『八重の桜』第26話 - 2013.07.15 Mon
第26話『八重、決戦のとき』
「死ぬのは一人たりとも敵を倒してからになさいませ」
by竹子
あ~戦争は嫌だ!
戦争だけは…
と、ロック@『火の鳥・未来編』(手塚治虫)の如く叫びたくなった(^^;)
入城を急かされる人々。
これもまた、いつもの如く遅かったので>ぉ
間に合わなかった者も多かった様子。
そして入城できた者もできなかった者も
それぞれ大きな選択が迫られる。
城の中から戦う八重。
城の外で戦おうとする竹子。
↑この2人はやはり(この戦においては)表裏一体に描いているみたいだね。
他の人が全て自刀を選ぶとしても
この2人だけは最後の最後まで戦い続けるだろう。
城の中で自ら死を選ぶ西郷家の人々。
城の外を逃げる日向家の人々。
↑死を選ぶ人々と生き延びようと頑張る人々
「これから何するんですか?」
西郷家の自刃シーンで、まだ幼い娘が無邪気に尋ねるところ
まあ、悲劇性を盛り上げるためによくある手かもしれないけど
同じく手塚治虫の『MW』の中に一家心中のシーンがあって
手塚は変に感傷的に盛り上げることをせず残酷なものもサラリと描いちゃう人なので
これもまた、チラリ程度に出てくるだけの小さなエピなんだけど
「天使になれるかもしれないぞ」
死ぬ前の幼い兄が妹に言うところがあって、ここは物凄く胸が痛かった。
それを思い出させる西郷家のシーンだったな。
↑だから何?って感じだけど(笑)
重なるものを感じると感動も深まるので。
それがないと、何ていうか
綺麗過ぎる描写の様な気もしたもので(^^;)
少し上の娘が死にきれず
侵入してきた板垣退助に介錯を頼むシーンは
(実際には板垣サンじゃなかったらしいけど)
二本松少年隊の時もそうだった様に
敵側も“悪”ではなく情を持つ“人間”であることを強調?
同じく起こる悲劇のもう一つは白虎隊。
竹子さんの台詞の通り、一人でも敵を倒して散る…
という覚悟を皆が持っていたと思うのに
実際には事前に自刃してしまう人が続々出てくるのは、どうなのかな…と思ってしまう。
勿論、西郷家の場合は幼子や年寄りばかりで戦う力もなく
足手まといになるのを避けて誇り高く死を選んだのだろうけど。
加えて、頼母の立場が微妙なのを、ああした形で立て直すことも考えたのかな?
それは穿ち過ぎ?
で、白虎隊の方は
実践経験のない若者達ばかりで
大人達がいない状況で
恐らくは寒さや空腹感で心も弱っていたのかもしれない中
いわゆる集団心理みたいなものもあって
ああいう結論になってしまったのかな…と思う。
悌次郎の最後の描かれ方は、まさにそんな様子だよね。
何かもう本当に、上層部のやり方が
裏目裏目に出てしまうというか
決断が遅いというか
↑多分、後者>ぉ
でもって、それが
土佐と内蔵助の最後のシーンに繋がる。
もっと早くに切腹しておけば…と
今迄の狂いに狂い続けた決断を悔いるところは良かった。
良かったっていうか…悔しいことなんだけどね…でも、認めたのは良かった。
白虎隊や西郷家や…諸々の人達のために、せめてもの…という気がした。
まあ、今更遅すぎるという見方もあるけど(^^;)
「徳川のためでも幕府のためでもなく会津の戦をしたのだ」
「生まれ変わる時はまた会津で」
という台詞にはジンとした。
そういう状況の中で
女のくせにと尚も言われ続けながら果敢に戦う八重はカッコイイ。
腕前は勿論、指揮の取り方も素晴らしい。
「中は年寄りと子供ばっかりのはず」
という敵側の台詞にニヤリとできたし。
そして、女を捨てて髪を切る八重。
時尾に涙ながらに切ってもらう、というところが
またまたカッコイイ。
もう、悲惨なエピばかりなので
ここのところだけスカッとさせてくれ。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆

やっくんち
白虎隊

カメラが撮らえた会津戊辰戦争

中野姉妹大吟醸

「死ぬのは一人たりとも敵を倒してからになさいませ」
by竹子
あ~戦争は嫌だ!
戦争だけは…
と、ロック@『火の鳥・未来編』(手塚治虫)の如く叫びたくなった(^^;)
入城を急かされる人々。
これもまた、いつもの如く遅かったので>ぉ
間に合わなかった者も多かった様子。
そして入城できた者もできなかった者も
それぞれ大きな選択が迫られる。
城の中から戦う八重。
城の外で戦おうとする竹子。
↑この2人はやはり(この戦においては)表裏一体に描いているみたいだね。
他の人が全て自刀を選ぶとしても
この2人だけは最後の最後まで戦い続けるだろう。
城の中で自ら死を選ぶ西郷家の人々。
城の外を逃げる日向家の人々。
↑死を選ぶ人々と生き延びようと頑張る人々
「これから何するんですか?」
西郷家の自刃シーンで、まだ幼い娘が無邪気に尋ねるところ
まあ、悲劇性を盛り上げるためによくある手かもしれないけど
同じく手塚治虫の『MW』の中に一家心中のシーンがあって
手塚は変に感傷的に盛り上げることをせず残酷なものもサラリと描いちゃう人なので
これもまた、チラリ程度に出てくるだけの小さなエピなんだけど
「天使になれるかもしれないぞ」
死ぬ前の幼い兄が妹に言うところがあって、ここは物凄く胸が痛かった。
それを思い出させる西郷家のシーンだったな。
↑だから何?って感じだけど(笑)
重なるものを感じると感動も深まるので。
それがないと、何ていうか
綺麗過ぎる描写の様な気もしたもので(^^;)
少し上の娘が死にきれず
侵入してきた板垣退助に介錯を頼むシーンは
(実際には板垣サンじゃなかったらしいけど)
二本松少年隊の時もそうだった様に
敵側も“悪”ではなく情を持つ“人間”であることを強調?
同じく起こる悲劇のもう一つは白虎隊。
竹子さんの台詞の通り、一人でも敵を倒して散る…
という覚悟を皆が持っていたと思うのに
実際には事前に自刃してしまう人が続々出てくるのは、どうなのかな…と思ってしまう。
勿論、西郷家の場合は幼子や年寄りばかりで戦う力もなく
足手まといになるのを避けて誇り高く死を選んだのだろうけど。
加えて、頼母の立場が微妙なのを、ああした形で立て直すことも考えたのかな?
それは穿ち過ぎ?
で、白虎隊の方は
実践経験のない若者達ばかりで
大人達がいない状況で
恐らくは寒さや空腹感で心も弱っていたのかもしれない中
いわゆる集団心理みたいなものもあって
ああいう結論になってしまったのかな…と思う。
悌次郎の最後の描かれ方は、まさにそんな様子だよね。
何かもう本当に、上層部のやり方が
裏目裏目に出てしまうというか
決断が遅いというか
↑多分、後者>ぉ
でもって、それが
土佐と内蔵助の最後のシーンに繋がる。
もっと早くに切腹しておけば…と
今迄の狂いに狂い続けた決断を悔いるところは良かった。
良かったっていうか…悔しいことなんだけどね…でも、認めたのは良かった。
白虎隊や西郷家や…諸々の人達のために、せめてもの…という気がした。
まあ、今更遅すぎるという見方もあるけど(^^;)
「徳川のためでも幕府のためでもなく会津の戦をしたのだ」
「生まれ変わる時はまた会津で」
という台詞にはジンとした。
そういう状況の中で
女のくせにと尚も言われ続けながら果敢に戦う八重はカッコイイ。
腕前は勿論、指揮の取り方も素晴らしい。
「中は年寄りと子供ばっかりのはず」
という敵側の台詞にニヤリとできたし。
そして、女を捨てて髪を切る八重。
時尾に涙ながらに切ってもらう、というところが
またまたカッコイイ。
もう、悲惨なエピばかりなので
ここのところだけスカッとさせてくれ。
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