S22年>おひさま第104話 - 2011.08.02 Tue
オマケの折りたたみミニうちわに惹かれて
滅多に飲まないペットボトルの麦茶を買った。
病院で活用してます(笑)
…ひじゅにですが何か?
「働く女性の模範だわ」
すっかり存在感薄くなった房子ちゃんに
話の前振りにと仏頂面の家族写真を見せる夕陽の陽子。
大晦日に、お祖母さまもカズさんも
良い年になると断言していた昭和22年。
ああしてシツコク繰り返されたら
「ああ、はいはい伏線ね」
と、ニッコリ笑って受け入れてやるのが正しい『おひさま』視聴者>そうか?
きっと、この年は陽子達にとって辛子の年だったのだろう。
『サンドイッチの年』という映画に出てきた泣かせる台詞―
人生はサンドイッチの様なもの
パンの様な普通の年が多いけれど
ハムの年もあれば辛子の年もある
辛くて涙が出てきても
噛み締めなくちゃいけないんだよ
え?前にも書いたことがあるって?
スミマセンスミマセン
ちゅーことで
松本駅で火事に遭った次は校長先生からリストラ勧告される陽子の図ぅ―
ああして教室で話せるものならば
ワザワザ丸庵を訪ねてくることなかったのに…
つまりは、陽子と夏子先生の“どちらか”というのは便宜上のもので
ターゲットは陽子一人!
ってのが校長の思惑?
松本駅火事という史実を盛り込み
陽子を大切に思う家族が大勢いることや
炊き出しをするほど、その家族は良い人揃いってことを
ドラマチックに表現したいってのが岡田君の思惑?
ついでに校長先生も
単純ヒールではなく悲しい過去を背負っている人で
炊き出しを自発的に手伝うほど根は良い人で
陽子達と同じ時代を生きてきた“仲間”でもある
ってことも付け加えてキャラに奥行きを加えてみました?
夕陽の陽子が彼が苦手だった理由として
口先だけの日和見主義で自分がないみたいなことを挙げていたけど
↑そこまで酷くは言ってなかったかも?(笑)
でも、校長自身の今日の言葉からすると
貧しい家の出身で苦労を知っているだけに
これからの子供達には貧しくても教育が受けられる様にしてやりたい
人生に必要な教育を十分に施してやりたい
…という至極真っ当な考えを持っている。
「女のくせに」ってのとは大分違う。
こりゃー反論しようがございませんな。
ただ、まあ、その言い方からすると
丸山先生は優秀な教師とは言い難い!
新しい教育制度において役に立たない!
という評価にも聞こえるな。
加えて、夏子先生の名前も出しながら、向こうには直接伝えないことで
夏子先生は「恵まれて」いないのだから失職したら相当大変だろう
そこんとこ、よ~く空気読めよ丸山先生!
と脅している様な気もするな。
こりゃー反発しようがございませんぜ。
極め付けは
「ご自分のお子さんより生徒達を優先できますか?」
生徒や父兄側からすれば、自分の子供を優先する様な教師は信用できない気がするけど
本当の本当に生徒達の方を優先できる教師が、どのくらい存在するのだろう?
↑ひじゅには結構こーいう面では人間不信(^^;)
混乱するばかりの陽子に追い討ちをかける様に
肺炎になる日向子ちゃん。
あ、その前の真知子の上記の台詞もちょっこし追い詰め台詞だよな(笑)
陽子が教師を続ける理由は
普通に考えれば…子供の頃からの夢だから
現実的に考えれば…家族を支える収入源だから
穿って考えれば…ワーキングマザーは時代の最先端だから>ぉぃ
一番目と思いたいけれど
このところ生徒達との交流や授業でのアレコレの描写が少なかったから
どうにも伝わってくるものがなかったよね。
廊下で英語の勉強(?)をしている生徒達が連続して映ったのも
単純に教育内容や興味の的が変化してきていることを示しているだけとも取れるけど
まるきり陽子と関係なく自発的に新しい教育に向けて身を延ばしている風でもあって
陽子が教師であることの意味も意義も薄れて見える。
二番目の理由ということになると
やはりどうしても「恵まれている」という点に行き着く。
この「恵まれている」という設定は
子供時代は新鮮であり興味深いものがあった。
女学生時代は真知子&育子のおかげで“普通さ”の方が目立った。
つーか、真知子&育子を輝かせる太陽の役割だったと言えるかな?
戦争中は、その太陽の役割がより強まり、脇の物語の方が主体になっていた。
それらに比べると平坦な陽子の人生は“一般人”の象徴であり代表であり
ある意味“希望”だと捉えることができた。
そして、ここに来て
「恵まれている」ことで却って苦境に立たされることになるとは
全体の流れからいうと意義深く面白い展開だと思うんだけど…
その「恵まれている」というのが、今はちょっこし変質してしまった気がする。
意図的なのか計算外なのか知らないけど
“普通”とか“一般”とかを超えて文字通り「恵まれている」様に見えて
応援したい気持ちがちょっこし萎えてしまう状態になっている感じ。
ま、それはそれで面白ければ良いことなんだけど
イマイチ面白味に欠けたし>私だけ?
でもって、物凄く単純に
陽子に教師を辞めさせ
夕陽の陽子に繋がる蕎麦屋にするための
大義名分っちゅーか
結論ありきの辻褄合わせっちゅーか
村上堂に日向子ちゃんを預かってもらうことを正当化するために
子供のいない子供好きの夫婦という後出しジャンケン的な御都合設定を持ち出したのと
同じくらいの軽~い言い訳に成り下がっている様な…
言っちゃいました>スミマセンスミマセン
加えて日向子ちゃんの肺炎も
それでどーせ陽子は看病のために学校を休むことになるんだろうし
教師を辞めるための状況作りに過ぎないって感じ。
そうであるなら無理に肺炎なんて大変な病気にしなくても良いのに…
カズさんも熱を出したばかりだし>はっ、それが日向子ちゃんに感染った?
病気を安易に取り上げるのも朝ドラ駄作の法則だって、
岡田君なら知ってそうなものなのに…
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

☆朝ドラ『ファイト』~『てっぱん』感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆

やっくんち
滅多に飲まないペットボトルの麦茶を買った。
病院で活用してます(笑)
…ひじゅにですが何か?
「働く女性の模範だわ」
すっかり存在感薄くなった房子ちゃんに
話の前振りにと仏頂面の家族写真を見せる夕陽の陽子。
大晦日に、お祖母さまもカズさんも
良い年になると断言していた昭和22年。
ああしてシツコク繰り返されたら
「ああ、はいはい伏線ね」
と、ニッコリ笑って受け入れてやるのが正しい『おひさま』視聴者>そうか?
きっと、この年は陽子達にとって辛子の年だったのだろう。
『サンドイッチの年』という映画に出てきた泣かせる台詞―
人生はサンドイッチの様なもの
パンの様な普通の年が多いけれど
ハムの年もあれば辛子の年もある
辛くて涙が出てきても
噛み締めなくちゃいけないんだよ
え?前にも書いたことがあるって?
スミマセンスミマセン
ちゅーことで
松本駅で火事に遭った次は校長先生からリストラ勧告される陽子の図ぅ―
ああして教室で話せるものならば
ワザワザ丸庵を訪ねてくることなかったのに…
つまりは、陽子と夏子先生の“どちらか”というのは便宜上のもので
ターゲットは陽子一人!
ってのが校長の思惑?
松本駅火事という史実を盛り込み
陽子を大切に思う家族が大勢いることや
炊き出しをするほど、その家族は良い人揃いってことを
ドラマチックに表現したいってのが岡田君の思惑?
ついでに校長先生も
単純ヒールではなく悲しい過去を背負っている人で
炊き出しを自発的に手伝うほど根は良い人で
陽子達と同じ時代を生きてきた“仲間”でもある
ってことも付け加えてキャラに奥行きを加えてみました?
夕陽の陽子が彼が苦手だった理由として
口先だけの日和見主義で自分がないみたいなことを挙げていたけど
↑そこまで酷くは言ってなかったかも?(笑)
でも、校長自身の今日の言葉からすると
貧しい家の出身で苦労を知っているだけに
これからの子供達には貧しくても教育が受けられる様にしてやりたい
人生に必要な教育を十分に施してやりたい
…という至極真っ当な考えを持っている。
「女のくせに」ってのとは大分違う。
こりゃー反論しようがございませんな。
ただ、まあ、その言い方からすると
丸山先生は優秀な教師とは言い難い!
新しい教育制度において役に立たない!
という評価にも聞こえるな。
加えて、夏子先生の名前も出しながら、向こうには直接伝えないことで
夏子先生は「恵まれて」いないのだから失職したら相当大変だろう
そこんとこ、よ~く空気読めよ丸山先生!
と脅している様な気もするな。
こりゃー反発しようがございませんぜ。
極め付けは
「ご自分のお子さんより生徒達を優先できますか?」
生徒や父兄側からすれば、自分の子供を優先する様な教師は信用できない気がするけど
本当の本当に生徒達の方を優先できる教師が、どのくらい存在するのだろう?
↑ひじゅには結構こーいう面では人間不信(^^;)
混乱するばかりの陽子に追い討ちをかける様に
肺炎になる日向子ちゃん。
あ、その前の真知子の上記の台詞もちょっこし追い詰め台詞だよな(笑)
陽子が教師を続ける理由は
普通に考えれば…子供の頃からの夢だから
現実的に考えれば…家族を支える収入源だから
穿って考えれば…ワーキングマザーは時代の最先端だから>ぉぃ
一番目と思いたいけれど
このところ生徒達との交流や授業でのアレコレの描写が少なかったから
どうにも伝わってくるものがなかったよね。
廊下で英語の勉強(?)をしている生徒達が連続して映ったのも
単純に教育内容や興味の的が変化してきていることを示しているだけとも取れるけど
まるきり陽子と関係なく自発的に新しい教育に向けて身を延ばしている風でもあって
陽子が教師であることの意味も意義も薄れて見える。
二番目の理由ということになると
やはりどうしても「恵まれている」という点に行き着く。
この「恵まれている」という設定は
子供時代は新鮮であり興味深いものがあった。
女学生時代は真知子&育子のおかげで“普通さ”の方が目立った。
つーか、真知子&育子を輝かせる太陽の役割だったと言えるかな?
戦争中は、その太陽の役割がより強まり、脇の物語の方が主体になっていた。
それらに比べると平坦な陽子の人生は“一般人”の象徴であり代表であり
ある意味“希望”だと捉えることができた。
そして、ここに来て
「恵まれている」ことで却って苦境に立たされることになるとは
全体の流れからいうと意義深く面白い展開だと思うんだけど…
その「恵まれている」というのが、今はちょっこし変質してしまった気がする。
意図的なのか計算外なのか知らないけど
“普通”とか“一般”とかを超えて文字通り「恵まれている」様に見えて
応援したい気持ちがちょっこし萎えてしまう状態になっている感じ。
ま、それはそれで面白ければ良いことなんだけど
イマイチ面白味に欠けたし>私だけ?
でもって、物凄く単純に
陽子に教師を辞めさせ
夕陽の陽子に繋がる蕎麦屋にするための
大義名分っちゅーか
結論ありきの辻褄合わせっちゅーか
村上堂に日向子ちゃんを預かってもらうことを正当化するために
子供のいない子供好きの夫婦という後出しジャンケン的な御都合設定を持ち出したのと
同じくらいの軽~い言い訳に成り下がっている様な…
言っちゃいました>スミマセンスミマセン
加えて日向子ちゃんの肺炎も
それでどーせ陽子は看病のために学校を休むことになるんだろうし
教師を辞めるための状況作りに過ぎないって感じ。
そうであるなら無理に肺炎なんて大変な病気にしなくても良いのに…
カズさんも熱を出したばかりだし>はっ、それが日向子ちゃんに感染った?
病気を安易に取り上げるのも朝ドラ駄作の法則だって、
岡田君なら知ってそうなものなのに…
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