのない広くて豊かな世界が広がっているんですよ」
学問によって道を開き世界を広くする―
という考え方は素晴らしいと思う。
八重と同じく、戦争の痛手、会津への愛情の故に
苦しんでいる捨松にこう勧める新島襄。
まだ出逢ってもいない八重と襄が
既に同じ方向へ顔を向けている。
このシーンはそんな2人が>捨松には悪いけれども(笑)
物理的距離をも超えて語り合っているかの様に見えた。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

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やっくんち
七五三太(しめた)>大吟醸純米

大山捨松

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