本番>『カーネーション』第145話 - 2012.03.24 Sat
吉沢加奈子さんを昨日は「古沢」と書いてしまったので直しておきました。
観終わってすぐ書けば良いのだろうけど、そうもいかず…
名前に関しては間違えてはイケナイと公式HPで確認するのだけど
昨日は逆に、そこで見間違えてしまいましたわ。
耳も目も頭も悪い…これも末期でせうか?
…ひじゅにですが何か?
「ファッションは…自信と自分を表現する勇気を与えるものです」byサンローラン
↑この「…」は中略の意味でサンローランが口籠ったわけではない(笑)
こんなベタな注釈を付けないと伝わらないのではないか…
という不安が浮かぶ今日この頃。
今日はまずね、
奈津と再会できたけれども肝心の再会シーンを出さなかった。
ここが良かった。
院長先生とハーブティーの存在価値も示されたし(笑)
それから、
サンローランが引退表明し
糸子が一人、お酒を飲むシーンが入ったのも良かった。
かつて糸子が「若造」と呼んでたサンローラン。
彼のデザインが理解できず、悩んだこともあった。
いつも参考にしていたディオールは先輩であり心の師でもあるのだろうけど
サンローランはライバルであり心の“戦友”でもあったのだろうね。
そんな糸子の心情が伺えると共に
彼の引退=糸子にも終焉が近づいている、ということをも示している様で
シミジミとしてしまう。
あと、ステージで花びらを撒くという演出は
実現できなかった糸子&奈津の紅白ドレスの代わりにも見えたし
戦争で心が麻痺していた糸子に子供達がくれた赤い花びらを連想さもした。
さて、いよいよ病院でのファッションショー開催。
またお叱りを受けちゃいそうだけれども
こういう展開を安易に肯定できない私がいます。
安易に「お涙頂戴」と切り捨てるつもりもないけどね。
でも、そういう風に見える余地はイッパイあると思うよ。
韓ドラの法則の一つに「難病」がある。
まあ、最近それほど韓ドラを観ていないのだけれども
以前に観て、こういう題材を扱っているものは多かった。
それぞれ素直に泣いた。
映画でも『八月のクリスマス』とか好きだったしな。
だからといって今日の『カーネーション』に泣けたかというと
全然だったので…
今日は感動した!
やはり凄いドラマだ!
とは言えませんスミマセン。
吉沢@中村優子さんの演技は今日も良かったと思うよ。
本番前に思わず涙がこみ上げてくる様も
舞台での輝く笑顔も。
本当に輝いて見えたもの。
美しいと思ったし。
肝心の洋服はイマイチと思ったけど>こらこら
末期ガンを連呼されている吉沢さんは
ドラマとはいえ、どうあっても助からないんだろう。
そんな彼女に、今の医療の限界を思い知らされ
それでも懸命に仕事に取り組んでいる総婦長さん。
ある意味、信念を曲げて、吉沢さんをモデルに勧め
ステージの上で満面の笑顔を浮かべる彼女を見つめる総婦長さん。
彼女視点では良い物語だったと思う。
そういう意味でも、総婦長さんが紹介の言葉を述べることになったのは
良い展開だったと言えるかも。
糸子の方は「服の力」の限界を認めていた。
逆に全面的に信じていて吉沢さんを励ましていたら―
ちょっと傲慢で自己中な印象になったかもしれない。
それこそ典型的ダメ朝ドラ・ヒロインになってたかも?
あるいは、信じてきたのに吉沢さんに出逢い始めて限界を感じ
悩みながら今日に辿り着き「力」を再確認する結果になる―
というのだったら、ベタだったかな(笑)
で、実際のドラマでは、そのどちらでもないってところに
『カーネーション』らしさを感じないでもない…
でも、じゃあ何なんだ?って気も(^^;)
医療でも洋服でも救えない吉沢さんは
それでも、それらの助けを得て
自分自身の力や優しさや愛や勇気や色々なものを引き出され
最終的には自分自身で輝くことができた―
という風に見えた。
つまり、糸子はきっかけを与えたに過ぎない。
貶しているのではなく、そういう位置付けの方が私は好きなので
一応は褒め視点なんだけど
でも、そこが感動的に描けていたかというと
何かイマイチ伝わってこなかった気がする。
そこが残念。
え?
そうじゃなくてこれは純粋な感動物語だって?
昨日の糸子の言葉がまだ引っかかっているのかもな。
玉枝さんに「毒」と言われた糸子…
でも、勘助君にそれが発揮された時は
明らかに糸子の行動を痛いものとして描いていた。
勘助君を誘い出した時点でハラハラした視聴者は少なくないはず。
だからって、玉枝さんの言葉にカタルシスは感じなかった。
糸子が哀れでさえあった>私だけ?
今回は、その「毒」とは違う気がする。
末期ガン連呼は本人が紹介状に書いたのだから…とか
それを受け入れた上で最後の命を燃やそうとしているのだから…とかいう
見方もあるだろうし、ひじゅに自身そう考える部分もある。
だけど、そうだとするとコレって「毒」じゃないってことになるし(笑)
覚悟していたからってハッキリ言葉に出しちゃうのもな…って気もするけど
そこのところを問う様なドラマの描き方ではなかったから
やっぱ「毒」として提示しているものではない様な気がするな。
ひじゅに自身はこのことよりも
死が身近になったお年寄りと若い末期ガン患者を同列に語ること。
年を取る=それだけの年月を生きてきた、ということで
悲しみや苦しみもあるけれど幸せな経験もしてきたってことだよね。
生涯ずっと不幸だったと言う人もいるかもしれないけど
それはまた今回とは別問題。
病気で若くして死ぬということは、
良いことであれ悪いことであれ多くはできないということ。
成し遂げる時間もないまま諦めるしかないということ。
末期ではなかったけど死を意識せざるを得ない病気&状況を
自分と親と友人とに経験したことがあるけど
あんな風な事を言われたら…怒らないまでも素直には受け止められないな。
まあ、小心者なので表面上はにこやかに聞くかもしれないけど(笑)
いつまでも拘るな?
でも、今日はその考えを土台にしたオチなわけでそ?
まあ、その様に
人により受け取り方も様々…という描き方なら良かったかもしれないけど
今回のエピ、“良かった良かった物語”になっちゃってね?
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

☆朝ドラ『ファイト』~『カーネ―ション』感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆

やっくんち
観終わってすぐ書けば良いのだろうけど、そうもいかず…
名前に関しては間違えてはイケナイと公式HPで確認するのだけど
昨日は逆に、そこで見間違えてしまいましたわ。
耳も目も頭も悪い…これも末期でせうか?
…ひじゅにですが何か?
「ファッションは…自信と自分を表現する勇気を与えるものです」byサンローラン
↑この「…」は中略の意味でサンローランが口籠ったわけではない(笑)
こんなベタな注釈を付けないと伝わらないのではないか…
という不安が浮かぶ今日この頃。
今日はまずね、
奈津と再会できたけれども肝心の再会シーンを出さなかった。
ここが良かった。
院長先生とハーブティーの存在価値も示されたし(笑)
それから、
サンローランが引退表明し
糸子が一人、お酒を飲むシーンが入ったのも良かった。
かつて糸子が「若造」と呼んでたサンローラン。
彼のデザインが理解できず、悩んだこともあった。
いつも参考にしていたディオールは先輩であり心の師でもあるのだろうけど
サンローランはライバルであり心の“戦友”でもあったのだろうね。
そんな糸子の心情が伺えると共に
彼の引退=糸子にも終焉が近づいている、ということをも示している様で
シミジミとしてしまう。
あと、ステージで花びらを撒くという演出は
実現できなかった糸子&奈津の紅白ドレスの代わりにも見えたし
戦争で心が麻痺していた糸子に子供達がくれた赤い花びらを連想さもした。
さて、いよいよ病院でのファッションショー開催。
またお叱りを受けちゃいそうだけれども
こういう展開を安易に肯定できない私がいます。
安易に「お涙頂戴」と切り捨てるつもりもないけどね。
でも、そういう風に見える余地はイッパイあると思うよ。
韓ドラの法則の一つに「難病」がある。
まあ、最近それほど韓ドラを観ていないのだけれども
以前に観て、こういう題材を扱っているものは多かった。
それぞれ素直に泣いた。
映画でも『八月のクリスマス』とか好きだったしな。
だからといって今日の『カーネーション』に泣けたかというと
全然だったので…
今日は感動した!
やはり凄いドラマだ!
とは言えませんスミマセン。
吉沢@中村優子さんの演技は今日も良かったと思うよ。
本番前に思わず涙がこみ上げてくる様も
舞台での輝く笑顔も。
本当に輝いて見えたもの。
美しいと思ったし。
肝心の洋服はイマイチと思ったけど>こらこら
末期ガンを連呼されている吉沢さんは
ドラマとはいえ、どうあっても助からないんだろう。
そんな彼女に、今の医療の限界を思い知らされ
それでも懸命に仕事に取り組んでいる総婦長さん。
ある意味、信念を曲げて、吉沢さんをモデルに勧め
ステージの上で満面の笑顔を浮かべる彼女を見つめる総婦長さん。
彼女視点では良い物語だったと思う。
そういう意味でも、総婦長さんが紹介の言葉を述べることになったのは
良い展開だったと言えるかも。
糸子の方は「服の力」の限界を認めていた。
逆に全面的に信じていて吉沢さんを励ましていたら―
ちょっと傲慢で自己中な印象になったかもしれない。
それこそ典型的ダメ朝ドラ・ヒロインになってたかも?
あるいは、信じてきたのに吉沢さんに出逢い始めて限界を感じ
悩みながら今日に辿り着き「力」を再確認する結果になる―
というのだったら、ベタだったかな(笑)
で、実際のドラマでは、そのどちらでもないってところに
『カーネーション』らしさを感じないでもない…
でも、じゃあ何なんだ?って気も(^^;)
医療でも洋服でも救えない吉沢さんは
それでも、それらの助けを得て
自分自身の力や優しさや愛や勇気や色々なものを引き出され
最終的には自分自身で輝くことができた―
という風に見えた。
つまり、糸子はきっかけを与えたに過ぎない。
貶しているのではなく、そういう位置付けの方が私は好きなので
一応は褒め視点なんだけど
でも、そこが感動的に描けていたかというと
何かイマイチ伝わってこなかった気がする。
そこが残念。
え?
そうじゃなくてこれは純粋な感動物語だって?
昨日の糸子の言葉がまだ引っかかっているのかもな。
玉枝さんに「毒」と言われた糸子…
でも、勘助君にそれが発揮された時は
明らかに糸子の行動を痛いものとして描いていた。
勘助君を誘い出した時点でハラハラした視聴者は少なくないはず。
だからって、玉枝さんの言葉にカタルシスは感じなかった。
糸子が哀れでさえあった>私だけ?
今回は、その「毒」とは違う気がする。
末期ガン連呼は本人が紹介状に書いたのだから…とか
それを受け入れた上で最後の命を燃やそうとしているのだから…とかいう
見方もあるだろうし、ひじゅに自身そう考える部分もある。
だけど、そうだとするとコレって「毒」じゃないってことになるし(笑)
覚悟していたからってハッキリ言葉に出しちゃうのもな…って気もするけど
そこのところを問う様なドラマの描き方ではなかったから
やっぱ「毒」として提示しているものではない様な気がするな。
ひじゅに自身はこのことよりも
死が身近になったお年寄りと若い末期ガン患者を同列に語ること。
年を取る=それだけの年月を生きてきた、ということで
悲しみや苦しみもあるけれど幸せな経験もしてきたってことだよね。
生涯ずっと不幸だったと言う人もいるかもしれないけど
それはまた今回とは別問題。
病気で若くして死ぬということは、
良いことであれ悪いことであれ多くはできないということ。
成し遂げる時間もないまま諦めるしかないということ。
末期ではなかったけど死を意識せざるを得ない病気&状況を
自分と親と友人とに経験したことがあるけど
あんな風な事を言われたら…怒らないまでも素直には受け止められないな。
まあ、小心者なので表面上はにこやかに聞くかもしれないけど(笑)
いつまでも拘るな?
でも、今日はその考えを土台にしたオチなわけでそ?
まあ、その様に
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今回のエピ、“良かった良かった物語”になっちゃってね?
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