『あさが来た』スピンオフ - 2016.04.24 Sun
スピンオフ『割れ鍋に綴じ蓋』
亀助さんが、ふゆちゃんの父親と和解するまでの
ちょっとドタバタ&ほのぼのコメディ。
ながら観だったので見落としや勘違いがあったら
ごめんやっしゃ!
本編において―
亀助さんは好きだけど、亀助&ふゆの恋話は時間割き過ぎ!
と思ってた方だったので
スピンオフも亀助さんメインかい!?
と、あまり興味持てませんだした>スミマセンスミマセン
でも、観てみたら、鴈助さんの出番が多く
鴈助&亀助のコンビネーションを楽しむことが出来て
これは正解!
あれだけ引っ張っていた様でも
ふゆちゃんの父親及び父親が勧める縁談相手との件は
あのまんまだったので
そこを上手く纏めたのは良かったかも。
ただ、ともさかりえを押し過ぎ(笑)
やたら積極的に介入してくる様子は
お節介が取り柄(?)の朝ドラ・ヒロインを揶揄してんのか?
ってくらい。
まあ、鴈助さんに代わって、ふゆちゃんの父親の役をし
亀助さんを怒鳴りつけたりするところは
ヘタクソだったら目も当てられなくなるところを
なかなか迫力ある演技をしていて、そこは評価する。
後は想定の範囲内というか
要するにベタだったでおます>スマソ
あさ&新次郎は出ないのかなと思ってたら
チラリ登場してくれたので、そこは嬉しかった。
弥七さんの出番が多かったのも嬉しかったな。
このドラマで最初に注目したのが彼だったので(笑)
よのさんや、榮三郎さんも登場したけど
イカニモイカニモなドタバタで、ちょい難だったな…
鴈助さんは、今作に限らず本編もでだけど
イカニモではなく、ちょっと外した演技でとても面白い。
ラストちょい前に本編のシーンが続々と出てくるのは
ファンサービスなんだろうけど
ひじゅに的にはナンダカナ…だした。
五代さんや鳴澤さんのシーンもあったとはいってもね。
↑鳴澤さんの顔が映った途端、ちょいテンション上がったので
五代さんだけでなく鳴澤さんのことも好きだったんだなあと
今更ながら気づいてしまっただす(笑)
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

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晴花亭で使用のカップ

亀助さんが、ふゆちゃんの父親と和解するまでの
ちょっとドタバタ&ほのぼのコメディ。
ながら観だったので見落としや勘違いがあったら
ごめんやっしゃ!
本編において―
亀助さんは好きだけど、亀助&ふゆの恋話は時間割き過ぎ!
と思ってた方だったので
スピンオフも亀助さんメインかい!?
と、あまり興味持てませんだした>スミマセンスミマセン
でも、観てみたら、鴈助さんの出番が多く
鴈助&亀助のコンビネーションを楽しむことが出来て
これは正解!
あれだけ引っ張っていた様でも
ふゆちゃんの父親及び父親が勧める縁談相手との件は
あのまんまだったので
そこを上手く纏めたのは良かったかも。
ただ、ともさかりえを押し過ぎ(笑)
やたら積極的に介入してくる様子は
お節介が取り柄(?)の朝ドラ・ヒロインを揶揄してんのか?
ってくらい。
まあ、鴈助さんに代わって、ふゆちゃんの父親の役をし
亀助さんを怒鳴りつけたりするところは
ヘタクソだったら目も当てられなくなるところを
なかなか迫力ある演技をしていて、そこは評価する。
後は想定の範囲内というか
要するにベタだったでおます>スマソ
あさ&新次郎は出ないのかなと思ってたら
チラリ登場してくれたので、そこは嬉しかった。
弥七さんの出番が多かったのも嬉しかったな。
このドラマで最初に注目したのが彼だったので(笑)
よのさんや、榮三郎さんも登場したけど
イカニモイカニモなドタバタで、ちょい難だったな…
鴈助さんは、今作に限らず本編もでだけど
イカニモではなく、ちょっと外した演技でとても面白い。
ラストちょい前に本編のシーンが続々と出てくるのは
ファンサービスなんだろうけど
ひじゅに的にはナンダカナ…だした。
五代さんや鳴澤さんのシーンもあったとはいってもね。
↑鳴澤さんの顔が映った途端、ちょいテンション上がったので
五代さんだけでなく鳴澤さんのことも好きだったんだなあと
今更ながら気づいてしまっただす(笑)
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菜の花>『あさが来た』最終話 - 2016.04.02 Sat
何と
『マッサン』かい!?
ってな感じのラストシーン
(『キャンディキャンディ』という説も?)
色んな過去朝ドラの
パロディ(?オマージュ?)を
所々で感じさせた今作だから
ふさわしい最後と言えるかも?
…ひじゅにですが何か?
「まだまだ生きていかなあきまへんな」byあさ
桜餅を挟んでの姉妹の会話―
↑桜餅に奪われる、ひじゅにの視線
親から貰ったお守りと
「お家を守る」という教え。
お互いの生き方を労い、肯定し合う2人。
そして和歌山に帰る、はつ―
節っちゃんの弟が引き受けてくれるということで
山を売らずに済んだらしいし
仕事も家庭も良い状態。
さらに、もう一人孫が生まれるという知らせも。
ここ終盤のテーマだった「世代交代」も
「交代」の言葉に滲む寂しさは消え
過去→現在→未来と全ては繋がっていく
皆が現在を頑張ることで未来へと向かっていく
…そんな明るさに変わった感じ。
「ほんまにこの山王寺屋は、まだまだこれからだすなあ」
こうして『はつ物語』は終了。
藍之助君は?
藍之助君はどこ?
…ってのは置いといて
Wヒロインだと思われた時期もあったけど
脇役達のエピと同じく先にアッサリ終了してしまったなあ
…ってのも置いといて(^^;)
イキナリ6年後にワープしたかと思うと
宜さん@洋装は留学から帰り
3人の娘を連れた逞しき千代ちゃんは
何と4人目を妊娠中。
新しい命ということで
お馴染み『はつ物語』との対比
って気もするけど>最後のサービス?
静かに流れていく…
といった雰囲気の『はつ物語』に対し
『あさ物語』の方はまだまだ現役!
って感じでアクティブ。
「やる気のある女子はん集めて色んな事学べる勉強会開こ思てますのや」
良いなあ
ひじゅにも参加したいだす
…ってのは置いといて>ぇ
商売は引退しても
新しいことに挑戦したいという気持ちは変わらない、あさ。
合間に
英語を勉強している千代ちゃんの子供達や
東京の学校に行くことになったという
ふゆちゃんにそっくり(笑)に育った亀助さんの娘が登場し
勉強会にも
自分の娘を連れた元女子行員達や
かつては母と共に学ぶことを拒否した千代ちゃんも参加し
…と
学ぶことができる様になった女性達の姿が次々と映る。
そんな彼女達に
「よう学んで頑張っとくなはれな」
応援の言葉を贈る、あさ。
でも、まだ「交代」じゃないんだよね。
ここが素敵だと思っただす。
「人の気持ち慮ることのできる優秀な頭脳と柔らかい心
それさえあったら、それで十分なんだす」
真髄を語る、あさ。
以前は学ぶことは男性の特権だったわけだけど
今や女性もそれを得られる状況になった。
でも、それで終わりではなく
単に知識を得るだけでなく
「人の気持ちを慮る」ことができてこそ「優秀な頭脳」
と語っているところが良いし
「柔らかい心」は女性の方が「大いに使うことができます」
と言った後で
「うちの旦那さんは、うちより柔らかいお人だしたけどな」
と性別に拘らないところを見せているところも良いと思う。
まあ、実際
このドラマ全体を通して真に「柔らかい心」を発揮したのは
新次郎さんを始めとした幾人かの男性キャラだったよなあ。
その話の後
新次郎さんを見つける、あさ―
実をいうと、今朝はバタバタしていて
TVをつけた時は既に最後の菜の花畑シーンだった。
若い新次郎&あさが
若いマッサン&エリーの様にクルクル回るのを見て
あ、もしかして、あさの死までも描いたのか?
と、思ってしまった。
ま、あの時、マッサンはまだ健在だったんだけどね。
後で録画を観たら、あさもまだ健在なのでホッとした。
杖を頼りにヨロヨロと歩きだしたかと思ったら
杖をもどかしげに放り出し
だんだんと足取りが確かなものになっていき
すっかり若返った、あさの様子は
“死”の瞬間を描いているとも受け取れそうだけど
…でも、そうじゃないよね
「まだまだ生きていかなあきまへんな」
と冒頭で言ったばかりだし
「今日もよう頑張ってはりますな」
という新次郎さんの言葉は現在進行形だし。
遺言通り、死後もずっと、あさを支え続けている新次郎さん
…ってところが感動どころなのかもしれないけど
ひじゅに的には
あさが頑張り続けている最中でドラマが終わった
…ってところが素敵だと思ったんだす。
ドラマ内の季節とリアル世界の季節が
全く合わなくても
あまり気にしない方なんだけど
まあ、ネタとしていじることはあるけど(笑)
今ちょうど
通り道の川べりが菜の花真っ盛りなので
今日はドラマ世界が地続きの様に感じられた。
まるで、あさが今なお頑張り続けているかの様に。
あさって、そんなに頑張ってたか?
という疑問もうっすら残るけど
…そこはまあ置いといて(^^;)
つーか、メインは
Wヒロインでも夫婦物語でもなく
新次郎さん=ヒロインってことだったのね
…てのも置いといて
ハマってたとは言い難く
不満もあったけど
好感は大いに抱いていたドラマだっただす。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

菜の花 小風呂敷「たまのお散歩」

なのはなづきよ

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『マッサン』かい!?
ってな感じのラストシーン
(『キャンディキャンディ』という説も?)
色んな過去朝ドラの
パロディ(?オマージュ?)を
所々で感じさせた今作だから
ふさわしい最後と言えるかも?
…ひじゅにですが何か?
「まだまだ生きていかなあきまへんな」byあさ
桜餅を挟んでの姉妹の会話―
↑桜餅に奪われる、ひじゅにの視線
親から貰ったお守りと
「お家を守る」という教え。
お互いの生き方を労い、肯定し合う2人。
そして和歌山に帰る、はつ―
節っちゃんの弟が引き受けてくれるということで
山を売らずに済んだらしいし
仕事も家庭も良い状態。
さらに、もう一人孫が生まれるという知らせも。
ここ終盤のテーマだった「世代交代」も
「交代」の言葉に滲む寂しさは消え
過去→現在→未来と全ては繋がっていく
皆が現在を頑張ることで未来へと向かっていく
…そんな明るさに変わった感じ。
「ほんまにこの山王寺屋は、まだまだこれからだすなあ」
こうして『はつ物語』は終了。
藍之助君は?
藍之助君はどこ?
…ってのは置いといて
Wヒロインだと思われた時期もあったけど
脇役達のエピと同じく先にアッサリ終了してしまったなあ
…ってのも置いといて(^^;)
イキナリ6年後にワープしたかと思うと
宜さん@洋装は留学から帰り
3人の娘を連れた逞しき千代ちゃんは
何と4人目を妊娠中。
新しい命ということで
お馴染み『はつ物語』との対比
って気もするけど>最後のサービス?
静かに流れていく…
といった雰囲気の『はつ物語』に対し
『あさ物語』の方はまだまだ現役!
って感じでアクティブ。
「やる気のある女子はん集めて色んな事学べる勉強会開こ思てますのや」
良いなあ
ひじゅにも参加したいだす
…ってのは置いといて>ぇ
商売は引退しても
新しいことに挑戦したいという気持ちは変わらない、あさ。
合間に
英語を勉強している千代ちゃんの子供達や
東京の学校に行くことになったという
ふゆちゃんにそっくり(笑)に育った亀助さんの娘が登場し
勉強会にも
自分の娘を連れた元女子行員達や
かつては母と共に学ぶことを拒否した千代ちゃんも参加し
…と
学ぶことができる様になった女性達の姿が次々と映る。
そんな彼女達に
「よう学んで頑張っとくなはれな」
応援の言葉を贈る、あさ。
でも、まだ「交代」じゃないんだよね。
ここが素敵だと思っただす。
「人の気持ち慮ることのできる優秀な頭脳と柔らかい心
それさえあったら、それで十分なんだす」
真髄を語る、あさ。
以前は学ぶことは男性の特権だったわけだけど
今や女性もそれを得られる状況になった。
でも、それで終わりではなく
単に知識を得るだけでなく
「人の気持ちを慮る」ことができてこそ「優秀な頭脳」
と語っているところが良いし
「柔らかい心」は女性の方が「大いに使うことができます」
と言った後で
「うちの旦那さんは、うちより柔らかいお人だしたけどな」
と性別に拘らないところを見せているところも良いと思う。
まあ、実際
このドラマ全体を通して真に「柔らかい心」を発揮したのは
新次郎さんを始めとした幾人かの男性キャラだったよなあ。
その話の後
新次郎さんを見つける、あさ―
実をいうと、今朝はバタバタしていて
TVをつけた時は既に最後の菜の花畑シーンだった。
若い新次郎&あさが
若いマッサン&エリーの様にクルクル回るのを見て
あ、もしかして、あさの死までも描いたのか?
と、思ってしまった。
ま、あの時、マッサンはまだ健在だったんだけどね。
後で録画を観たら、あさもまだ健在なのでホッとした。
杖を頼りにヨロヨロと歩きだしたかと思ったら
杖をもどかしげに放り出し
だんだんと足取りが確かなものになっていき
すっかり若返った、あさの様子は
“死”の瞬間を描いているとも受け取れそうだけど
…でも、そうじゃないよね
「まだまだ生きていかなあきまへんな」
と冒頭で言ったばかりだし
「今日もよう頑張ってはりますな」
という新次郎さんの言葉は現在進行形だし。
遺言通り、死後もずっと、あさを支え続けている新次郎さん
…ってところが感動どころなのかもしれないけど
ひじゅに的には
あさが頑張り続けている最中でドラマが終わった
…ってところが素敵だと思ったんだす。
ドラマ内の季節とリアル世界の季節が
全く合わなくても
あまり気にしない方なんだけど
まあ、ネタとしていじることはあるけど(笑)
今ちょうど
通り道の川べりが菜の花真っ盛りなので
今日はドラマ世界が地続きの様に感じられた。
まるで、あさが今なお頑張り続けているかの様に。
あさって、そんなに頑張ってたか?
という疑問もうっすら残るけど
…そこはまあ置いといて(^^;)
つーか、メインは
Wヒロインでも夫婦物語でもなく
新次郎さん=ヒロインってことだったのね
…てのも置いといて
ハマってたとは言い難く
不満もあったけど
好感は大いに抱いていたドラマだっただす。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

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朝が来た>『あさが来た』第155話 - 2016.04.01 Fri
色んな「朝」を迎えてきたドラマなのに
新次郎さんは朝を待たずに亡くなってしまった
つまりは
彼の死後の、あさの生き方が
また新たな「朝」
ちゅーことなんだろうね
…ひじゅにですが何か?
「嬉し過ぎて、ず~っと進み過ぎてしもた」byあさ
↑ビジネスドラマとホームドラマと
分かたれていたものが、この台詞で一つになった
夫婦2人だけの
物悲しくも柔らか~い空間を
突き破るかの様に倒れ込んだ新次郎さん。
集まった皆一人一人に声を掛けて大往生
…みたいなのは
実を言えば苦手なんだけれども
多くの人々の死
多くの死の描き方の
最後を飾るものとして
ある意味オーソドックスな
実にドラマらしい最後は
プレ最終回としても
『あさが来た』としても
そして新次郎さんとしても
これこそふさわしい…という気がしてしまうだす。
「もうな…あさと、2人にしてんか」
亀助さんでオチもつけてたしな(笑)
でも、コレって
本当に最後の願いなわけだし
それを亀助さんに言ったのは
実は亀助さんを一番重んじているってことだと思うよ。
そして
あさと2人だけで迎える最後の時。
これって、正吉さんが亡くなった時と対になっている。
家族や従業員達がそれぞれの場所で泣いている中に
よのさん作の猫張り子が映ったところが
それを主張していると思う。
と同時に
正吉&よのさんも見守っているってことを
表してもいるのだろうね。
また
正吉&よのさんの様な良い夫婦に
今や、新次郎&あさもなっているということも。
「もっとゆっくり手ぇ繋いで歩いたら良かった」
愛する人、大切な人が亡くなると
それまでどんなに努力していても、精一杯のことをしていても
やはり悔いは残ってしまうもの。
あさは商売に熱心過ぎて家庭を顧みなかったと悔いているけれど
実際、初期の頃の新次郎さんはそれを寂しがっていたこともあったけれど
長年の間にそれぞれが一番良く収まる場所を見つけ
絶妙のコンビネーションを見せてきたのだから
最善の道を歩いて来たと言えると思う。
五代さんが言っていた様に
比翼の鳥だったわけだね。
最後の新次郎さんを後ろから支える、あさの図ぅも
意味深いと思う。
今迄ずっと、あさを支えていた新次郎さんを
今は、あさが支えている
…ってことと
顔を合わせ合い、お互いを見つめ合うのではなく
同じ方向を見ている
…ってところが
まさに比翼の鳥って感じ。
でもってそれが
上記の台詞に集約されている。
商売が大好きで、商売の道を突き進んできた、あさ。
ファーストペンギンだった、あさ。
他のお母さん達と違い過ぎると、かつて千代ちゃんに恨まれていた、あさ。
でも、その背中を押してくれたのは新次郎さんだった。
ビジネスドラマとホームドラマの2つに分かれていたのではない
それらは、あさによって結び付けられていた…というよりも
あさにとっては最初から一つのものだった。
結び付けてくれていたのは新次郎さんだった。
…って感じ?
まあ、ドラマとして2つが拮抗していたのなら
真に理想的だったんだけれども
ビジネスドラマの方がやや弱かったからなあ>まだ言うか!?
でも、出来事はビジネス面の方がインパクトあったから
その分、ホームドラマに時間と気持ちを割いて
そういう意味でバランス取ってたのだと解釈しておこう>無理クリ?
朝を待たずに新次郎さんは逝ってしまい
その直後に訪れる「朝」を描くのかと思ったら
画面は既にお葬式も終わり頃。
梅の木が複数の花を付けて
時間の経過を示している。
お葬式ってさ
忙しくって慌ただしくって
訪れてくれた人々や手伝ってくれる人々に
気も遣わなくっちゃならなくて
実はじっくり悲しんでいる暇もないんだよね。
だから、あさには
まだ「朝」は来てないってことだろう。
新次郎さんの最後の言葉が「あさ」なのが象徴的。
だって、雨が降り出して
雨男の新次郎さんの仕業だなと思わせて
「びっくりポンや」
という、あさの台詞が出て
ここで、ようやく
あさに新しい「朝」がやって来た
ってことだと思うから。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

霜の朝

紅梅

雨

新次郎さんは朝を待たずに亡くなってしまった
つまりは
彼の死後の、あさの生き方が
また新たな「朝」
ちゅーことなんだろうね
…ひじゅにですが何か?
「嬉し過ぎて、ず~っと進み過ぎてしもた」byあさ
↑ビジネスドラマとホームドラマと
分かたれていたものが、この台詞で一つになった
夫婦2人だけの
物悲しくも柔らか~い空間を
突き破るかの様に倒れ込んだ新次郎さん。
集まった皆一人一人に声を掛けて大往生
…みたいなのは
実を言えば苦手なんだけれども
多くの人々の死
多くの死の描き方の
最後を飾るものとして
ある意味オーソドックスな
実にドラマらしい最後は
プレ最終回としても
『あさが来た』としても
そして新次郎さんとしても
これこそふさわしい…という気がしてしまうだす。
「もうな…あさと、2人にしてんか」
亀助さんでオチもつけてたしな(笑)
でも、コレって
本当に最後の願いなわけだし
それを亀助さんに言ったのは
実は亀助さんを一番重んじているってことだと思うよ。
そして
あさと2人だけで迎える最後の時。
これって、正吉さんが亡くなった時と対になっている。
家族や従業員達がそれぞれの場所で泣いている中に
よのさん作の猫張り子が映ったところが
それを主張していると思う。
と同時に
正吉&よのさんも見守っているってことを
表してもいるのだろうね。
また
正吉&よのさんの様な良い夫婦に
今や、新次郎&あさもなっているということも。
「もっとゆっくり手ぇ繋いで歩いたら良かった」
愛する人、大切な人が亡くなると
それまでどんなに努力していても、精一杯のことをしていても
やはり悔いは残ってしまうもの。
あさは商売に熱心過ぎて家庭を顧みなかったと悔いているけれど
実際、初期の頃の新次郎さんはそれを寂しがっていたこともあったけれど
長年の間にそれぞれが一番良く収まる場所を見つけ
絶妙のコンビネーションを見せてきたのだから
最善の道を歩いて来たと言えると思う。
五代さんが言っていた様に
比翼の鳥だったわけだね。
最後の新次郎さんを後ろから支える、あさの図ぅも
意味深いと思う。
今迄ずっと、あさを支えていた新次郎さんを
今は、あさが支えている
…ってことと
顔を合わせ合い、お互いを見つめ合うのではなく
同じ方向を見ている
…ってところが
まさに比翼の鳥って感じ。
でもってそれが
上記の台詞に集約されている。
商売が大好きで、商売の道を突き進んできた、あさ。
ファーストペンギンだった、あさ。
他のお母さん達と違い過ぎると、かつて千代ちゃんに恨まれていた、あさ。
でも、その背中を押してくれたのは新次郎さんだった。
ビジネスドラマとホームドラマの2つに分かれていたのではない
それらは、あさによって結び付けられていた…というよりも
あさにとっては最初から一つのものだった。
結び付けてくれていたのは新次郎さんだった。
…って感じ?
まあ、ドラマとして2つが拮抗していたのなら
真に理想的だったんだけれども
ビジネスドラマの方がやや弱かったからなあ>まだ言うか!?
でも、出来事はビジネス面の方がインパクトあったから
その分、ホームドラマに時間と気持ちを割いて
そういう意味でバランス取ってたのだと解釈しておこう>無理クリ?
朝を待たずに新次郎さんは逝ってしまい
その直後に訪れる「朝」を描くのかと思ったら
画面は既にお葬式も終わり頃。
梅の木が複数の花を付けて
時間の経過を示している。
お葬式ってさ
忙しくって慌ただしくって
訪れてくれた人々や手伝ってくれる人々に
気も遣わなくっちゃならなくて
実はじっくり悲しんでいる暇もないんだよね。
だから、あさには
まだ「朝」は来てないってことだろう。
新次郎さんの最後の言葉が「あさ」なのが象徴的。
だって、雨が降り出して
雨男の新次郎さんの仕業だなと思わせて
「びっくりポンや」
という、あさの台詞が出て
ここで、ようやく
あさに新しい「朝」がやって来た
ってことだと思うから。
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雨

思いが伝わる>『あさが来た』第154話 - 2016.03.31 Thu
昨日のラストからの引きで
あさが持ってきたのは三味線と判明
やっぱ、まんまな『あさが来た』
とはいえ
三味線は新次郎さんの象徴でもある
婚礼の日にも三味線弾いてたし
あさが惚れ直したのも三味線を弾く姿を見てだったし
正吉さんの三味線嫌い設定もあったし
いつでも三味線の音が響いていた
だから、ここで三味線が出てくるのは正解
しかも、あんなに姿勢が良かった新次郎さんが
少し猫背になって顔も影になって三味線を弾く
それを強調するためか
夫婦向かい合う姿が真横から映されて…
寂しさがいや増す
…ひじゅにですが何か?
「人生の戦場における本物の勇者よ」by綾子
昨日、平塚明さんに凹まされたので
今日は、綾子さんに持ち上げられる
あさの図ぅ―
朝ドラ“お約束”のヒロイン上げと
言ってしまえばそれまでだけど
あさの人生は
まさにこの言葉に集約される
とも言える。
「戦場」に例える程
あさが苦労した様子には描かれていなかったので
そこがちょっと残念ではあるけど>ぉ
さすが終盤!って感じで
今日もまた懐かしの面々が再登場。
そして、振ったネタの回収。
*鴈助さん―
何だ、結構簡単に行き来できちゃうんじゃん
と思ってしまった。
おまけに亀助さんとの交流は続いていたらしいし
鴈助&うめの距離は思うほどには遠くなかったのか
…と、地理にも交通状況にも疎い、ひじゅにが言ってみる。
精神的な距離という意味では
何と、あの奥さんが亡くなったというスペシャル情報>ぉ
だからって、すぐに再婚!みたいな流れでなくて良かった。
年取った鴈助&うめさんはペンフレンドになるという形で
それなりのハッピーエンド。
*千代ちゃん―
出ずっぱりの千代ちゃんだから再登場ではないけど
とっくに解消したと思われた母への思いが再び語られる、という意味で
ちょっと再登場っぽい雰囲気?>無理クリ?
でも、こうして、千代ちゃん本人の口から語られることが
朝ドラ的には必要なのかなとも思う。
鴈助さんの姿に気付き、サッと場を退くという
粋な計らいを見せるところなど
確かに成長ぶりが伺えるし(笑)
*鳴澤さん―
日の出女子大学校が法人組織になったこと
最初の卒業生を出したこと
宜さんを留学させ、帰国後は家政学の教授になってもらう予定なこと
…と現況が語られ
「お礼を」ということで
鳴澤さんの思い
あさの思い
…が語られ
「身に着けるもん」ということで
あさが彼にプレゼントしたスーツが想起され
さらに「へぇ」さんとのシーンでは
「ワカメの4番」まで回収(笑)
*綾子さん―
上記の様に、あさの人生を要約。
あさを褒めることで、ヒロインは彼女だと強調>ぉ
「新橋の駅に女子の出札係もいるのよ」
あさが切り開いた道を
今や大勢の女子達が歩んでいることも強調。
*サカエさん―
初の女子行員達も女子の運命で家庭に入ることになり
現実はまだまだそんなもんだとはいえ
ドラマ的にはちょいっと中途半端なまま終わってしまった感があったけど
「夫が理解のある人で、子育てが落ち着いたら
大学校行ってこい言うてくれたんです」
…と、前向きな回収。
「あさの思い、色んな所に伝わってますのやな」by新次郎
鴈助&うめの文通は
この「思いが伝わる」ということを象徴してもいるのかな。
三味線の音を皆が聞いていたシーンも同じ。
「これからも色んな人にパチパチはん渡したげな」
新次郎さんは、それをパチパチはんに例えて
冒頭で花開いた梅の木と対にして
これまた綺麗な回収。
イキナリ倒れる新次郎さんの図ぅ―
ネタが回収され、纏めに入った今日の『あさが来た』。
後はエンディングだすな(寂)
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

レターセット

お礼

思いが伝わる

あさが持ってきたのは三味線と判明
やっぱ、まんまな『あさが来た』
とはいえ
三味線は新次郎さんの象徴でもある
婚礼の日にも三味線弾いてたし
あさが惚れ直したのも三味線を弾く姿を見てだったし
正吉さんの三味線嫌い設定もあったし
いつでも三味線の音が響いていた
だから、ここで三味線が出てくるのは正解
しかも、あんなに姿勢が良かった新次郎さんが
少し猫背になって顔も影になって三味線を弾く
それを強調するためか
夫婦向かい合う姿が真横から映されて…
寂しさがいや増す
…ひじゅにですが何か?
「人生の戦場における本物の勇者よ」by綾子
昨日、平塚明さんに凹まされたので
今日は、綾子さんに持ち上げられる
あさの図ぅ―
朝ドラ“お約束”のヒロイン上げと
言ってしまえばそれまでだけど
あさの人生は
まさにこの言葉に集約される
とも言える。
「戦場」に例える程
あさが苦労した様子には描かれていなかったので
そこがちょっと残念ではあるけど>ぉ
さすが終盤!って感じで
今日もまた懐かしの面々が再登場。
そして、振ったネタの回収。
*鴈助さん―
何だ、結構簡単に行き来できちゃうんじゃん
と思ってしまった。
おまけに亀助さんとの交流は続いていたらしいし
鴈助&うめの距離は思うほどには遠くなかったのか
…と、地理にも交通状況にも疎い、ひじゅにが言ってみる。
精神的な距離という意味では
何と、あの奥さんが亡くなったというスペシャル情報>ぉ
だからって、すぐに再婚!みたいな流れでなくて良かった。
年取った鴈助&うめさんはペンフレンドになるという形で
それなりのハッピーエンド。
*千代ちゃん―
出ずっぱりの千代ちゃんだから再登場ではないけど
とっくに解消したと思われた母への思いが再び語られる、という意味で
ちょっと再登場っぽい雰囲気?>無理クリ?
でも、こうして、千代ちゃん本人の口から語られることが
朝ドラ的には必要なのかなとも思う。
鴈助さんの姿に気付き、サッと場を退くという
粋な計らいを見せるところなど
確かに成長ぶりが伺えるし(笑)
*鳴澤さん―
日の出女子大学校が法人組織になったこと
最初の卒業生を出したこと
宜さんを留学させ、帰国後は家政学の教授になってもらう予定なこと
…と現況が語られ
「お礼を」ということで
鳴澤さんの思い
あさの思い
…が語られ
「身に着けるもん」ということで
あさが彼にプレゼントしたスーツが想起され
さらに「へぇ」さんとのシーンでは
「ワカメの4番」まで回収(笑)
*綾子さん―
上記の様に、あさの人生を要約。
あさを褒めることで、ヒロインは彼女だと強調>ぉ
「新橋の駅に女子の出札係もいるのよ」
あさが切り開いた道を
今や大勢の女子達が歩んでいることも強調。
*サカエさん―
初の女子行員達も女子の運命で家庭に入ることになり
現実はまだまだそんなもんだとはいえ
ドラマ的にはちょいっと中途半端なまま終わってしまった感があったけど
「夫が理解のある人で、子育てが落ち着いたら
大学校行ってこい言うてくれたんです」
…と、前向きな回収。
「あさの思い、色んな所に伝わってますのやな」by新次郎
鴈助&うめの文通は
この「思いが伝わる」ということを象徴してもいるのかな。
三味線の音を皆が聞いていたシーンも同じ。
「これからも色んな人にパチパチはん渡したげな」
新次郎さんは、それをパチパチはんに例えて
冒頭で花開いた梅の木と対にして
これまた綺麗な回収。
イキナリ倒れる新次郎さんの図ぅ―
ネタが回収され、纏めに入った今日の『あさが来た』。
後はエンディングだすな(寂)
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

レターセット

お礼

思いが伝わる

梅の木>『あさが来た』第153話 - 2016.03.30 Wed
新次郎さんが用意した木々の中で
あさが選んだのは梅の木
昨日の時点では何の木か
無知ひじゅにには分からなかったけど
それが何か意味を持ったものだというのは
ボンクラひじゅににも分かった
でも、パチパチはんに繋がるとは…
思えばあれが2人の出逢いであったわけだからな
梅の木から作られたパチパチはんと
これから育っていく梅の木
上手いこと纏まりますな
…ひじゅにですが何か?
「これからの頑張る女子の小さい小さい踏み台にでもなれてたら
それでよろしのやな」byあさ
新次郎&あさのシミジミした夫婦の会話。
ひとり泣く、あさの図ぅ。
それらの後に来るのは
昨日のラストで登場した平塚明さんと愉快な仲間達―
陰口を言うのは「卑怯者」と聞いて
早速「堂々と」文句を言いにやってきたらしい。
「文句」なんて決めつけたら怒るかな?(^^;)
でも、「憤懣やるかたない気持ちで」いるわけだし
あさ本人ではなく「財界人や政界の大物」の態度に怒ってるわけだし
あさの話への反応は邪推というか、偏見フィルターかかってるし
この間は「傲慢おばさん」で今日は「いけ好かない老婦人」呼ばわりだし
正当な抗議というより、やっぱ文句だな。
つーか
若い女性が年上の女性にワザと
「おばさん」「老婦人」という言葉を使うこと自体
充分、罵り言葉の範疇だよね。
女性は若い方が良いという
それこそ男性社会の偏った価値観だと思う。
とはいえ
女性について、教育について、社会について
真摯に考えているからこそ
そうした偽善(や偽善めいたもの)が目に付くわけだし
純粋に怒ることができるわけだし
実際に教育を受け、それを土台に自分の道を進もうとしているからこそ
ハッキリ言葉に出すことができるし
こうして相手の所に乗り込んでくるパワーが湧くというもの。
そのパワーが気に障る形で表れちゃってるのは
まだまだ青くて視野も狭いからで
本質的な意味においては、こうした女性が出てきたってことは
寧ろ喜ばしいことなのだろうと思う。
案の定、あさとは格の違いを見せつけられ
スゴスゴ帰ることになる明さん達であった。
ま、仲間達の方は、あさに魅了されちゃってる様子だけど
明さん本人はまだブツブツ。
「そないなお人が道なき道切り開いてくれたからこそ
今そうやって女も自由に物が言えてるのかも分からしまへんな」
先に回って、さり気なく言い返す我らが千代ちゃん>GJ
「江戸の昔なんて知らんこっちゃですわ」
言い返す明さん。
かつて千代ちゃんが
「徳川様ってどなた様」
と、反発していた時を思い出すよね(笑)
千代ちゃんも成長し、今や人の親ともなり
母の生き方を理解し受け入れられる様になったってことだな。
「私、あの方を超える新しい女になってみせます」
あのままでは平塚らいてうの立場がないとばかりに>ぇ
まさに、あさが切り開いた道を、さらに遠くへと歩んでいく
女性としての気概を見せたのであった。
ああ、まさに世代交代だすなあ。
懐の大きいところを見せたかと思うと
明さん達の言葉に凹んでもいる、あさ。
ま、それはしょうがないよね。
人間だもの(by相田みつを)
「お父ちゃん以外の誰に好かれてもしょうがあれへん」
上手いこと夫婦物語へと軌道修正。
合間に挟まれるのは「へぇ」さん&美和さんの恋話。
終盤はカップル乱立という朝ドラ“お約束”は
やはりキッチリ果たす算段?
この2人のラブラブぶりは既に描かれたので
そのまま良い方向へ向かうのだろうな…という
予感を滲ませるだけで終わらせるのかと思っていたら
今日は美和さんからの逆プロポーズの巻。
こんな時にも“立ち聞き&盗み見”をする新次郎さんは
最後までアッパレ!と言うべきかな(笑)
子供あさがパチパチはんを持って踊る回想シーンでは
廊下→部屋だったけど
こちらでは
部屋→廊下と逆になっているのも面白い。
残るは、もう一組
鴈助&うめの顛末だすな。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

梅の木>箸置き

タマゴプリン

踏み台

あさが選んだのは梅の木
昨日の時点では何の木か
無知ひじゅにには分からなかったけど
それが何か意味を持ったものだというのは
ボンクラひじゅににも分かった
でも、パチパチはんに繋がるとは…
思えばあれが2人の出逢いであったわけだからな
梅の木から作られたパチパチはんと
これから育っていく梅の木
上手いこと纏まりますな
…ひじゅにですが何か?
「これからの頑張る女子の小さい小さい踏み台にでもなれてたら
それでよろしのやな」byあさ
新次郎&あさのシミジミした夫婦の会話。
ひとり泣く、あさの図ぅ。
それらの後に来るのは
昨日のラストで登場した平塚明さんと愉快な仲間達―
陰口を言うのは「卑怯者」と聞いて
早速「堂々と」文句を言いにやってきたらしい。
「文句」なんて決めつけたら怒るかな?(^^;)
でも、「憤懣やるかたない気持ちで」いるわけだし
あさ本人ではなく「財界人や政界の大物」の態度に怒ってるわけだし
あさの話への反応は邪推というか、偏見フィルターかかってるし
この間は「傲慢おばさん」で今日は「いけ好かない老婦人」呼ばわりだし
正当な抗議というより、やっぱ文句だな。
つーか
若い女性が年上の女性にワザと
「おばさん」「老婦人」という言葉を使うこと自体
充分、罵り言葉の範疇だよね。
女性は若い方が良いという
それこそ男性社会の偏った価値観だと思う。
とはいえ
女性について、教育について、社会について
真摯に考えているからこそ
そうした偽善(や偽善めいたもの)が目に付くわけだし
純粋に怒ることができるわけだし
実際に教育を受け、それを土台に自分の道を進もうとしているからこそ
ハッキリ言葉に出すことができるし
こうして相手の所に乗り込んでくるパワーが湧くというもの。
そのパワーが気に障る形で表れちゃってるのは
まだまだ青くて視野も狭いからで
本質的な意味においては、こうした女性が出てきたってことは
寧ろ喜ばしいことなのだろうと思う。
案の定、あさとは格の違いを見せつけられ
スゴスゴ帰ることになる明さん達であった。
ま、仲間達の方は、あさに魅了されちゃってる様子だけど
明さん本人はまだブツブツ。
「そないなお人が道なき道切り開いてくれたからこそ
今そうやって女も自由に物が言えてるのかも分からしまへんな」
先に回って、さり気なく言い返す我らが千代ちゃん>GJ
「江戸の昔なんて知らんこっちゃですわ」
言い返す明さん。
かつて千代ちゃんが
「徳川様ってどなた様」
と、反発していた時を思い出すよね(笑)
千代ちゃんも成長し、今や人の親ともなり
母の生き方を理解し受け入れられる様になったってことだな。
「私、あの方を超える新しい女になってみせます」
あのままでは平塚らいてうの立場がないとばかりに>ぇ
まさに、あさが切り開いた道を、さらに遠くへと歩んでいく
女性としての気概を見せたのであった。
ああ、まさに世代交代だすなあ。
懐の大きいところを見せたかと思うと
明さん達の言葉に凹んでもいる、あさ。
ま、それはしょうがないよね。
人間だもの(by相田みつを)
「お父ちゃん以外の誰に好かれてもしょうがあれへん」
上手いこと夫婦物語へと軌道修正。
合間に挟まれるのは「へぇ」さん&美和さんの恋話。
終盤はカップル乱立という朝ドラ“お約束”は
やはりキッチリ果たす算段?
この2人のラブラブぶりは既に描かれたので
そのまま良い方向へ向かうのだろうな…という
予感を滲ませるだけで終わらせるのかと思っていたら
今日は美和さんからの逆プロポーズの巻。
こんな時にも“立ち聞き&盗み見”をする新次郎さんは
最後までアッパレ!と言うべきかな(笑)
子供あさがパチパチはんを持って踊る回想シーンでは
廊下→部屋だったけど
こちらでは
部屋→廊下と逆になっているのも面白い。
残るは、もう一組
鴈助&うめの顛末だすな。
☆楽天もう…何がなんだか日記もヨロシクです☆

梅の木>箸置き

タマゴプリン

踏み台
